mitei 無自覚な天然石 | ナノ


▼ 3

世界が少しずつ、ほんの少しずつ色付き始めている。その不思議な感覚に、僕はまだついていけていないのだけど。

「ねぇ知ってる?」

「…なに」

根気強く声を掛けられ続けて数ヶ月経った頃。中庭のベンチで本を広げ今日も黙々と読書に勤しむ僕の真下で彼が言った。

ちなみに僕と彼の顔の間には小さな文庫本があって、表情は僅かに開く口元しか見えない。

人が少なくて良かったと心底思う。
というか、慣れというのは恐ろしいもので。

話し掛けられるのが普通になるといつの間にか彼は僕の直ぐ隣に座ったり、ゴミがついてると何度か髪に触れてきたり、疲れたと言ってこてんと肩に頭を預けて昼寝してきたりとスキンシップが増えてきた気がする。いや、確実に増えてきた。

そうして今、何故だか僕は彼に膝枕をしている。

いや本当に何でだよ。
これがリア充コミュ力オバケパワーだろうか。

授業と授業の合間の時間。心地好い日陰で読書をしていると、いつものごとく彼がやって来て隣に座った。そこまでは良かったのだ。

ところが彼は徐にごろんと寝転がると、余りにも自然な動作で僕の両足を枕にして「ふう」と短い息を吐いた。

どうやらいつもより疲れているらしい。

「いや何やってんだ」と一度は拒否した膝枕だが、「…おねがい」と小さな力無い声で懇願されては断るものも断り切れず…結局今の状態に至る。

…こんな近くに、というかこんなにも直に人の体温があるって変な感じだな。
さっきから本を広げてはいるが、足の上がむずむずして内容など全く頭に入ってきていない。

そんな僕の心情を知ってか知らずか、彼はぽつりぽつりと話を続けた。

「あのね。別に最近言われ始めたことでもないんだけど」

「うん」

「…俺みたいな見た目だとさ、遊んでないと損なんだって。告白も断っちゃいけないし勉強も真面目にしてるとウケるらしいし、童貞とか論外なんだって」

「誰が決めたの、そんなこと」

「さぁ?分っかんない。でもみんな言うんだぁ。『そんな見た目なのにもったいなぁい』って」

「ふうん」

彼の周囲の言うこと、分からないでもないな。告白を断っちゃいけないとか真面目に勉強するのがウケるとかど…童貞は論外とか、そこまでは思わないが。

しかしそれらが誉め言葉かどうかは彼の捉え方によるにしても、彼ほどの見目麗しさとコミュ力があって恋人を作らないのは何故なんだろうとは常々思っていた。

僕みたいな陰気な人種とは違うのだから、思う存分楽しめばいい。沢山の友達に囲まれていつも笑って、恋人も作って恋愛もそれなりにして。まさに青春じゃないか。

僕にはそういう事は無縁だしてんで分からないが、恋愛って楽しいものなんだろう?
勿論楽しいだけじゃないかも知れないが、どちらにせよ彼にはそういった事を経験出来る機会がそれはもう沢山あるのは事実だ。

それを存分に活かして毎日を楽しくすることは別に悪いことじゃないと思うし、僕だってチャンスがあるのなら少しくらいは…という羨望もある。

分かってる。これはただの身勝手な嫉妬だ。こういうところ、つくづく嫌になっちゃうなぁ。

僕が溜め息を吐きそうになると、それよりも早くまた膝の上で小さな溜め息が聞こえた。

やっぱりいつもより元気が無いな…。

もしかして彼が疲れているのは、そういう言葉を聞き飽きたからなのかな。まぁ確かに散々言われる側にしてみれば「放っといてくれ」みたいな気持ちになるのかも知れない。

まぁ告白されたからといって必ずその人と付き合わなきゃいけないことはないし、勉強を真面目にすることを馬鹿にされる意味も分からないし、どうて…そういった経験が無くたって別に恥ずかしいことじゃない。

あれ、ちょっと矛盾してるかな僕。
そういう機会があるのなら楽しめばいいとも思うけれど、それは彼自身が決めることだ。
望んでいてもいなくても、彼には多くのチャンスと、それらを選ぶ権利があるのだから。

