鏡を見た。
ゾッとした。
そこに映っているのは確かにおれで、おれじゃなかった。
あぁ。こういうモノをナカに飼っているのかと、その時はっきり理解した。
いや、理解したなんてやっぱり嘘だ。本当はたった一部を垣間見ただけ。それだけに過ぎない。
気分が落ち込んでいる時、何もかもに絶望した時。
人の目も鏡も見たくないと思うのはきっと防衛本能だったんだ。
人の目も鏡のようなものだから、本当のものを映し出してしまうから。
おれはそれを見るのが怖かったんだ。
瞳の奥の刃は鋭くて、鈍く光って切っ先を真っ直ぐおれ自身に向ける。
怖いと思った。
その刃がおれに向いていることにじゃない。
おれがいつかこの鋭い切っ先を誰かに向けたらと思うと、怖くなったんだ。
あの頃のおれなら何も気にしなかっただろうな。
寧ろ「だから何だ」、という風に思い切りコレを他人にも振り翳していたことだろう。
おれがおれに牙を剥いていることなんてずっと前から分かってる。
分かっていて、放置していた。
だって好きでもないものに優しくなんてできないでしょう。なぁ、そうだろ。
そう悲痛な顔で呟くのは少し前の…彼に出会う前のおれ自身だ。
今そんなことを彼の前で口走ったら、また頭突きされてしまうだろうか。
めちゃくちゃ怒るだろうな。変なの。自分のことでもないのにさ。
「いまはちがう…。だいじょうぶだよ」
過去のおれを諭すように囁きかけるけれど、それでこの棘が抜けるワケじゃない。
分かってる。きっとこの痛みも必要なんだ。
恐怖心も不安も、必要なんだ。
これらが無ければおれはこいつを止められないし、宥めることも、自分に優しくすることも出来ない。
きみがくれたんだ。
温かさだけじゃないこの恐怖も不安も、痛みでさえ。
他の誰でもない、きみがおれに与えてくれたんだ。
だからおれはこの刃がきみに向かないように、必死でおれからきみを守るんだ。
『馬鹿じゃねぇの』
きみが言う。
『そんなので俺が納得するとでも思ったのか?阿呆か』
だよね。きみはそういうひとだよ。
嗚呼、今までおれはおれのものだったのに、おれ自身を傷付けることを赦してはくれないんだ。きみの意思に関わらず、もうおれはおれのものではないけれど。
そんなことはきっと考えもせずに、おれがほんのちょっと自分を傷付けようとしただけで、きみは本気で怒るんだ。
まるで自分のことのように。いや、きっと自分自身が傷付けられるよりもずっと本気で怒るんだ。
それだけ大切に想ってくれているんだと、自惚れてしまうくらいに。
残酷なひと。だけどとても、優しいひと。
今無性にぎゅってしたい。
匂いを嗅いで、全身であの温度を辿って、手の平でその髪を梳いて。
目を見せて。
何よりも鮮明に映すその鏡に、おれはどんな風に見える?
顔を見せて。
こんなおれを見て、きみはどんな表情を見せてくれる?
きみのせいで怖いものが増えたよ。
大事にしたいって、思うのになぁ。
「変態っ!」ってまた怒られるかもしれないけれど、明日会ったら一番にぎゅうってしよう。
そうしたら顔を覗き込もう。恥ずかしさで涙目になったら、きっといつもよりきらきら映るだろう。
…どうか。
どうかきみの目に映るおれが、きみの望む姿でありますように。
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