mitei 無自覚な天然石 | ナノ


▼ 6

…ここに居るのに、居ないみたいだ。

その夜、夢を見た。
昔、と言ってもほんの数年前の過去の夢。

教室に居ても誰も僕に気付きもしないことなんていつものことなのに、その日は何だか学校に行きたくなくて、僕は公園でぼうっと虚空を眺めていた。

薄暗い曇天の空。
雨が降るのか降らないのか、はっきりしたらいいのに。そういう優柔不断なところも、好きじゃないなぁ。

そんな事を考えていると、一匹の猫が寄ってきた。真っ黒い、綺麗な黄金の瞳をした猫だった。

何も食べ物を持っていなくてゴメンねと謝ったのにその子は僕の隣に座って、触っても逃げないものだからポンポンと丸い頭を撫でていた。

ふうと吐いた溜め息は曇ったままの空へと消える。

こんなところで逃げていたって、何にもならないのにな。

ふと呟いた、自分への言葉。
一種の自嘲のつもりだった。

『ここに居るのに、居ないみたいだ…』

途端、背後でガサッと草が鳴った。
その気配に驚いたらしい猫はぴょんと跳ねて何処かへと走り去ってしまって、その背中を追い掛ける前に誰かが僕の手首を引っ付かんだ。

振り返るとそこに居たのは、さっきの猫みたいに真っ黒な髪と、真っ黒な瞳をした同い年くらいの少年だった。

「ねぇ、今の言葉」

「あ、えと、」

突然のことに吃驚してしまった僕は咄嗟にその腕を振り解いて、やはりさっきの猫みたいにその場から逃げ去ってしまった。

それだけ。
まともに会話すら交わしていない、ほんの一瞬だけの邂逅だった。

「俺のこと…言われてるのかと思った…」

その後残された少年がポツリと溢した言葉が僕の鼓膜へ届く事は無かったのに。



「どうして…まさ、か…?」

まだ半ば夢心地のままのそりと重い身体を持ち上げ、何も無い壁をぼうっと見つめる。

さっき見た夢の記憶は遠ざかってゆくけれど、代わりに鮮明に思い出される過去の記憶と昨日の出来事。

部屋に呼ばれたことと、そこで見つけた四角いパッケージの文字。
押し倒される様な形になって、キ…キスされて、それから…。

改めて思い出すと、僕はすごいことをされたんじゃないか…?
今になってまた頬に一気に熱が集まるけれど、同時にさあっとその熱は引いていった。

懇願するように縋る彼を、僕は困惑したままに拒否してしまった。
それは正しかったのだろうか…。けれど他にどうしていいか分からなかった。

そう言えば紛い物って、何だ…?本物じゃなきゃって、言ってたような…。
あの流れでいくと僕がその本物ってことになるのだろうか。

何故、どうして。その言葉だけが思考を支配する。

それにあの時、耳元で囁かれた言葉。

そうだ、僕はあの言葉を知っている。だって他でも無い僕が僕に向けて放った言葉なのだから。
偶然だろうか…。だけど僕ははっきり思い出してしまった。あの曇天の日の、僕にとっては何でもない日の出来事を。

手を掴んできた少年が制服を着ていて、僕と同い年くらいであろうことは思い出せるけれど流石に顔までは鮮明に思い出せない。
黒い髪に黒い瞳。夢で見た少年と、現実の少年が同じ色だったかも今は証明する術がない。

…もし、あの時の少年が彼だったとしたら?

あの時何気無く放った言葉を、彼が拾っていたのだとしたら。

なんてまさか。
そんな偶然ある訳ないのに。



次の日から、彼が僕に話し掛けてくることはパタリとなくなった。

…まぁ当然だろうな、と思いながらもやっぱり僕の思考は纏まらない。

唇の感触も身体に残っている筈のない彼の温度も消えてくれないままだ。

あの時僕はどうすれば良かった?どうするのが正解だったの?

