深夜だからってちょっと個性強めの人が多いというのは決めつけだったかもしれない。
「この前はあんなことしちゃって本当にごめんなさい!」
今俺の目の前には深々と頭を下げ申し訳なさそうに謝る謎の美女。
そう、この間俺にガンを飛ばしてきていたあの女性だ。
夕勤の子が出られなくなっちゃったからと店長に代わりを頼まれてこの時間。
今日は夜勤はない。
バイトを終え、日が変わる前に帰ろうと店を出たときだった。店先で呼び止められ、振り返るとこの間の女性が立っていた。
また何か言われるのかと思いきや、突然彼女はこの前のことを謝罪してきたのだ。
「あの時は酔っ払っていて…突然睨み付けたりして本当、ごめんなさい。私どうしても謝りたくって…」
何だ、やっぱり酔っ払ってたのか。
俯いたままちらっと上目遣いで俺を見ると、彼女はもう一度頭を下げた。
「そんなに謝らないでください。何とも思ってませんから、もう気にしないでください」
俺がそう告げると、彼女は漸く頭を上げた。俯いていたせいでせっかくの綺麗な髪がボサボサだ。
「いえ、そういうわけにはいきませんわ。是非お詫びをさせてください」
「いえいえ、何もそこまで」
律儀な人だなぁ。何もそこまで気にしなくてもいいのに。というかこんな風に謝罪されてることにもびっくりなのに。
「いえ、私の気が済まないので!お願いします!」
お、おう…何か、圧を感じるな…。
「いや本当結構なんで。俺もう帰りますし」
お詫びとかされてもこっちの方が気を使うし。
「ならちょうど良かった!今からちょっと付き合ってください!」
…へ?
ぱあっと顔を輝かせ、俺の返答も聞かずに彼女は俺の腕を引いてぐいぐい歩き出した。
お詫びをしたい気持ちは有難いが、何だろうこのもやもや感。正直何も要らないから早く帰りたいんだけど…こ、断りづらい。
「あのー、本当お詫びとか大丈夫なんで」
「すぐそこですから」
「はあ…」
皆さん薄々お気づきかも知れないが、俺は押しに弱い。というより、人に対して強く出られない節がある。
モノローグでは言えるんだけどな。
…一体どこまで行くのだろう。
彼女が「ちょっとそこまで」と言ってから、10分以上は経った気がする。大通りに面したコンビニを出てオフィス街や飲み屋街を通り抜け、ぐるぐる入り込む路地に入り、何だか人通りの少ないところに来た。
辺りには残業帰りであろう人がちらほらいるくらいだ。こんなところに一体何があるっていうんだろう。何かちょっと不安になってきたな…。
いやいや、あんなに真摯に謝ってきてくれた人を疑うなんて良くない。良くないぞ俺。
しかし彼女はどんどん人気のない路地を突き進んでいく。何かもう早く帰りたい。もうはっきり断って帰ろうか。そう思っていると、
「こっちです」
と一段と強い力で腕を引っ張られる。細い路地を曲がると、突然女性がピタッと立ち止まった。
「わっ、すいません!大丈夫ですか」
俺は止まりきれず軽く女性にぶつかってしまった。咄嗟に謝るも、彼女の反応は無い。どうやら硬直してしまっているようだ。
「あの?本当に大丈夫ですか?」
「なん…で」
俺の声など聞こえていないみたいだ。彼女は視線を動かさず、怯えたようにそう呟いた。声も、身体も震えている。
どうしたのか尋ねても、「嘘、嘘よ…そんなはず…」とうわ言のように繰り返すばかりだ。
一体どうしたというのか。
俺が彼女の視線の先を辿ろうとすると、彼女は弾かれたように突然元来た道を走って逃げ出した。ドンッと軽く肩にぶつかるも、お構いなしだ。
状況に全くついていけない。
追いかけた方がいいんだろうか。
…彼女は一体何に怯えたのだろう。
ふと彼女が見ていた先を見ると、何やらしゃがみこむ人影が居た。
そいつがゆらりと立ち上がると、随分と背が高いことが分かる。
長い手足、スラッとしたモデルみたいな体型。
あれ、この後ろ姿…。
これはもしかして、いや、もしかしなくても…。
こちらに気づいた男はゆっくりと振り返ると、氷のような無表情から一瞬にしていつもの明るい笑みを浮かべた。
美しいその顔と彼の白いTシャツには、赤い液体が滴っている。
「…え?…えぇえっ?何して!てか血?!血が、ついてっ」
「あっははは!大丈夫だから落ち着いて?これ、返り血だから」
「あーそっか返り血………え?」
それはそれでどうなんだ?
え、じゃあ誰の血なの…。
混乱する俺をよそにいつも通りの明るい笑顔で話すアイス。
彼の表情も雰囲気もそれだけ見ればいつもと変わらないけれど、顔や手、服に染み付いた赤がその光景の異様さを際立たせていた。
まさか、ケンカとか?不良だったのか?
ゲホッという声がしてアイスの肩越しに路地裏を見ると、奥には壁にもたれ掛かって何やら咳き込んでいる人影がいた。
倒れるときにでもぶつかったんだろうか。
辺りにはゴミ箱やらダンボールやらが散乱している。
うわぁ、こんなガチのケンカ現場とか初めて見た…大丈夫かなあの人。
あれ、ていうかあのグレー、どっかで見覚えがあるような…?
「今から帰るの?送ってあげるよ」
俺が思い出す前に、視界が彼でいっぱいになった。
彼は俺に目線を合わせてゆっくりと迫ってくるもんだから、俺は路地裏から通りへ押し出されるように後退りした。
そんな血の付いた笑顔で言われても、正直怖い。なので丁重にお断りしたい。
「こっからすぐなんで、大丈夫です」
正直もっとぐいぐい来られるのかと身構えていたが、彼は案外あっさり「そっか」と引き下がった。
「怖い思いさせたくなかったんだけど…結局こんなとこ見せちゃって、ごめんね」
形のいい眉を下げ心底申し訳なさそうに囁かれる。
「あの…」
聞きたい。ここで何してるの、ケンカしてたの、大丈夫なの、奥の人はあなたがやったの、なんでそんなこと…。
だけどひとつも言葉が出てこなかった。
深い青は真っ直ぐに俺を捕らえて離さない。
俺はまるで閉じ込められたみたいにその瞳から目を逸らすことが出来なかった。
「ねえ、」
いつもの明るい笑顔で爽やかに彼は言った。
「また来週、行ってもいいかな」
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