mitei Pretender | ナノ


▼ 5

お付き合いを始めてから三週間くらい経った頃。

今日の昼休みは、階段の踊り場だ。
ここは移動教室の時くらいしか使わないから、基本的に人が通ることはなくて辺りもひっそりしている。S君とはいつも人通りの少ない所でお昼を過ごしているけれど、今日はやけに辺りの静かさが肌に染みた。何でだろう。

「あの、」

「ん?」

「いや、何でもない…」

俺の気のせいだろうか。付き合い始めた時も彼は優しかったが、日を重ねるにつれ段々と俺を見つめる眼差しに甘さが増しているような、そんな気がするんだけど…。
いや、でも告白してきたのはS君のほうだし、恋人なんだからきっと当然のことだよな。今のこの雰囲気も…。

不意に、階段に置いていた手の上に別の体温が重ねられて肩がビクッと跳ねた。それにもお構い無しに、S君は手を絡めてくる。

指と指が絡まって、ぎゅっと握られて…これって、えと、どういうことだ?

今まで触れてくることの無かったS君からの突然の接触に驚いて、何だか恥ずかしくなって俺はされるがままになっていた。

だって今までそんな素振り一度も…それなのに、いきなりこんな、え、どうしたらいいんだ?に、握り返せばいいのかな?

正直、頭の中は大混乱である。

「なぁ、こっち向いて?」

甘く響く音。周りに雑音が無いせいか、その音はやけにストレートに俺の鼓膜を刺激した。繋がれた手がじんわりと湿る。

「な…に」

ふと隣を見ると、端正な顔がすぐそこまで近付いて来ていた。閉じられた目を縁取る睫毛が長い。髪が頬に当たって少し擽ったいけれど、いつの間にか片手で後頭部を固定されていて動くことが出来ない。互いの息が顔にかかる程近くなった時、漸く俺は何をされようとしているのか理解した。身構えて、ほんの一瞬息が止まる。

あ、これって所謂キ…。

「わわっ!!!」

バサバサッ!!

勢い良くノートやら教科書やらが落ちる音がして、俺もS君も思わずバッと振り返った。え、マジか。

「え、あ、ゴメ、ごごごめんなさいぃっ!!」

俺たちとバチッと目が合ってしまった彼は、慌てたように黒縁の眼鏡を直すとわたわたとその場から立ち去っていってしまった。

「え、あぁ!ちょっと待って!」

「…チッ」

見られた…。俺の唯一の友人に、キ、キスしようとしているところを…。咄嗟に追い掛けようとする腕をぐいと掴んで、俺は階段に引き戻されてしまった。見ると俺のコイビトは邪魔されたのが気に入らなかったのか、少し不機嫌そうに眉根を寄せている。

わ、こんな表情もするんだ…。
てかS君今舌打ちした?空耳かな?
いや、やっぱり気のせいだよな…。普段の彼から考えると、舌打ちなんてするキャラじゃあないもんな。



「さっきはゴメンね…。邪魔しちゃって」

「いやいや!こっちこそヘンなところ見せちゃってごめん…」

「本当、太一くんはお人好しだなぁ」

「え、そんなことないよ」

ちなみに太一(たいち)というのは自称モブDこと俺の名前。どうでもいい情報を挟んでしまって何だか申し訳ない。…誰に対して謝ってんだろ俺は。

「で、どうなの?S君とのお付き合いは」

「うーん…優しい、かな」

そう。彼は優しい。
教室に入る時は必ず先に通してくれるし、重い物を持つ時も半分以上代わりに持ってくれるし、道を歩く時はいつも車道側を歩いてくれる。あと、勉強も教えてくれる。そんな風にいつも俺のことを気遣ってくれるし、目が合えば穏やかに微笑んでくれる。

理想の恋人って彼みたいな人のことを言うんじゃないだろうか。

始めは何となくで始まった恋人という関係だが、今では本当に大切にされているんだということが何となく分かってきて、それを実感する度に俺の心も擽ったい感じがしていた。

もしかして俺も、S君のこと好きになってきてるのかな、なんて。

「楽しい?」

「うん、まぁ」

「そっか。…S君のこと、好き?」

友人に問われる。「うーん…」と少し考えた後、俺は答えた。

「うん。多分」

「そっか」

多分。きっと。

その言葉を付けるのは、まだ自分の気持ちに確信が持てないから。

好きか嫌いかと言えば、好きなんだと思う。彼と話すのは面白いし、一緒に居て単純に楽しい。皆にも元々優しいと評判だった彼だけど、俺に対しては最近特に優しく接してくれている気もする。それに対して、少し嬉しい気持ちもある。

だからと言ってこの「好き」が果たして恋愛の意味での「好き」なのか、はたまた只の友愛における「好き」なのかが未だに分からないのだ。

だから友人の「S君のことを好きかどうか」という問いに対する返答として、「うん」というのは間違っていないだろう。けれど友人の問いには明らかに「恋愛として好きかどうか」という意味が含まれていて、それに対して「うん」と言い切るのは俺の中でも迷いがあった。

だから「多分」なんだろうな…。俺って結構優柔不断な奴だったのかも。

そう言えば今日の昼休み、初めてキスされかけたな…。俺はあの時どう感じたんだろう。もし嫌悪感が無ければ、俺の「好き」は恋愛の意味での「好き」ってことになる…のかな。

でも…。

ぼんやりとしたまま廊下を歩いていると、ふと背後から名前を呼ばれた。ハッとして振り返ると、そこには少し不機嫌そうなままの俺のコイビトが立っていた。

「何してたの」

「あ、友達と…話してた」

もしかして俺のこと待っててくれてたのかな。これは悪いことをした。

「友達って、いつも一緒に居るあいつ?」

「え、そうだけど」

すたすたと長い足でS君が近付いてくる。様子が何だかいつもと違う。明るく優しい理想の恋人じゃなくて、何て言うか…別の人みたいだ。いつもきらきらしている目は廊下の照明のせいか、暗く陰っているように見える。

「もう駄目だよ。あいつと話さないで」

「え?何で?!」

「やだよ」と俺が抵抗の意を見せれば、目の前まで近付いて来た彼に手首をぎゅうっと握られた。力が強過ぎて、少し痛い程に。

「駄目だよ。オレっていう恋人が居るのに、他の奴と親密になるなんて」

「で、でもそっちだって友達いっぱいいるじゃんっ!痛っ、離して」

「駄目。お前はオレの、恋人でしょ?オレだけ見てればいいの」

いつもの穏やかな雰囲気じゃない。長い睫毛に縁取られた目にやっぱり光は無くて、それを見た俺の背筋を冷たい何かが走った。手は離されないまま、玄関口へと連行されていく。

何かいつもと違う…。

…やっぱり、待たせたから怒ってるのかな。こんなS君初めて見た。

俺は、きっとS君が「好き」だ。

でも、俺は何かが腑に落ちないでいた。もちろん何で俺がという疑問もまだあるのだが、それだけじゃない。

友人に話した通り、彼は優しい。しかし、何処か掴み所が無い。
俺のことを好きだという気持ちを疑う訳ではないけれど、時折何を考えているのか分からなくなるのだ。

今みたいな彼は流石に初めて見たけれど、心の奥で何かが引っ掛かる。

それが何なのか、俺にはまだ分からないんだ。

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