mitei Pretender | ナノ


▼ ※6

彼と付き合い始めて一ヶ月くらい経った頃。

彼が暗い一面を見せたのはあの時だけで、それ以降は今まで通り普通に過ごしていた。友人と話すな、とは言われたけれど俺にはそんなこと出来る訳がなくて、S君に気付かれない範囲で今でも話したり連絡を取ったりしている。

そんなある時だ。

「今日さ、オレん家来ない?」

「え?」

今まで学校の中でしか会わなかったのに、何故だか急にお呼ばれしてしまった…。放課後寄り道デートとかしたことも無かったのにいきなりお家デートとは、ハードルが高過ぎやしないか?

とは思いつつ、特別断る理由も無いしなぁ…なんて、少し俊巡した後俺は了承した。

そうして案内された彼の部屋は、意外に普通の男子高校生の部屋だった。俺の部屋と違って整理整頓されているものの、本棚に並んだ漫画のジャンルとか、机の上の教科書や参考書の山とか…。そんなところが俺の部屋と少し似ていて、親近感が湧いてくる。

「飲み物取ってくるから」と彼が部屋を出ていった後も、まじまじと部屋の中を眺めた。あ、ファッション誌だ。研究とかしてんのかな。S君の私服は見たことがないけれど、きっと格好良いんだろうなぁ。

同じ制服だって俺なんかが着るのと彼みたいな人が着るのとじゃ大違いだもんな。

少しそわそわしながら用意されたクッションに座って待っていると、二人分の紅茶を持ったS君が部屋に戻ってきた。

部屋にあるローテーブルに向かい合わせで座るのかなと思いきや、何故かS君は俺のすぐ隣に座ってきた。何だか妙に距離が近い気がするんだけど、これも恋人だから当たり前なのかな。少しでも身動ぎすれば、ぴたりとくっついてしまいそうな程の距離…。

やけに沈黙が長く感じるな…。何か、話さないと…。

いつもは楽しい二人きりの時間も、何故だか今日は気不味さが勝る。いつもは俺に気を遣って自分から話題を振ってくれる彼も、今日はその薄い唇を固く閉ざしたままだ。

俺、何かしちゃったのかな。でもここに来るまでは、普通だったのにな…。

何だか居た堪れなくなって、俺は差し出されたローテーブルの上の紅茶をぐいっと飲み干した。

それを見ていたS君が、漸く口を開く。

「お前って、ホントお人好しだよなぁ。他人のこと簡単に信じ過ぎ。…でもオレは、お前のそんなところが…」

「…?」

色白の手が伸びる。ゆっくりと俺の頬を撫で下ろして、今まで見た中でも一番柔らかな眼差しで彼は微笑んだ。

「本気ですきだよ」

顔が近付く。どんどん息が近くなって、どくどくと心臓が早鐘を打った。

あ、キス…されるんだ。今度こそ。

もう殆ど唇が触れる、という時に、気付けば俺はS君の肩を押し退けていた。

驚いて目を見開くS君。
しかし直ぐにその目は色を変え、意地悪く細められた。にやりと、形の良い唇が弧を描く。

その表情を見た瞬間俺の背筋に嫌な汗が伝って、心臓がさっきよりも速く脈打った。なん、だこれ…。ヤバい。何か分かんないけど、ヤバい気がする。

恐らく青ざめた顔をしているだろう俺を可笑しそうに見下ろしながら狭い部屋の中でにじり寄ってくる彼は何処か楽しそうで、しかしその笑顔は見れば見るほど俺を不安にさせた。

逃げ、逃げなきゃ…!

