「なぁ、もし俺が悪魔だったらどうする?」
「…は」
机に肩肘をついてにやにやと口角を上げる親友は、僕にどんな答えを期待しているのだろう。
さらさらの黒髪に相応しい漆黒の瞳、歳の割ににきび一つ無いキメ細やかな肌は悪魔というより天使のようだが。
相変わらず発言が突拍子も無くて反応に困る。
小学校からの付き合いだから流石にもう慣れたけど。
「な、お前はどうする?」
「別にどうもしないよ」
「えー」
子供らしくもあり大人の色気もあり…。どちらでもない、けれどどちらも有した危うげな濡れた瞳をちらりと一瞥して僕はまた日誌を書き始めた。
カリカリと、芯の無くなりそうな先端が紙を削る音が響く。
僕の短い返答から暫くすると、頭上からわざとらしい溜め息が聞こえてきた。
あぁこれは…構って欲しい時の合図だ。
全くしょうがないなぁ。
僕は少々面倒臭く思いながらも逆に質問を投げ返してやった。
「じゃあ、お前はどうするんだよ」
「何が?」
「悪魔だったらって話。自分が言い出したんだろ」
「んーとね、」
逡巡の後、彼は休みの日のプランでも話す様な軽快な声音で言った。
「お前の魂を連れていくかな」
「え、僕殺されちゃうの?それはちょっと…」
「違う違う、寿命を全うした後だよ。お前の魂を、一緒に連れてく」
「えぇ…」
連れてくって…。悪魔なんだから、勿論地獄にってことだろうか。イフの話であったとしても何て事を言うんだこいつは…。
日誌から顔を上げて反論の意を込めじとりと睨み付けると、何故だか彼はより一層瞳の輝きを濃くして楽しそうに微笑んだ。
無邪気に笑ってるけど先程の発言は全然笑えたものじゃない。解釈によっては地獄に道連れにしてやると言われたようなものじゃないか。
ふわりと、開けたままの窓から風が入り込んだ。
薄汚れたカーテンがそれに合わせて舞い上がるのが彼の奥に見える。
「じゃあもしさ、」
「え、なに」
ピントを彼に合わせると、頬杖をついたまま少しだけ顔を傾けて彼が続けた。
「俺が天使だったら、どうする?」
「だから別に、どうもしないよ」
「驚かないの?」
「んー…羽が生えてたら流石に吃驚するかもな」
「それはちょっとここじゃあ出せないなぁ。残念」
「あるのかよ」
「どうでしょう」
まぁでも、天使の輪ってのは艶々の黒髪に輝いてるもんな。こいつなら本当に天使でしたーとか言われても納得してしまいそうだ。
性格はちょっと悪魔よりだけれど。
「じゃあまた聞くけど、」
「なぁに」
日誌を閉じて、僕はまたしれっと質問を投げ返してやった。
気のせいかな。先程よりも顔が近付いている気がするんだけど、まぁいいか。
「天使だったら、どうする訳」
「俺が?」
「そ。どうすんの」
「んーとね、お前の魂を連れてく」
「また?!」
「うん。あ、もちろん生涯を終えた後だよ?」
「それでも…えぇ…」
「嫌?」
「嫌っていうか…。あ、でもそれなら天国に逝けるってことか」
「まぁ、もし俺が天使だったらなんだけどね」
「ふふっ」と悪戯っぽく微笑う睫毛が揺れる。
天は二物を何とかって言うけれど、容姿端麗で成績も運動神経も申し分無い彼は性格だけは良いと言えたものではない。
何を考えているのか分からないというか、その思考回路が全くもって理解出来ないところがあるのだ。
「とにかく、どっちにしろ僕の魂はお前に持ってかれるのか」
「うん」
「即答かよ…。何で僕なの」
「なんで?」
「もっと他に…まぁいいや」
きょとんと首を傾げる仕草は幼い子供のよう。
けれど真っ直ぐに僕を射抜く瞳にはしっかりと大人の色気が宿っている。
それを見て、深くは追求しないでおこうと僕の勘が言ったので僕はそれに従うことにした。
筆箱をしまって、帰る準備を進める。後はこの日誌を職員室に返して…あ、あと鍵もか。
何だかすごく見られている気がして、鞄の中に落としていた視線を上げるとそこには案の定頬杖をついたままの親友が居た。
さっきまでの楽しそうな微笑みはどこへやら。形の良い唇を真っ直ぐに紡ぎ、少し俯き加減でまた彼が問うた。
「じゃあ、さ」
「うん」
「もし俺が人間だったら、どうする?」
悪魔でもなく天使でもなく、ただの人間。
背中に空を飛べるような翼は無くて、寿命も科学が進歩しているとはいえ長生きして百年かそこら。
不思議な力も無ければ、死んだ後に魂をどうとか、そんなことも出来ないし分からない。
どこにでもいる、世界に少なくとも数十億はいるうちの一人。
「…僕は、どうもしないよ。お前は?」
「俺は、」
今度は死後に魂を、とか言えないな。だってただの人間だもの。死んだ後どころか、明日のこともよく分からないただの凡庸な。
鞄を持って椅子から立ち上がると、彼も一緒に立ち上がった。くいと引かれた手首に僅かに感じる、彼の熱。
あぁほらね。やっぱりきみは悪魔でも天使でもないんじゃないか。
僕と同じ、ただの不器用なヒトモドキじゃないか。
「魂を、またどっかに連れてくの?」
「ふふっ」と今度は悪戯っぽく僕が笑った。いつの間にやら、頬にするりと熱が移される。
「ううん。それはまだ分かんない」
「そう」
ぎゅうっという効果音が付きそうな程に抱き締められる。
腰に回された手が少し震えている気がして、宥めるように僕より少し背の高い彼を抱き締め返した。
固いこの骨は、きっと翼があった証だ。
飛べた頃の記憶は何処へ行ってしまったのだろう。
地に足を着けて、歩いて走って寝転んで。翼の無い僕らは結局悪魔でもなく天使でもなく、重力に身を任せるただのニンゲン…なのかも知れない。
「ねぇ、もし俺が人間だったらさ、」
「うん」
「お前が死ぬまで一緒に居てもいい?」
「…うん。いいよ」
その後のことは、その時考えよう。
とりあえずこうして抱き締め合っている間は、互いがそこにあることを感じられるのだから。
開けたままの窓から白い羽が舞い降りてきた。
だいじょうぶ。きみのことは僕が連れていくよ。
もちろんヒトとしての生涯を共に全うしたその後で、ね。
prev / next