中学生になって、やっとその理由がはっきり解ってきた。
「緋色くん緋色くん、何か部活入ってる?この後さ…」
「北村くん、今日放課後空いてる?良かったらなんだけど、」
小学生の時もいたけれど中学に入ってから特に、何故だか俺と一緒に帰りたがったり、俺に話し掛けてくる女子が増えた気がする。俺は紺とだけ居たいのに、はっきり言って邪魔でしかない。
邪魔でしかないのに、何故か邪険にしたり酷くあしらったりしてはいけない気がした。ふと、小学生の時に聞いてしまった会話が脳裏をよぎる。
まるで紺の方が俺に付き纏っているかのようなあの口振りが何故だか忘れられない。…本当は真逆なのに。
告白されては断って、また告白されては断って。
そうして望んでもいないのに向けられる俺への好意は、俺が振り払い続けたたくさんの気持ちはいつしか形を変えて鋭く尖ったモノになっていく気がして。
そうした気持ちの矛先が俺にではなく、俺といつも一緒に居る彼に向けられる気がして怖かった。そして実際、そうだった。
ある時、話したことも無い女子からまた告白された。
その時はまだ「社交的で明るい北村くん」は居なかったから、俺に告白してくる子は大抵話したことも無い奴ばかりだったんだけど。
俺はもちろん断った。ただ普通に、「ごめんね」と。出来るだけ柔らかく断ったはずなのに、それがいけなかったのか。
「友達からでいいから」と、何度も何度もせがまれて、遂には泣き出されてしまって。面倒になってその場からさっさと立ち去ってしまいたかったけれど、それでも俺はやっぱり「ごめん」と断り続けるしかなかった。
だって俺がその子のことを好きになる可能性なんてゼロなのに、友達から始めたところで結局何も始まらないし、誰も得しない。友達にすらなれる訳でも無いし、そんな無駄でしかないことに貴重な時間を費やしたくなどない。
紺以外の誰かと居る時間なんて、俺にとっては何の意味も無い。
だけどその告白の後から、紺の靴箱に脅迫じみた手紙が入れられていたり、紺の教科書が隠されたりする地味で陰湿な悪戯が始まった。あぁ、まただ。また俺にじゃなくて、彼に。
犯人は直ぐに分かったからもう二度とそんなことしないよう強く言っておいたけれど、それでも泣きながら縋りついて来る手が鬱陶しくて汚らわしく感じたのを今でも覚えている。
どうやら彼女は紺に嫉妬したらしかった。いつも俺と一緒にいる彼が邪魔で邪魔で仕方が無かったのだと。その上俺の隣には自分の方が相応しいと思っただなんて言われてしまえば、折角今まで抑え込んでいた俺の中の何かがプツリと切れてしまって。
殴ったりなんてしていない。触れることすら汚らわしいと思ったから。ただもう二度と、俺にも紺にも関わらないように強く強く釘を刺しておいた。
それから彼女は一ヶ月ほど学校に来なかったようだったがそれすら俺には甚だどうでもいいし、寧ろ来ないでくれた方が都合が良かった。そう思うのはきっと良いことではないだろう。だけど。
何を知ってるんだよ。俺の顔しか見てないくせに。
何で邪魔されなきゃいけないんだよ。こんな薄っぺらい奴らに。
俺の事を「好きだ」と言っておきながら、平気で俺のたからものを傷付ける。結局こいつらが好きなのは「俺」じゃない。望んでいるのは、憧れているのは「俺」じゃなくて、「北村緋色に好かれる自分自身」なんだ。
何でそんなクソみたいな自己承認欲求を満たすために紺が攻撃されなきゃなんないの。何で俺の方には何もしてこないの。何で、なんで、なんで?
