mitei 無い降りた羽と | ナノ


▼ それを拾った僕の話。

白いロングTシャツに黒のスラックス。
荷物は何も無くて、ただ其処に立ち尽くす。

ライティングはどんよりとした薄曇の空から気まぐれに差し込む僅かな光に、雨上がりで濡れたアスファルトからの反射だけ。

昼間といえど人のまばらなこの路地で、宗教画の中を覗いているような気がした。

雨は上がったのに真白いキメ細やかな頬からは透明な雫がつうと流れて、それを拭うこともせずただ空を見上げるその人の瞳は見えない。

その光景から目が離せなくて同じ様に立ち尽くす僕に気付くと、その人は白銀の髪を揺らして一歩、また一歩と此方へ近付いてきた。
覚束無い足取りではらはらするが、それでも雨上がりできらきらとしたその光景から目が離せないままでいる。

手を伸ばせば届いてしまう程僕の側に来た彼は顔を上げる前によろけて、僕の肩にしがみ付いた。

…まるで初めて歩くことを覚えた赤子のようだと、ふわふわ揺れる白銀を見つめながら思う。

僕の肩に掴まったまま顔を上げたその人を見て、僕はさらに釘付けになった。

さっきまで白い頬を伝っていた透明がまた一滴零れ落ち、僅かにその軌跡を残してぽつりと顎を伝って地面へと落ちる。
僕の目を見据えたその人の瞳は雨上がりのようにびしょ濡れで、しかし周囲の光を確かに受け取ってきらきらと眩いまでに輝いていた。

…白銀の髪に、銀色の瞳。

外国の人、だろうか。涙の向こうの輝きが揺れる。
ぼうっと見惚れる僕から手を離し、真っ直ぐに姿勢を戻した彼は僕より頭ひとつ分くらい背が高かった。

ゆっくりと見下ろすと、何かを言いたげにもごもごと薄い唇を動かす。

何だろう。見ていた事を、怒られるのかな。それともまた泣くのだろうか。
でも表情は怒っている風でもまして悲しそうでもなくて、色もなくただ真っ直ぐに僕を見据えるだけだった。

泣いていた、んだよな?

どうして。ひとりで?悲しくて?苦しくて?切なくて?

それともまさか、嬉しくて?

会ったばかりの青年の感情にどうしてこうも思いを巡らせているのか自分でも分からないが、ただただ何かを言おうとしている目の前の彼を放っては置けない気がした。

彼の肌のように白いシャツの裾を掴んで、危ないからと少しだけ道路の端に引っ張る。
驚いたらしい青年が長い睫毛に縁取られた目を少しだけ見開いたが、まだ何か言いたそうだ。僕は服の裾を掴んだままで、言葉を待った。

一体何を言われるのだろうと心臓が煩くなるのを感じていると、徐に彼が僕の胸に手を置いた。
掴まれていない方の手で、壊れ物に触れるみたいに、本当にそうっと。何かを確かめるみたいにして、そうっと手を置いてきたのだ。

おおう、初対面でこれはセクハラってやつか…?と一瞬思わないでもなかったが、次の瞬間彼がぼそりと呟いた一言が僕の鼓膜へ届くとそんな考えはすぐに打ち消される。

ただ一言、彼が発した。

「…あったかい」と。

僕が裾を掴んでいた方の手はいつの間にかがっしり繋がれていて、指と指が複雑に絡み合い解いてくれそうにない。だけどそのおかげで僕は彼の発した言葉の意味が少し分かった気がした。
冷たかったのだ。彼が。

繋いだ手から手へ、僕の体温が彼の身体へと流れてゆく。流れてゆけばいいのに。

そう思ってしまうくらいには、彼は冷たかった。
まさか雨の中ずぅっと立ち尽くしていたのだろうか。この肌寒くなってきた季節の中、そんな薄着で。

まさかな、と思いつつも心臓のある場所に置かれた手に繋がれていない方の手を重ねれば、彼がぴくりと肩を跳ねさせた。
だけど拒絶はされなかった。

やっぱり、指の先まで凍えきっているじゃあないか。

僕は労わる様に彼の両手を取ると、その上に自身の手を重ねて温まるようにゆっくり撫でさすった。
白銀の彼はというと僕の為すがまま、されるがままになって身を委ねている。

このまま外に居たら風邪を引いてしまうんじゃないか。
そう思った僕は何処か中に入れる場所はないかと、きょろきょろと辺りを見回した。しかしこの辺りに店らしい店はないし、コンビニだって駅の方まで行かなければならない。

どうしたものかと手を擦ったまま考え込んでいると、ふと影が落ちてきた。
何の香りだろう。分からないけれど、すごく落ち着く、安心する香りがする。

見上げると不思議そうに僕を見つめる無垢な瞳がそこにあった。

あれ、僕は何をしてたんだっけ。何故僕は初対面の彼にこんなことをしているんだ…?