されるがままに受け入れれば良かったのか?あの時は一杯一杯でよく分からなかったが、正直嫌悪感は無かった。

色の無い表情は少し怖かったけれど…。

彼は僕の事をそういう意味で好きだったのだろうか。
同意ならいいって、つまりはそういう事をしたいっていう意味の…。

『みんないいって言ってくれたよ』

ふと彼の言葉が蘇る。何だか棘みたいに刺さって、チクリと胸の辺りが痛くなった。

みんなって、誰…。僕だけじゃない、他の人ともそういうことしてきたってこと…?

確かに好きにすればいいとは言ったけど、でも…。

中庭の人気のないベンチで一人考え込んでいると、また賑やかな集団の騒ぐ声が近付いてくる。
あぁ、やっぱり彼は何処に居ても目立つんだ。

今その姿を見たくはない筈なのに、自然と目で追ってしまうんだ。

瞬間ピリッと電流で繋がったみたいに、紫色の双眸と目が合った。
どくんと、身体の中心で心臓が何かを告げている。

恐怖、だろうか。罪悪感だろうか。…それとも。目が合うだけでこんなにも鼓動が速くなるのは、どうして…。

数秒間目を合わせた後、彼はふいと集団の中へ視線を戻してしまった。僕を見る無表情からパッと花の様な笑顔に変わる。

嗚呼まただ。棘が痛い。

「…見てて欲しいって、言った癖に」

分かっている。それを壊したのは自分なのだ。

なのに今更また前みたいに話したいなんて、笑いかけて欲しいなんて、触れて欲しい…なんて。

思ってしまったことはもう、消せないのだと知った。

「あ、そっか…」

僕は彼のことを…。

僕は自分が思っていたよりずっと、こんな醜い感情を拗らせてしまっていたようだ。
こんなことで実感したくなかった。恋愛が楽しいばかりじゃないどころかこんなにも苦しいなんて、知りたくなかった。

どうして。
知らない頃はあんなにも知りたくて堪らない感情だったのに、どうして今になって…。

ぎゅうっと胸の辺りを握り締めるけれど、そんなことでこの痛みが消えてくれる訳がない。

自分の気持ちは分かってしまった。なのにやっぱり分からない。
分からないんだ、彼の考えてることが…。

うだうだと考え込む僕に、風がはらりと一枚の葉っぱを運んできた。
いつか彼の頭を乗せていた僕の膝の上にそれはひらりと舞い落ちて、弱い風を受けてゆらゆらと揺れている。

何となく手に取ると、それは見覚えのあるサイズ感でまたあの部屋での出来事を思い出した。

そうしてハッとする。
烏滸がましい考えかも知れない。だけどあの時、何故あの小さな箱をわざわざ見つけやすい場所に置いていたのか。

何故あの時、簡単に逃がしてくれたのか。

何故、僕の意思を尊重してくれたのか。

何故…今まで僕に執拗に話し掛けてきていたのか。

彼は本当はどうしたかったの。

僕は本当は、どうしたいんだ。

はらりと膝の上の葉っぱが地面へと落ちていった。誰も居ない隣はやっぱりとても広い。一人で居た頃よりずぅっと広く感じてしまう。

他人の温もりなんて知らなかった頃よりずっとずっと、広く感じてしまうよ。

僕にその感覚を植え付けたのは彼なのに。
何故だか無性に腹立たしくなってきたな…。

勝手に人の領域に入り込んで勝手に侵食して、勝手に盛ってきたかと思えばちょっと拒否したくらいでまた他人行儀に戻って…。

一体どれだけ人のことを振り回せば気が済むんだ。まさかこのまま何も無かったことにするつもりじゃないだろうな?

さっきまでのチクチクした胸の痛みが段々と苛立ちに変わって、遂に耐え切れなくなった僕は勢いよくベンチから立ち上がった。

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