mitei Colors 5 | ナノ


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結局約束は流されてしまったな…。確かに緋色の言う通り僕だけじゃあどうしようもないことだったかも知れないし、実際緋色が来てくれて安心したけど…。僕は、非力かも知れないけど…。これからはせめて自分のことは自分で何とか出来るようにならなきゃ。これ以上彼に、迷惑を掛けたくない。

あの時駆けつけてくれて、助けてくれて本当に嬉しかった。
だけど僕は、僕の所為で誰かを傷つける緋色を見たくない。

我儘かも知れないけれど…もうあんな風に誰かを傷つけて欲しくなんてない。緋色に、彼にそんな傷を負って欲しくなんてないんだ。

だけどどうしたものか、と考え込みながら重い足取りで教室へ向かい扉を開けると、クラスが何だかいつも以上に騒がしかった。いつもざわざわとしているけれど、それとは違う。クラスの至る所で皆何かを覗き込みながら、それについて議論を繰り広げているようだった。
何だろう。

「いやこれ合成じゃね?」

「それにしてもさぁ…リアル過ぎっていうか」

「こんなのホントな訳ないじゃんっ!絶対偽物だよ!!」

「そうだよ!北村くんがこんなことする訳無いもん」

ん?キタムラって、…緋色?緋色がどうかしたのか?
群がるクラスメイトの隙間から、ちらりと見えたのは一枚の紙だった。どうやら写真のようだ。あの写真に、緋色が写っているっていうのだろうか。一体どんな…。あ。

議論が白熱したらしいクラスメートの手元から落ちた写真がひらりと一枚、僕の足元に滑り落ちて来た。それをすっと手に取って、分厚いガラス越しに眺めてみる。そうして、ハッと息を飲んだ。これは、あの時の…。

薄っぺらい紙に写っていたのは、あの時、僕を助けるために駆けつけてくれた時のもの。桃谷くんを木に押し付け片手で持ち上げている緋色の姿だった。緋色自体は殆ど後姿で写真からはその表情は伺えない。けれど桃谷くんの方は見るからに苦しそうな表情で、この写真だけ見るとまるで緋色が無抵抗な桃谷くんを一方的に虐めているようにも見える。

いや、確かにあの時結構一方的だったのは事実なんだけど…。いやそうじゃなくて、あれは僕を助けるためにやったことであって…。この写真だけじゃあただ緋色が悪者みたいじゃないか。

あの時のこと、誰かに見られてたんだ。そうして何でかは分からないけど、その誰かが写真を撮って学校中にバラ撒いたんだ。きっと緋色に良くない感情を抱いている誰かが…。ぎゅっと手に力を込めると、手元の紙切れがくしゃりと皺を作った。誰だ、誰がこんなことを…。許せない。許せない。ゆるせ…ん?

知らない内にぎりぎりと力を込めすぎていたらしい僕の右手を宥めるように、後ろからすっと別の右手が重なった。僕のより少し大きくて温かい、良く知ってる温度。そのおかげか、自然と写真を握り締めていた手からも力が抜けていくのを感じた。
が、それと同時にクラス中の視線が一気に僕の背後の人物に注がれて、教室中がしんと静まり返った。さっきまであれだけ騒がしかったのがまるで嘘のように、痛い程の静寂が僕の後ろに立つ彼に投げ付けられる。

あぁ、こんなものすべて僕が飲み込んでしまえればいいのに。すべて僕の所為なのに。彼は、緋色は何も悪くないのに。悪いのは全部、全部…。

「紺」

聞き逃しそうになる程小さな音が僕の名を呼ぶ。
泣きそうな顔で見上げると、そこにはいつも家で見せる無表情。けれど温かい、日差しみたいな酷く穏やかな眼差し。その温かさに安堵したのもつかの間、彼は重なる右手をするりと一撫でして、直ぐに手を離してしまった。まるで僕の罪悪感までも全て持っていこうとするみたいに。

緋色が一歩教室に足を踏み入れる。すると暫く押し黙っていたクラスメート達が一斉に緋色の元に集まって来て、写真を差し出しながら彼を質問攻めにした。

「ねぇこれ本当に北村くんなの!?違うよねっ!?」

「確かに似てるけど顔ちゃんと見えないし、北村くんじゃないよね?」

「これ、こっちは桃谷だよな?空手部主将の…。帰宅部のお前にこんなこと出来るわけ無ぇよな…?合成か何かだろこれ?」

「そうだよっ!優しい北村くんがこんなことする訳無いじゃんっ!!」

「ねぇ?嘘だよね?こんな写真…別人だよね?」

祈るような目で緋色を見つめるクラスメート達。そうだよ、太陽みたいに明るくて温かくて、優しい北村くんがそんなことするはず無い。皆がそう思って…いや、そうであることを望んでいるようだった。誰にでも分け隔てなく優しい優等生の「北村緋色」は皆の憧れで、誰もそれを崩れることなんて望んでいないんだ。…この写真を撮った奴以外は。

「俺だよ」

しかしそんな皆の僅かな希望をばっさり切り捨てるように、躊躇なく緋色が答えた。その余りにもあっさりとした答えに、クラス中がまたしんと静かになった。再び訪れた痛い程の静寂のあちらこちらから、落胆や怒りがうっすらと滲み出す。信じていたものに裏切られたとでもいうような、そんな感情を何人かが抱き始めているようだった。

違うって言いたい。違うって言わなきゃ。けれど教室では影みたいに過ごしてきた僕の言葉はここでは何の効力も持たない。

何で、何で何も否定しないの?何でもっと言い訳しないの?何でもっと、自分を守ろうとしないんだよ緋色!

