「澤くん澤くん」
「ん?」
「今日、キスの日らしいです」
「ふーん」
「キスの日だよ」
「そうなんだ。そんな二回も言わなくたって」
「え、しないの?」
「え、するの?」
隣の変態は今日も絶好調みたいだ。元気そうで何より。しかし相変わらず意味が分からない。
「いやいや、するでしょ?」
「いやいやいや、しないだろ。って、え?何でそっちが『嘘でしょ』みたいな顔してんの?!え、俺がおかしいのか…?」
「いや、だってキスの日だよ?誰が作ったか分かんないけど、折角制定してくれたのに無駄にするなんて俺には出来ない…」
「いやちょっと意味がよく分からないっていうか…え、そんなに記念日とか大事にするタイプだったのか?お前…。そんでも別に俺とする必要無くね?」
真顔で問うと、藤倉は珍しく眉間に皺を寄せて急に黙り込んでしまった。
そう言えば中学の頃はいつも不機嫌そうな顔してたって誰かが言ってたっけ。それってこんな感じの顔だったのかな。
なんてぼんやりと美形の不機嫌顔を眺めていると、少し目線を逸らして藤倉が口を開いた。
「……………。じゃあ誰か探してキスしてもらおうかな。誰がいいかなー」
「え、」
その言葉を聞いた途端、何だか少しもやっとした気がした。まるで黒い雲が胸を覆ってしまったみたいに。何だこのちょっと嫌な気分は…?
というか、そうまでして「キスの日」とやらを遂行したいのかこいつは。
…まぁ藤倉なら、頼まなくてもキスしてくれる女の子なんてたくさん居るだろうけどさ。
んんー…もやもやする。気持ち悪い。何か…ムカつくなぁ。
あぁそっか!こいつが目的の為に他人を利用しようとしてるみたいに思えて腹立ってんのかな俺。そうか、そうかも。絶対そうだ。
「本当にいいんだ?誰かキスしてくれる子探しに行っちゃうよ、俺?」
「別に、そんなのお前の好きにすれば…」
ふと、あるイメージが脳内を侵食する。
細長い綺麗な指が頬に下りて、長い髪を避けて…。こいつは背が高いから少し屈んで、相手の女の子は頬を染めながら少しだけ背伸びをしたりして。そうして猫みたいに柔らかな髪を肌に感じながら、鮮やかな色のリップを塗った唇を差し出すんだろう。
その時、こいつはどんな事を考えて、どんな風に触れて、一体どんな風に…。
「さーわくんっ」
「えっ?!な、何だよ…」
呼ばれて目線を上げると、さっきまでの不機嫌さは何処へやら。やたらと嬉しそうな顔をした変態がにやにやと俺の顔を覗き込んでいた。な、何だいきなり?感情の起伏が忙しい奴だな…。
「今日は、キスの日です」
「そんな何回も言わなくたって分かったってば。ってか、そんなにしたいなら」
「していいよね。だってそういう日だもんね」
ずくんと、また胸が締め付けられる。
やっぱり探しに行くんだ…キスしてくれる相手。俺じゃない、誰か…。
ん?俺じゃない誰かって…何で俺はそんな事を…?それじゃあまるで俺以外は嫌、みたいなっ、て、んん?!
「んぅっ?!」
「ふっ、あからさまにそんな嫌そうな顔されたら可愛い過ぎて…我慢しろって方が無理」
「いやいや、言ってる意味が、」
「自覚無いんだよなぁ…。まぁ今はいいよ、まだ…ね」
視界がまた暗くなる。猫の毛みたいな柔らかい髪が下りてきて、俺の頬を擽った。俺は背伸びはしなかったけれど、その分藤倉が俺に合わせて背を傾ける。
そうしてもう一度唇を重ねられたと思ったら、ちゅっとわざとらしいリップ音を鳴らして直ぐに離された。
「な、おまっ、何っ…!」
「今日は、キスの日らしいので。他にも良いもの見れたし。ふふふっ」
高い身長の割に幼い子供みたいにあどけなく笑う彼を見ていると、もう何もかもどうでもよくなってしまった。
全く、何が「キスの日」だよ。
そんなもん無くたってほぼ毎日ベタベタしてくるくせに。
…藤倉のくせに。
「何かよく分かんねーけどムカつくっ!」
「あっはは」
バシッと思い切り鞄を背中にぶつけてやったのに、それでも嬉しそうに笑うこいつはやっぱりおかしいと思うんだ。
それを見ていつの間にか胸のもやもやが消えて、嬉しいなんて思ってしまっている俺も…。
いや、これ以上深くは考えないでおこう。
あの擽ったさを、温度を、匂いを、感触を…知っているのが俺だけなら。
なんて、思ったことも。
prev / next