「基本的に野菜とかは栽培してるのもあるし、欲しいのは新しい種と肥料とー、あと調味料とかも買っとこうかな」
あ、あとフジクラが猫の姿の時用の爪研ぎみたいなのも欲しいかも。研ぐか分かんないけど。
なんて欲しいものを考えつつ町に着くとそこでは丁度月に一度の市が開かれているらしく、いつも以上にざわざわと人で賑わっていた。
あらゆる野菜や果物、衣服や小物類に本屋さんまで。生活に必要な物は全てこの市場だけで事足りそうな程様々な物と人とで溢れかえっていた。
しかしこれだけ人が居るってことは…。
少し心配になってサワが振り向くとやはり予感は的中。フジクラはわいわいと女の子達に囲まれあれやこれやと質問攻めにあっては商品を押し付けられていた。
「まぁ…そうなるわな」
王都から離れたこの田舎町にあんなレベルの美形などそうそう居ない。というか、この国の中でも中々に見掛けないレベルである。普段人里から離れて暮らしているせいで感覚が鈍ってしまっていたのか、髪色と瞳の色を変えただけでどうにかなると思っていた少し前の自分が恥ずかしい。
悪魔とはバレずとも騒ぎにならないかな、と少し不安になる。
まぁあれでも俺なんかより結構な時間を生きているのだろうし、寄ってくる人間の対処も放っておいて問題無いだろう。
背中に痛い程の視線を感じつつも問題放棄しながら市場の中を見て回っていると、とある屋台に置かれた古びた一冊の本が目に入った。
何故だろう、あんなにも古くて装丁も殆ど剥がれ落ちてしまっているあの本を見ると胸騒ぎがして目が離せない。
「お、そこの兄ちゃんお目が高いねぇー!そいつぁものすんごいお宝だよ!」
「お宝?」
少年が本を凝視していることに気付いた店主らしき中年の男がここぞとばかりに話し掛けてきた。
「そうさ!世界にたった一冊の魔法の書!何でも禁書中の禁書で、王宮書庫でも限られた者しか入れないかなーり厳重な場所で保管されてたんだとか!それが何と今なら、」
「いやいや胡散臭ぇな。何でそんな物がこんなところ、に…」
パラパラとページを捲るスピードを落としながら、サワはこれは本物だと確信し、そして戦慄した。
これは…こんなところに有っていい代物ではない。王宮書庫で厳重に管理されていた禁書も禁書。その筈である。
これは…悪魔の召喚術の本だ。
下級悪魔から上級悪魔の召喚方法やその為に必要なもの、そしてそれらの召喚陣。ありとあらゆる悪魔達を喚び出す為の詳細がこの本には刻まれていた。また頁の要所要所に血痕のようなものが滲んでいることから、実践しようとした者がいたらしいこと、そしてそれがどうやら失敗に終わったことなども分かる。
それはそうだ。悪魔の召喚なんて素人が遊び半分で試していいことでは勿論無いし、サワ達祓魔師にだって腕の立つごく一部の者にしか出来ないことだ。下級悪魔なら見習い程度には喚び出せるだろうが、この禁書には…。
「なぁおじさん、」
「何だ兄ちゃん?まだ疑ってんのか?」
「いや、ここなんだけど…」
サワが指差した頁には、破り取られた跡があった。これは明らかに誰かが一部を持ち出した証拠だ。この本は下級悪魔から上級悪魔、或いはそれ以上のモノについて順番に記述されている。そして破り取られたこの頁はその中でも最後の章に当たる所だった。
つまり、だ。この頁に載っていた悪魔とは…。
「あ、それこんなトコにあったんだー。ってかその破れたところ、サワくん持ってるよね?」
「フジクラ?!ちょ、えっ、今なんて」
「それ懐かしいなぁ。ほら、どうしてもサワくんに俺を喚び出して欲しくってさ?王宮から持って来たんだぁ。俺の召喚陣載ってるのそれしか無くって、探すの苦労した、んぐっ」
「ごごごめんおっさん!これ!これください!」
「お、おう…。毎度アリー?」
事態を察したサワはペラペラと話す形の良い口を片手で抑え付け、慌てておじさんから本を購入した。とにもかくにも、祓魔師としてこんな危険なものを一般人の手の届くところに置いておく訳にはいくまい。
本と変態悪魔を連れてそそくさとその場を後にすると、人気の無いところまで来てサワはフジクラの胸ぐらをぐいと引っ掴み、今は漆黒に染まる瞳を睨み付けた。
「やっぱりお前の仕業かこんの野郎…!」
「やだサワくんたら積極的…こんな所に連れ込むなんて」
