二人で帰るこの道はいつも長いようでいてとても短い。最近は特に。
藤倉は今日も長い脚を俺の歩幅に合わせながら、楽しそうに口角を上げっぱなしにしている。気のせいか、花が飛んでるのが見えるくらい…。
「まさか澤くんからあんなお願いされるとは思わなかったなぁ」
「お願いっていうか、結局お前一人で何とかしちゃったじゃん」
「まぁ澤くんからのお願いなら頑張っちゃうよね」
「あっそ…」
ぐっと両手を握って前で揺らす姿はどことなくあどけない。しかしまたこんな風に楽しそうな姿が見られて良かった。
…本当に、良かった。
俺が藤倉にした二つ目のお願い。
それは「自分の潔白をちゃんと証明して学校に来ること」だった。
だってこのままじゃやってもいないのに藤倉が犯人ってことにされてしまうし、自主休学ってのをいつまでも続ける訳にもいかない。それに…。
「たくさん心配かけちゃったね」
「本当にな」
連絡くらい返せっての。ばぁか。
「寂しい思いも、させてゴメンね?」
「まぁ別に…お前が居ないと何か変ってか…隣スースーして落ち着かないだけだし。寂しいって訳では」
「んっふふふ」
「笑い過ぎだろ…」
いつも通りのヘラヘラした顔。柔らかく歪む目元に、伏せられて僅かに揺れる睫毛。緩い風に簡単に靡く、細くて繊細な猫っ毛。
何度見ても飽きない光景に、俺は知らない内に見惚れてしまっていた。
真顔も寝起きみたいな気怠げな顔もいいけれどやっぱりこいつには、このヘラヘラした笑顔が一番似合う。気がする。
というか、こんな無邪気な笑顔を前に無視出来ない疑問がひとつ。
「ってか、一体どうやったの」
「なーいしょっ。もちろん殴ったりしてないよ?本当の事証言して欲しいなって改めてお願いしただけ」
改めてお願い…。俺も一緒に行きたいって言ったんだけど、「大丈夫だよ」って頑として断られてしまったし、気付けば「終わったよー」と何とも軽い報告があったのみなのでそこで一体どんなやり取りがあったのか俺は知らない。
というか俺こそ当事者で、俺が自分で何とかしなくちゃならない事だったのになぁ。
こいつにはただその手伝いをして欲しいだけだったんだけど、結局藤倉一人であっさりと解決してしまった。
そもそもこいつには何の関係も無いことなのに悔しいやら情けないやらで、自分に腹が立ってくるなぁ。俺もこいつくらい、とまではいかなくてももっと頭が良ければ何か出来たんだろうか。
「もしかしてさぁ…俺がお願いする前から何かしてたり、した?」
「何かとは?」
「その…色んな準備?とか」
「さぁ?どうでしょう」
「え、してたの?」
「まさか」
ふふっと微笑む姿は一見優しげに見えるけれど、たまに本心を隠されている気もする。本当のところ、俺がこいつの全てを知ることが出来る日なんてきっと来ないのかも知れない。
…少なくとも一生はかかるって、こういうことだったのかな。
「何だかなぁ…」
「っていうか澤くん」
「なに」
「あの時俺のこと好きって言ったね」
「あの時…?」
って何の時だ…?そんなこと言ったかな。
記憶を整理して、ひとつずつ遡って自分の言動を思い出せる限り振り返ってみた。すると、小さな心当たりがひとつ。
まさかあの、ドアの前で呟いた言葉…?
そう言えばそんなこと言ったような言ってないような気も…?っていうか、そもそも聞こえてたのか?あれが?
だって俺自身でも聞き取れるかどうかくらいの音だったぞ?