…俺が紺と居ることは、そんなに許されないことなの。
誰にどう思われようがどうでもいいと思っていたのに、大切なひとと一緒に居るだけでその大切なひとが傷つくことがあると知った。
誰かに許してもらう必要なんてないはずなのに、理不尽な嫉妬や感情に邪魔されて「一緒に居たい」という単純な願いすら脅かされることがあると知った。
ふたりだけの世界に行きたい。誰にも何も言われない、邪魔なんて入らないふたりだけの世界。
誰もお前を傷つけることのない、俺と彼だけの…。
だけどそんなのファンタジーだ。実現することはないし、実際そうなってしまえば俺たちは生きられない。電気もガスも水道も食べ物も、当たり前のように手にしている全ては結局自分ではない誰かが作り出してくれているものだから。
俺だけでは今のように、何不自由ない生活を作ってあげられない。大切なものを守り切れない。
俺が紺から離れれば済むことだろうか。謂れの無い嫉妬の刃から彼を遠ざけるには根源である俺が離れるのが一番だろう。
…そんなこととっくに分かってるよ。
だけどゴメンな、それだけは出来ない。俺が…息が出来なくなってしまうから。身勝手だと解っていながらも離れるなんて考えられない。考えたくもない。
何か、何か無いだろうか。どうしようもなく無力で浅ましい、こんな醜い俺にも出来ること。
…見てくれだけで俺に好意を寄せてくるあの子らは、俺のこんな醜い内面なんて知る由もないだろうな。
逆に言えば、外見で俺の醜さは誤魔化せている…ということだろうか。外見。…外見か。
ふと教室の真ん中でわいわいと盛り上がる集団が目に入った。
見た目は結構チャラチャラしているが運動部で好成績をおさめているクラスの人気者や、学年でも美人だと評判の…名前忘れた。まぁそういう奴らが集まって、何がそんなに面白いのか毎日毎日わいわいと騒いでいる。
そうしてクラスメートは、何故だかあいつらには逆らえないらしい。クラスでも目立っているからだろうか。
実に下らないカースト制度だ。だけど。
…もし、利用出来るのなら。
あぁそうか。
俺があそこに行けばいいのか。俺があそこに行けば、見てくれしか見ない薄っぺらな奴らはきっと皆集まってくる。俺があの輪の中心に立って有りもしない愛想を振り撒いていれば、誰も俺たちに文句を言わなくなる。
勿論目立てば目立つほど俺に向けられる視線は増えるだろうし、理不尽な嫉妬ももしかしたら増えるかもしれない。けれどそんなものは黙らせればいい。「人気者」になってしまえば、きっとその力が手に入る。
そうだよ、どうせ何もしなくても妬まれてしまうのなら、何とかして彼を守れる方法を選ぼう。
俺の味方を増やしてしまえば、きっと誰も俺に文句を言えなくなる。誰も俺の機嫌を損ねるようなことはしなくなる。
きっと、誰も紺のことを悪く言わなくなる。
誰も紺を見なくなる。
もしかしたら俺以外誰も紺に気付かなくなって、俺だけが知っている宝石は本当に俺だけのものに、なる…。
俺の決意には、そんな薄汚い独占欲も混じっていた。
「それにしても茅ヶ崎?ってやつ、全然人の目見て話さねーよなぁ」
「話し掛けてもきょどってるっつうか」
「コミュ障なんじゃない?」
「っぽいわぁ。でも北村くんと幼馴染みなんでしょ?よく一緒に居るじゃん?」
「全く釣り合ってないってか…。付き纏われてんのかな?北村くん可哀想ー」
「ねぇ一回さ、あいつの眼鏡取ってみてやんない?」
「あはっ、いんじゃねそれ?返してーって泣いてきたりして」
まただ。クラスメートの話し声が聞こえる。
やばい。手が震えるな。
気を抜いたら俺はあいつらを…。
いや、駄目だ。
あれはただの雑音。空気の振動。
俺は俺の中で沸々と沸き上がるどす黒い感情を押し殺して、精一杯の柔らかな笑顔を作ってそいつらに話し掛けた。
「楽しそうだね」
「ひっ、きき北村っ!くん…」
「あっはは。北村でいいよ?それよりさ、次移動教室だよね?俺場所分かんなくって…」
「一緒に行ってくれないかな?」少し首を傾げてそう問うと、クラスメート達は一瞬きょとんと目を丸く見開き、やがてうんうんと頷いた。
俺に話し掛けられた驚きからか、元々空っぽな頭の中からはもうすっかり紺に対する興味を失っていたようだ。女も女で、少し頬を染めながら後ろを歩く俺を振り返っては俺の顔ばかり見てくる。
…本当に単純だ。
prev / next