「俺、空手部なん、だけど…。主将、肋骨折ってちょっと入院してるって…今朝聞いた。その、ちょっと事故で…って」

誰かがポツリと言い出した。クラス中が、「まさか」という空気に包まれる。

桃谷くんが入院?あの後どうなったのか気になってはいたけど、まさかそんな…。だけどあれは僕の所為で、緋色はただ…ただ…。

「まさか…北村くんが…?」

「え、嘘だろ?だってお前そんな…空手してるとか聞いたことないし、な、なぁ?そんな訳無いよなっ?皆もそう思うだろ?!」

緋色もクラスの皆も、何も答えない。こんなに居心地の悪い静寂があったなんて知らなかった。いつも緋色と居る時の静かで穏やかな空間とは全く違う、押し潰されそうになる程の重い空気が教室中に広がる。

このままじゃあ緋色がただの加害者になってしまう。本当のことを知ってるのはここでは僕と彼だけなんだ。その緋色が何も言わないのなら、例え誰も聞き入れてくれなくても僕が言わなくちゃ。緋色は悪くない。全ては僕の弱さが招いたことなんだから。あの時起こった事全部、皆に説明しなくちゃ!

「あのっ、この写真は、んぅっ!?」

直ぐに、さっき僕の右手を柔らかく包んだのと同じ手が今度は僕の口を塞いでその先の言葉を閉じ込めた。じたばたと抵抗を試みるも、やっぱり手は外れてくれない。何で?何でだよ緋色!お前がしてくれたように僕だってお前を守りたいのに…!目で必死に訴えかけるも緋色は一向にこっちを見てくれない。

それならば…と咄嗟に思い付いて僕は自分の眼鏡に手を掛けた。それに気付いた緋色が一瞬目を丸く見開いて、今度は別の手で眼鏡を外そうとする僕の手を制止した。するとそんな僕らの背後から、突如凛とした声が響く。

「北村とは、手合わせをしていた」

「も、桃谷くん!?」

「…桃谷」

桃谷くんの登場で漸く口元から手が外される。現れた桃谷くんはいつもみたいに真っ直ぐ背筋を伸ばして立っていて、圧倒的な存在感を放っていた。突然現れた噂の人物にクラス中の視線が注がれる。

「まぁ素人だと油断していた俺も悪い。それにしても何だ、この悪趣味な写真は。これじゃあ俺が一方的にのされているみたいじゃないか。…全く不本意だな」

教室の扉から響く低く凛とした声。その声の主は床に落ちた紙切れをひょいと拾い上げて、眉を顰めながら淡々と言い放った。

「で、ですよね主将!え、でも怪我は?肋骨は?入院してるんじゃあ?」

「まぁ多少ヒビは入っているようだが、これは俺の個人的な稽古で折った傷だ。入院するほどでもないし、それに北村のせいじゃない」

「…どういうつもり」

緋色が少し苛立ちの色を浮かべて桃谷くんに問う。それにも桃谷くんは臆することなく淡々と答えた。

「事実だろう。北村から言ってきたんじゃないか。俺に稽古をつけて欲しいと」

「………そう、だったね」

鋭い眼差しが緋色に投げられる。それに対して同じように鋭い視線を返しながらも、緋色は少し考え込んでから桃谷くんの言うことに賛同した。

「そう、なのか?北村?だ、だよなぁっ!?そんなことだと思ったわ!」

「なぁんだそっか!北村くん空手始めるの?絶対似合うよぉっ」

「ってか桃谷相手にここまで出来るってすっげぇよな!今度型とか見せてくれよ!!」

安堵したクラスメート達が一斉に騒ぎ出し、教室は徐々にいつもの空気に戻っていった。ざわざわと、皆が席に戻っていく。桃谷くんと緋色は少し睨み合ってからやがてふいとお互いに背を向けた。まるで目だけで何か会話していたようだ。その内容が僕にも分かれば良いのに…。

それにしても助かった。桃谷くんが、助けてくれた。あの時彼にも多少なりとも非があったとは言え、緋色にあれだけのことをされた桃谷くんが、緋色を助けてくれた。
その事に安堵しつつも僕は、幼馴染みのピンチに何も出来なかった己の非力さにまたも悔しさが募る。

右手の薄っぺらな紙がまたくしゃりと、深い皺を刻んだ。

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