「無理してする必要は無いと思うけど、もししたいなら…。してみればいいと、思うよ」

もごもごと口を動かして、何とか彼の言葉に僕も返した。文庫本越しに見える薄い唇がゆっくり開くけれど、それだけじゃどんな表情をしているのかやっぱり分からないな。

「何を?」

「だから、勉強も遊びも恋愛も、したければその…セ、…も」

「セ?」

「セッ…性交渉…だよ!」

膝の上からは何の反応も無い。
いつもあれだけ煩い癖に…。何か変なことでも言ったのだろうかと不安になるじゃないか。

内心あせあせして文庫本を少し閉じ、顔を覗き込もうとすると急に彼が起き上がってベンチの上で笑い転げ始めた。
驚いて飛び退いたからぶつかってはないけれど、一体何なんだこいつは。肩を震わせて笑いを堪えているようだけど、「ふっふふ、」と漏れる息がはっきり聞こえる。

そうしてちらりと振り返ったかと思うと彼はまた口元を抑え、吹き出すのを何とか堪えていた。が、全く堪え切れていないのが腹立たしい。

…彼は大人しそうな見かけによらず、本当によく笑う人なんだよなぁ。

「………ぶ、はははっ!顔赤い!あっはは!照れ過ぎじゃんー!かわいーい」

「るっさいな!見んな!あっち行けよもう!」

「やぁだよ。居心地好いんだもん、ここ」

「はあぁ!?」

「ぶっ、ふふ、せ、性交渉って…、セッ、ふふ、」

一通り笑った後でまた当たり前のようにごろんと僕の膝に戻った彼は、まだ「ふふふっ」と小さな笑いを溢している。

本当に意地悪な野郎だ。
本の角で殴ってやろうか。

「さっきの、わざと言わせたな」

「何のことかなぁ?」

「むぅ…。もういい!」

「して、いいのかな」

膝の上で、急に真剣になった声が言う。

「したいんならすればいいだろ?告白だってされても嫌なら断ればいいし、勉強に真面目な事は恥ずかしい事じゃない」

「や、まぁそれもなんだけど…」

「だけど?」

「性交渉は?」

「だ!…から、それも…その…相手とちゃんと同意の上、なら…」

「いいの?」

「何回も言わせんな!」

「同意、ね…」

「…?」

今度こそ文庫本を閉じて膝の上の顔を覗き込んだ。
眉根を寄せ、何やら難しそうに考え込むその表情を見て、身体の中心がじんと鈍い痛みを持ったことに僕は気付かない。

同意という言葉を反芻する彼は誰か特定の人物を思い描いているように見える。
もしかしてこいつには、想う人が居るのだろうか。

彼に好きだと言われれば大抵の人は喜ぶだろうけど、それでも上手くいかないこともあるんだろうか。もしかして既に恋人がいる人を好きになっちゃったとか?何かそんな特殊な事情があって片想いをしているのかな。

なんて。小説の読み過ぎかな。

そもそも、そんなことを気にする必要は僕には無い筈なのに。

というかそろそろ、足が限界だ…。

「あの、さ…」

「んー?」

「やっぱこれは何か近くない…か」

「そうかな?いつも通りでしょ」

今更ながら膝枕について再度抗議を試みたが、さらりと流されてしまった。不満そうな僕を見上げた彼が、徐に手を伸ばして僕の髪に触れる。
一瞬だけするりと撫でて直ぐに離されたけれど、視線までは外されることがなくて。今まで抱いていた疑問を思わず口に出してしまった。

「何でいつも、僕の目じっと見てくるの」

「きれいだから」

「は?」

「きれいだなぁと思うから。きれいなものは、ずぅっと見ていたくなるものだろう?」

またふっと息を漏らして膝の上で彼が言う。どの口が言っているんだ、全く。

「やっぱ意味分かんない」

「ふふっ。ねぇ、この後は?ヒマ?」

「この後授業」

「そっか。じゃあそれまで膝貸しててね」

「まだ居る気なの…。はぁ…。あとちょっとだけだからな」

「りょーかい…ねむ…」

僕の了承の返事に満足したらしい彼は、うとうとと微睡んでやがて目を閉じた。
閉じられた瞼の裏で、あの輝きも眠ってしまったのだろうか。そろそろ本当に足が痺れてきたんだけどな。

あぁでも、こういうのも悪くない。穏やかってきっとこういう時間に使う言葉なんだろう。

さわさわと、柔らかい風が僕らを包んで流れていった。

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