「嬉しかったよ、俺」
「好きなんて…言ってないし!」
「嘘。ちゃんと聞いた」
「幻聴だろ」
「じゃあそれでもいいよ。俺にはちゃんと聞こえたから」
「ぐっ…!仮に言ってたとしても、別にお前のことなんて言ってないし!」
「そうなの?じゃあ何に対して言ったの?」
「え、えと、あの…あれ!カ、カリフラワー…?」
「ぶっ!ふ、ふはは、あはははっ!」
「わ、笑うなっ!」
「だ、だってカリフラワー嫌いって言ってたじゃん、というかよりによって…ふふっ。誤魔化すの下手過ぎて…はぁーもう…本当に…」
額を押さえて俯いた藤倉はまだ僅かに肩を震わせながら、ふうっと一度深呼吸した。
今更だけど俺が頭突きしたところ、痣になったりしてないかな。俺は暫く赤くなっただけで痕ももう消えたけど、やり過ぎだっただろうか。でもやっぱ気持ち的には後二、三発はかましてやっても良かったかも知れない。
それくらい、今回の事は反省して欲しい。
「あのさ、もし」
「…うん」
俺が話し始めると真剣な雰囲気に気付いたのか、隣から聞こえる足音も小さくゆっくりになった。その僅かな空気の変化が、今俺は一人で歩いている訳ではないことを教えてくれる。その大変さも面倒臭さも大切さも愛おしさも全て噛み締めて、一歩ずつ。
歩きながら、俺はわざと意地の悪い言い方で藤倉に語りかけた。こんな聞き方をすればこいつがどう返すかなんて分かりきっているのに、それでもどうしても分かって欲しくて。痛みを想像して欲しくて、こんな意地の悪い言い方をすることを許して欲しい。
「俺が自分のことを傷付けるようなことしたら、お前はどう思う?何も思わないんなら、別にそれはそれでいいんだけどさ」
「え、そんなのっ」
決まってるじゃん、と言うだろう藤倉の言葉の続きを敢えて飲み込ませて、俺は勝手に話を続けた。
「少なくとも、俺は傷付くよ。お前が傷付いたら俺も同じだけ…とは言えないかも知れないけどちょっとは傷付く。俺だけじゃない。お前のこと大切に思ってるひとも皆、傷付くことになるんだよ。それだけは、覚えといて」
「…うん。ごめんね」
「次同じようなことやったらマジで禿げるまでその髪むしってやるからな」
「えっ、あ、はい…本当すいませんでした」
じろりと横目で藤倉を見上げると、それでも彼は目線を逸らすこと無く俺を見つめ返した。榛色の双眸はやっぱりこいつのお母さんに似ているなと思ったけれど、こいつの方が少し明るい。
「それから」
「え、何でしょう」
「ありがとな。俺の為に怒ってくれて」
「澤くん…違う…あれは俺のためで、自己満足で、そのせいで」
その所為で俺にまで濡れ衣が着せられそうになったと。そう言いたいんだろうけどあいつらは元々そのつもりだったのだからこいつが謝る事なんて何一つ無い。
あるとすれば、俺にも藤倉のご家族にもめちゃくちゃに心配かけやがった事だけだ。
「うるせぇそれ以上ネガッたらむしるぞ。なら俺も自己満足で礼言うよ。ありがとう、藤倉」
「…あ、えと………」
「いいよ、俺が勝手に言いたかっただけなんだから」
「うん…心配かけてごめんね。心配してくれて、ありがとう」
「ん。もういいよ。というかおでこ大丈夫か?」
「え、あぁ!だいじょう…ぶじゃないかもしんない」
「え?まさかたんこぶでも出来た?いやでもお前、え、嘘」
「確認してみる?」
こいつに限ってそんなたんこぶなんて…いや、できたのか?俺でも赤くなって終わった程度だったのに?
でもまさか本当にできてたらちょっと申し訳無いな…ファンクラブにも怒られちゃう。
徐に目の前で立ち止まり、見やすいように少しだけ屈んだ藤倉の前髪を恐る恐る掻き分けて額に触れてみた。うーん…赤くも青くもなっていないし、見た目は何も問題は無さそうだ。そうっと指先で触れて横になぞってみても、こぶらしき凹凸は見つからない。というかスベスベしてて気持ち良いな。
そんな俺を見つめる蕩けた眼差しに、たんこぶ探しに夢中になっている俺は気付かなかった。「ふっ」と息の漏れる音がして漸く少し下に目線をずらすと、長い睫毛に縁取られたあの光が真っ直ぐにこちらを見ている。
どくっと心臓が高鳴ったのは、きっと見られていたことに驚いたからだ。
光が戻った眼差しは眩し過ぎて長く見ていられない。思わず目を逸らした瞬間、視界が暗く翳った。何事かと前を向き直すとふと瞼に落とされる、柔らかい感触。
まさかそんなところにキスされるなんて思わなくて、羞恥より先に驚きで俺は固まってしまった。そんな俺を見て何が面白いのか、また「ふっ」と息を漏らして微笑んだ藤倉は反対の瞼にも同じようにキスを落とした。
そうっと首筋に添えられた手の温度がやけに冷たくて、瞼は擽ったくて、頬には勝手に熱が集まる。固まったままでいると首筋に置かれていた手がゆっくりと肩まで下りてきて、痕が付いているであろう場所をゆっくりとなぞった。
「ちょっ、何して」
「…俺も。痛くしちゃってごめんね」
噛んだ時のことだろうか。確かに痕はまだ残ってるけど、あの時痛かったのはきっと俺よりもこいつの方だったろうに。
「もういいって言ってんだろ。それより、お前に馬鹿ってはっきり言われたこと忘れねぇからな」
「あ」
いやいや、お前は忘れてたのかよ。何か腹立つな。もっと意地悪してやろうか。
「あと、珍しい舌打ち藤倉も」
「え、あ!あれは忘れて!お願いします!」
やっぱりあれは見られたくないやつだったか…。そうやって慌てる姿はいつもの藤倉で、やっぱり安心する。
「ふはっ、まぁいいじゃん。さぁ帰ろう」
「…ん」
でこぼこなんだよなぁ、この道は。
一人でもきっとでこぼこで曲がりくねった道だけど、二人なら尚更。
それでもお前が隣に、居てくれるなら。
そう思う俺も、もうとっくにおかしいのかもしれない。
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