「お前こそ積極的が過ぎるぞ?やっぱり…やっぱりあの時俺の机に自分の召喚陣仕込んだんだな?それでわざと俺にお前を召喚させたんだろ!」
「大正解ー!さっすがサワくん頭良いね!」
「ほぼ自分で喋ってただろうが!」
ぱっちりウィンクを決める変態悪魔の顔を殴りたい衝動に駆られながら、それでも冷静に状況を整理しようとサワは頭を巡らせた。そしてふと、ある疑問に気付く。
「ねーキスしてい?」
「何で今出来ると思った?というか話を聞け。お前、この本ちゃんと読んだか?」
この本、と言いながらサワは埃っぽい先程の禁書をフジクラの目の前に差し出した。
「全部は読んでないなぁ。あ、俺の召喚の頁あるじゃーんと思ってそこだけ千切って、本はその辺の道端に捨てて来ちゃったから」
「何してくれてんだお前…。この本がどれだけ危険か分かってないだろ?一般人が召喚しようとしてたらどうすんだよ」
「や、大体は文字すら読めないだろうし大丈夫じゃん?実際俺以上の奴の気配は感じないもん今のところ」
「そういう問題じゃなくて!そう、それだよ。お前がそれ程の力の持ち主なら、何で俺はお前を召喚出来たんだ?俺にそんな力があるとは到底思えないんだけど…」
「そりゃあ、俺が喚んで欲しかったからかな!」
「そんな軽い理由で…」
「軽くないし!すんごい大真面目だし!」
心外だと言わんばかりに眉間に皺を寄せる変態悪魔を無視して、サワはまたぐるぐると思考を巡らせた。召喚術とはそもそもある程度の知識と力を持つ人間が無理矢理悪魔を喚び出す一方的なもので、悪魔側の意思は関係無い筈だ。そうして召喚された悪魔達は大体人間の私利私欲を叶える為に力を使わされるか、使い魔にされるかだ。
だからこそサワは召喚というものが好きではなく下級悪魔の召喚でさえ試したことは無かった、のだが…。そんな自分にいきなりこんな最強レベルらしい悪魔を召喚出来る筈がない。それにこのフジクラの口振りからすると、フジクラが喚んで欲しいと思わなければ召喚は成功しないような言い方だ。
「なぁ、お前って召喚されそうになったことある?俺以外で」
「え、突然の独占欲…?すっげぇどきどきする」
「ち、が、う!あるのか無いのかどっちなんだ」
「何回かあるけどー、気が進まないから行かなかった」
「え、断れるのか?召喚を?」
「俺はね。他の奴は知らなーい」
飄々と言い放つこの悪魔、今のが実は結構とんでもない発言であることを果たして理解しているのだろうか。
召喚を拒否出来る悪魔などサワは聞いたことがない。それこそ国を揺るがすような上級の悪魔だって、相当な腕を持つ祓魔師数人でやっと喚び出す事が出来たと聞く。その際も悪魔を喚び出すのに苦労はしたものの、一度召喚してしまえば悪魔側に拒否することなど出来なかったとか。
それなのにこいつはいとも簡単に召喚出来る相手を選べるという。つまりはそれ程計り知れない力を持っているということだ。
成る程、これがカシくんの言っていた「ヤバい奴」か…。とサワは一人納得した。まぁ魔力云々以外にも色々ヤバい奴ではあるのだが。
「お前が召喚出来る相手を選べるってことは、素人でもお前を喚び出せるってことか?」
「それは無理だね。サワくんの時はちょっとだけ手助けしたけど、サワくんにも力が無きゃ無理だったから。だから無事喚んでくれた時はほっとしたよー!だからキスしてい?」
「いくないいくない、くっつくな変態!まぁ色々と謎は解けた…多分。はぁ…まだ買い物残ってるから市場戻るか」
「デートだ」
「違うから」
そして数日後、あの古びた教会にまたコンコンと扉を叩く音が響いた。サワがゆっくり扉を開くと、またまた元気な笑顔が教会に飛び込んでくる。
「ちわーッス!センパイから声掛けてくれるなんて珍しいッスね?嬉しいッス!!」
「わざわざ来てもらって悪いな。それから用ってのは、はいコレ」
そう言ってサワが差し出したのは一冊の本だった。相変わらず装丁はボロボロで、出来る限り綺麗にはしたものの埃っぽさは残ったままである。
「え、何スかこ、れ………。え、ちょ、えええええ?!!」
「ちょ、カシくん声大きい!」
声に驚いたのかサワの足元では茶色い猫が毛をぶわりと逆立たせていた。尻尾をピンと立て、今にもカシくんに襲い掛かりそうな雰囲気である。
「ちょ、え、これ皆めっちゃ血眼で探してたやつ!!何でセンパイが持ってんスか?!」