そう思って脳が筋肉に命令を出すのに、何かがおかしい。そこで俺は漸く自身の異変に気が付いた。

「え、な…に…」

身体が、動かない…?
急に目の前の顔が歪んで、視界がぐらついた。瞼が重くて、これ以上目を開けていられない。トンッと軽く肩を押されれば、俺の身体は簡単に柔らかいラグの上に倒れ込んだ。

「お前が悪いんだよ。折角恋人同士なのに、全然オレのこと好きになってくんないから。あいつとまだ話してるのも知ってるし…。だからまずは、身体に教え込まないと、って思ってさ」

そう言ってS君が倒した俺の身体にのし掛かってくる。辛うじて開けた瞼の隙間から見えた榛色の双眸に光は無くて、また背筋が凍り付くのを感じた。

逃げたい…のに、身体が言うことを聞かない。眠くて眠くて、これ以上起きていられない…。

すらりと色白い手が伸びてくる。制服のシャツを捲り上げて腰骨辺りを擦るその手が怖くて気持ち悪くて、何十キロもの重りを付けたような手を何とか動かして退けようとした。

しかしそんなものじゃあやっぱり何の抵抗にもならなくて、両手を纏めて床に縫い付けられてしまう。

いや、だ。嫌だ嫌だ嫌だ。いやだ。

「たす、けて…りょう」

「りょう?誰それ。彼氏の前で他の奴の名前呼ぶなんて、悪い子だな…」

それでも手は止まらない。器用にも片手でシャツのボタンを全部外した彼は、にやりとまた意地の悪い笑みを浮かべた。
「ひっ」と声にもならない声が溢れる。これから何をされるのかを想像して、息が苦しくなる。その時だった。

パシャッ。

「っし、証拠おっけー。うん、動画もバッチリっと…」

「え、なん、は?!誰だよお前っ、てかここ二階」

「ごちゃごちゃうっせ。早くそこどけ」

「だから何なんだおまっ、ぐぁっ!!」

ドンッと鈍い音を立てて、Sが背中から壁に激突した。一瞬の出来事で何が起きたか分からなかったが、壁に打った背中と、それ以上に横腹に痛みが走ったことはSも辛うじて理解した。じんじんと痛む脇腹を抑えて蹲るSを見向きもせずに窓から土足で部屋に侵入してきた男は真っ直ぐ、何も知らずに横たわる少年の方へ向かった。壊れ物でも扱うように優しく手を伸ばして、そっと抱き抱える。

「もう大丈夫だからね。太一くん」

何だろ…。何かあったかいな…。
薄れゆく意識の遠くで、聞き慣れた声が聞こえた気がした。俺のたった一人の、友人の声…。

これは現実か、それとも俺の願望か。優しく肩を抱くその手の感触には不思議と嫌悪感は無くて、寧ろ安心して…俺の意識はそこで途切れた。

「睡眠薬か…。腹立つけど寝顔も可愛い」

「うっ、いっつ…。おま、何を…」

「いちいち喚くなようぜぇなぁ…そんくらいじゃ骨折れたりしねぇって」

ま、折って欲しいなら何本でも折るけどさ。そんな物騒な事をさらりと言ってのける切れ長の目はやっぱりたった一点しか見ていない。長い前髪の隙間から覗く瞳は恍惚として、眠る少年に釘付けになっているようだった。

「はぁ…たぁくんマジでかわいい…。ほっぺたぷにぷにだぁ」

「くっ、お前、マジで何なんだっ?!ってか誰なんだよ?!」

侵入してきた奴は彼らと同じ制服を纏っているが、こんな生徒Sは知らない。しかし長い前髪から覗く妖艶な瞳にすっと通った鼻筋、黒子を携えた薄い桜色の唇…。これ程の美形ならば、知らない筈がない。ましてや校内で一番格好良いと囃し立てられてきたSのことだ。自分より上か下か、あらゆる生徒を値踏みしてきた。それなのにこんな目立つ生徒を見逃す筈なんてないのだ。

黒い髪に黒いセーターを纏った男は面倒臭そうに、やっと少年から目を離した。気怠げなその表情すらも何処か妖艶な雰囲気が漂っている。

「えぇー…うっさい。頭悪い奴きらい。まだ分かんねぇの?『りょうくん』だよ?りょ、う、く、ん。たぁくんの大好きな、ね。あ、眼鏡かければ分かるのかな?マスクは…めんどいからいっか」