「あの、さ…」

「?」

日本語、通じるかな。でもさっき「あったかい」って言ってたし…。きっと大丈夫だろう。

「家、この辺?」

「いえ…」

僕が問うと、彼はふるふると首を横に振った。この辺りの人ではないのか。

「どこから来たの?」

「………」

そう問うと、彼はまた空を見上げた。
薄曇だった空は段々と晴れて、少しずつその青を見せ始めている。

まさか、家が分からないのか?
というかそもそも何故そんな軽装で、荷物も持たずに突っ立っていたんだろう。何か特殊な事情でもあるのだろうか。
初めて会った人に流石にそこまでは、踏み込めないよなぁ…。

「じゃあさ、友達とか居る?この辺りに」

「ともだちも…いない」

「そっか…」

せめて知り合いが居れば、その人の家に泊めてもらうことが出来ると思ったのだが…。居ないのならば仕方が無い。

先程より幾分か温まった彼の両手をきゅっと握り締めたまま、どうしたものかと再び考え込む。
交番に連れて行こうか。それにしても、何て言って?

見たところ僕と歳は同じくらいだし、迷子というには少し大人過ぎる。
けれど頼れる友達も居なくて、家も分からないときた。それに荷物も無いみたいだからきっとネカフェに泊まれるようなお金も持っていないのだろう。

どうしよう。初めはどこの宗教画かと見惚れていたが、何だか良く分からない事態になってしまった気がするぞ…。
しかし一度踏み込んだからには責任を持たねば、と謎の正義感でも抱いてしまったのか。
勝手に僕の口が自分でも驚く言葉を紡いだ。

「…うち、来る?」

「っ!」

言った瞬間にこれでもかと綺麗な目を見開いて、彼が「いいの?」と呟いた。握っていた手がいつの間にか繋ぎ直されていて、ぎゅうっと力が込められる。
ついに顔を出した太陽が白銀を照らして、ダイアモンドみたいな輝きを生み出していた。

さっきまで彼に見向きもしなかった人々が立ち止まってほうっと見惚れているのが視界の端に映る。

見られているのは僕じゃなくて彼の方なのは分かっているがそれでも居た堪れなくて、その場から早く動き出したくて僕はうんと頷く。

まぁいいや。帰ってからこの後の事を考えるか。

「ちょっとだけ歩くけど」

「いい」

「あの、手は」

「やだ」

どうやらこれは少し早足で帰らねばならないらしい。彼は繋いだ手を離してくれる気は更々無いようだった。
指先はもう冷たくなくて、僕の体温が少し彼に移ったようだ。

それは結構なことだが、如何せん周囲からの視線が痛い。
僕はそそくさと彼の手を引いて自分の家へと向かうことにした。

「そう言えば、あんなところで何してたの」

「…空を、見ていた」

「いや、それは知ってるけど…」

「やっぱりあったかい。つめたいままだったらどうしようかと、思ってた」

「…そう、か」

「うん。あったかい」

またぎゅっと手に力が込められる。
所々会話が噛み合っていないような気がするが、やっぱり海外の人なのだろうか。

…泣いていた理由、聞いたら教えてくれるかな。

「ねぇ、あの時なんで、」

「泣いてたの」。その言葉を紡ぐより先に、銀色を纏った視線が僕を捕らえた。

「分からない。思い出せないけど、多分ここに来る為だったんだと、思う」

何てちぐはぐな答えだろう。やっぱり良く解らないや。

彼の言葉の意味も、とくんと反応したこの身体の真ん中の感覚も。

良く、分かんないや。

雨はもう降らないだろうけど、早く家へ帰ろう。そうして温かいココアでも飲みながら、ゆっくり考えよう。

家に着いてから、とりあえず彼に風呂に入るよう促した。
その内に洗濯をしてしまおうと、彼の着ていた真白いシャツに手を伸ばす。

すると背中に二つ、裂けたような穴が開いていることに気付いた。手を繋いでから帰るまでずっと隣を歩いていたから気付かなかった。

暫く沈黙して、ハッと我に返るとまだシャワーを浴びているらしい彼に扉越しに問いかけた。

「ねぇ!背中、怪我とかしてないよね?」

手に持ったシャツに血は滲んでいなかったが、それでも万が一の可能性が脳裏を過って不安になってしまったのだ。
すると僕の問いかけに気付いた彼がキュッとシャワーを止めて、裸のまま浴室から出てきた。

わっと咄嗟に目線を逸らしてしまうが、彼がくすりと息を漏らしたのに気付いて目線を戻す。
見ると、見事に傷一つない真白い背中があった。僕を安心させるためにわざわざ見せに出てきてくれたのか。

それにしても、良かった。念の為他に何処も怪我などしていないか訊くと、彼は嬉しそうに満面の笑みで僕を抱き締めてきた。
もちろん、一糸纏わぬ姿のままで。

驚きやら羞恥やらで固まってしまうがそれでも一言、彼の桜色の唇が紡ぐのは始まりのあの一言だった。

「…あったかい」

初めて聞いた時より柔らかな響きを持ったその音に心音のような安堵を覚えて、僕からも自然に笑みが零れる。

そう言えば、お客さん用の布団が無かったな。

嗚呼、何でもない、ありふれたおかしな日々の始まりだ。

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