「たまたま市場で見掛けたから回収しといたんだよ。何でとかこっちが聞きたいわ。禁書ならもっとちゃんと厳重に管理しとけよ」
「ああありがとうございます!うわぁ良かったぁー!コレ失くしたままだったらマジで祓魔師協会の信用も危なかったんスよねぇ…。やっぱセンパイすげー…ってセンパイ?ここの頁…?」
「そこな。初めから無かったよ。市場のおじさん曰く道端に落ちてたらしいから落ちる時にでも破けたか、興味本意で誰かが適当に持っていったんじゃないか」
「うっわヤベェ…どうしよ怒られるぅう!」
「後は知らん。まぁ、頑張れ」
ポンッとカシくんの肩に手を置くと足元で更に猫の毛が逆立つ気配がした。
怒ってるなぁ、元凶はお前の癖に…。
やれやれとサワは溜め息を吐きながら、それでも相変わらず元気な笑顔で去っていくカシくんを見送った。
扉を閉めて振り返ると、いつの間にか人型に戻っていたフジクラがにやにやと嬉しそうな満面の笑みで立っていた。さっきまであんなにピリピリしてたのに、表情がコロコロ変わる奴だなぁ。なんてサワが思っていると目の前で一枚の紙をひらひらと見せつけられる。
「なーんで自分が持ってるって言わなかったのかなぁ?」
「そんなの、俺の責任になるのが嫌だったからに決まってんだろ」
フジクラが嬉しそうに掲げたのは彼自身の召喚方法が書かれた紙であった。
そう、あの日サワが薬草の調合と間違えて使用してしまったあの召喚陣である。
「嘘だね。サワくんは優しいからそんな風に言うけど、本当は俺のこと独占したかったんでしょー?」
「うわぁ…めっちゃ腹立つ勘違いされた。無い。それだけは無いから。いいか、千切られた頁をくっつけることは出来ても千切られた跡を消すことは出来ないんだ」
「俺なら出来るよ」
「そうかよ今更言うなよ。もう本渡しちゃったじゃんか」
「で?何でこれは渡さなかったの?」
「言ったろ?俺が犯人扱いされるのが、っておいこら!」
「俺嘘吐いてるかどうか分かるんだよね。言わないとこのまま押し倒す」
片手は腰に回されもう片方の手はサワの顎に回され、完全に逃げ場を奪われてしまった。少し高い場所から見下ろしてくる赤い瞳は意地悪く光り、本当に相手の心など読み取ってしまえるのではないかと思う程ぎらりと輝きを強くした。
「はぁ。お前みたいな厄介な奴、只でさえ噂になってんのに…。その召喚陣渡す訳にいかねーだろ…」
「それが本音?」
「何に悪用されるか分かったもんじゃないしな。なら俺が見張っとくの、が、んんぅっ?!」
「はぁ、嬉しい…。これが独占欲か」
「断じて違う、から、ちょっ、んぅ!あっ」
反論の為に口を開くと無遠慮に舌が入り込んで、咥内を掻き乱してくる。肩を押してもびくともせず、壁に押し付けられる様にして何度も舌を絡ませた。口端から漏れる唾液すら舐め上げて、何もかもの元凶である悪魔はにやりと笑う。
嗚呼、このド変態悪魔には何を言っても無駄なのだ。何度も何度も角度を変えて深く口付けされながらサワは観念して身体の力を抜いた。
フジクラはフジクラでサワに心配されている、受け入れられているという喜びでどうにかなりそうな程胸の高鳴りを抑えられないでいた。
嘘を吐いているかどうか分かる、と言ったのは人の心が読めるという訳ではないのだが、それでも多少は相手の心情が分かるのだ。だからこそ、サワが自身でも気付いていない感情の存在に彼はもう気付いていた。
言っても信じてくれなさそうだしもう少し今のままで遊んでいたい、なんて悪戯心は悪魔でなくとも芽生えるものだろうか。
「俺、召喚拒否出来るって言ったのになぁ。男前過ぎるぅ…。すき。だいすき」
「はぁ、は、だから服の中に手突っ込んでくんのやめろって…あ、やだって、こんの…変態悪魔ぁ…」
「涙目…やば…」
「泣いて、ない!」
「そうだね、よしよし」
反応が可愛くてつい苛め過ぎてしまった少年の頬は生理的な涙で濡れていて、フジクラはそれを優しく舐め取りながら自身のものとは違うさらさらの黒髪を撫でた。
「…お前本当に厄介」
「そうかもね。ちゃんと責任持ってお世話してね」
ふわりと茶色い猫っ毛を揺らしながら、赤い瞳は今日も満足気にただ少年だけを映していた。
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