男はそう言ってポケットから黒縁の瓶底眼鏡を取り出してかけ、自身の髪を手でわしゃわしゃと無造作に跳ねさせた。

こいつが誰なのか、もう答えは出ていた。が、Sはそれを受け入れられずただ口をパクパクさせて目の前のその姿と記憶の中のうっすらとした影を何度も重ね合わせることしか出来なかった。

だってそんなの、信じられない。
いつも教室の隅で細々と過ごしていて話し掛ければ挙動不審で、自分達からすれば最下層の連中だと揶揄してきた存在だ。太一の方はともかく、常に一緒に居るこの片方の奴はいつも分厚い眼鏡とマスクで顔を隠していて、周囲からは気味悪がられていた。それなのに。いや、だからこそ…か。

「お前は…」

「で?たった一ヶ月だけどこの子のカレシになった気分はどうだった?」

「どうって…というかオレはその子の彼氏だぞ?まだ終わってなんか」

「知ってんよー?お前らのくっだらねぇゲームに俺のたぁくん巻き込んだこと。この子の優しさに付け込んだことと、その内本気になっちゃったこと。まぁ本気になる気持ちは分かるけどさぁ、」

りょう、と名乗った男は片手でスマホを操作すると、動画を再生した。さっきまでの一連の部屋でのやり取りが再生される。「それからぁ」とまるで実家の猫でも自慢するようなテンションでカメラロールを見せてきた。それを見て、Sは言葉を失う。

「こいつらも。ちゃんとめっ!ってしといたぜ?全員ごめんなさーいって泣いてたけど、実際謝る相手は俺じゃないよな」

「なっ…」

いつも学校でSがつるんでいる、いや、はべらせているグループ。四角い画面の中では、そいつらが一人残らず土下座させられていた。泣きながら土下座して事の全てを証言している動画もあった。…一体何をしたっていうんだ、こいつらに。

画面から視線を上げてバッと目の前の「りょう」を見上げると、彼はにっこりと微笑んだ。少年を抱く片手に僅かに力を込めて、眩しい程きらきらした笑顔のまま続ける。

「まぁそういうことで、コイビトごっこは今日で終わり。まだ言うことある?学年一位さんはそこまで馬鹿じゃないじゃんね?」

「え、あ…」

怖い。
薄く開かれた目はとても綺麗な形をしているのに、その中に殺意とも取れる狂気が垣間見えた、気がした。

「これでも嫌だってんなら学年一位の座も学校中の女子の視線もお前の地位も全部奪ってやってもいいけど。でもそれは面倒臭ぇし俺が嫌なんだよなぁ…。たぁくんとの時間も邪魔されそうだし」

こいつならやりかねない。いや、やろうと思えば出来るのだろう。何もかもをSから奪うか、この少年を諦めるか。

その二択を迫っている。いや、実際には答えは一択しか用意されていないのだ。

「分かっ、た…」

Sは、そう言うしか無かった。底の見えない闇のような視線を向けられて、自分は飲んでもいない薬を間違って飲んでしまったのかと思う程身体に力が入らなかった。

「おっけ。後でちゃんとたぁくんにも謝っといてね…て言いたいとこだけど、二度と近付かないで欲しいからそれはまぁいいや。邪魔さえされなければこっちも何もしないからさ。…まぁこれからも学校生活、楽しんで?」

ヒュッと喉が締まるって、こういう感覚なのか…。向けられた氷のような視線が突き刺さって、Sは蛇に睨まれた蛙のようにその場から動けなくなった。

今度こそ本当に、何をされるか分からない。あんなヤバい奴が居るなんて、聞いていない…。















腕の中の少年はただあどけない顔を隠しもせずにすやすやと寝息を立てていた。その顔を恍惚に満ちた表情で見つめながら、ぼそりと囁く。

「遅くなってゴメンねたぁくん。怖かったね?早く俺ん家、帰ろうね」

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