真っ暗な部屋。
一人で過ごすには無駄なスペースが多い、無機質で静かな部屋。まるで四角い箱に閉じ込められているようだと、彼が来るまではそう感じることも多かった。
僅かな街灯の明かりがカーテンの隙間から差し込む。たまに通る車のヘッドライトが青白い壁を走っては消えていく。
おれは無駄に広いベッドに寝転がりながら、暗い部屋で一際強い光を放つ小さな画面をじいっと眺めていた。
これは、今日撮った分。ここからは昨日ので、ここからは一昨日の。
被写体はたったひとりの少年だけ。
殆どは隠し撮りだが、カメラ目線のものもたまにある。怒った顔や真っ赤になって照れた顔、思い切り笑っている顔やきょとんとした顔。どれもこれも、何度見ても見飽きない。
あぁ、これ。ふっと笑みが漏れる。
今日撮った、彼の写真。
昼休み中俺がまた無断で撮影してることに気付いて、ちょっと怒りながらも顔を逸らす瞬間の写真だ。頬に米粒がついてる。
その反応があんまりにも可愛くて、おれは何も考えずにその米粒を舐め取ったんだ。そうしたら彼は更に真っ赤になって、「何すんだ変態っ!!」ってバシッと頭を叩かれた。
もうその一挙手一投足が堪らなく愛しいから抱き締めたくなったんだけど、それこそまた変態だと思われそうだからグッと堪えたんだ。
ふっ、ふふ。
色んな顔、表情、見た目より柔らかい黒髪、細いけどちゃんと筋肉のついた背中に、キリッと凛々しい瞳。
おれの言動や行動が彼の貴重な時間を奪って、彼のあらゆる筋肉を動かしているんだと思うとたまに少し申し訳無くて、そして堪らなく興奮する。
この部屋に、今彼が居てくれたらなぁ。
何度か来てくれたときに彼が座ってた場所、寝転んだベッドとか、身を預けた大きなクッションとか。
そういったものがこの無機質でモノクロだった部屋を彩っている。
でもおれは強欲だから。
今この腕の中に、おれよりも少し小さい、けれどとても強い彼が居てくれたなら。
そんなことを毎晩考えては、こうやって記憶の中の彼を引っ張り出しておれは眠りにつく。
おれはとても弱いから、きみが居てくれなきゃ生きていけないよ。
本当は一分一秒でも、離れていたくないよ。
今、この広過ぎる部屋の中に、この広過ぎるベッドの中に、きみがいて欲しいよ。
腕の中に閉じ込めて、思い切り匂いを嗅いで、全身できみの存在を確かめていたいよ。
そうでなきゃ、安心出来ない。
画面越しのきみだけじゃあ、満足出来ない。
知れば知るほど、近付けば近付くほどおれは強欲になっていく。
今日は金曜日の夜で、明日は土曜日で。学校に行けない。きみに会えない。
理由をつけて会いに行こうか。それとも突然訪ねてきてくれないかな。明日は、妹さんの買い物に付き合うんだっけ。じゃあ駄目かな。
話したいなぁ。触りたいなぁ。ぎゅうってこの腕に、閉じ込めていたいなぁ。
「…さわくん」
聞こえるはずもないのに、名前を呼んだ。ただ空気に溶けていくだけのその音が、彼を連れてきてくれないだろうかなんて、馬鹿げたことを考えながら。
おれの方から行っていいなら何時でも何処でも飛んで行くんだけど、あんまりしつこくして嫌われたくは、ないしなぁ…。
そろそろ電源切って、瞼を閉じようか。
おやすみって耳元で囁いてくれたなら、いくらでも眠れる気がする。
おはようって明るい日差しの中で微笑んでくれたなら、きっとこの上なく良い一日になるだろう。
スマホを枕元に置いて、目を閉じた。瞼の裏にもやっぱりきみが居る。おれが作り出した、幻想の…。
ピロンッ。
小さな箱が光って少し震えた。何かメッセージを受け取ったみたいだ。
ガバッと飛び起きて内容を確認する。
ちなみに彼から以外の通知は来ないようにしてるから、このメッセージは間違いなく彼からだ。こんな時間に珍しい。
メッセージを見て、思わず頬が緩んだ。
『遅くにゴメン』
澤くんらしい。律儀だなぁ。澤くんからならいつだって喜んで返信するのに。
『寝ようとしてたら何か今日のこと思い出して、腹立ったから。仕返し』
澤くんも寝るときにおれのこと考えてくれてたのか…。どうしよう、嬉し過ぎて手が震える。
そうしてメッセージの下に添付された画像には、パンを頬張るおれの顔が映っていた。知らなかった…いつの間に撮られてたんだろう。
ピロンッとまた軽快な音が鳴って、新たなメッセージが表示された。
『お前の貴重な間抜け顔。じゃ、そんだけだから。おやすみ』
もう何から表現したら良いのか分からない。澤くんのカメラロールにおれがいて、寝る前にわざわざ思い出して送ってきてくれるなんて。
溢れ出す感情を押し殺し何とかおれも『おやすみ』とだけ返して、また画面が暗くなる。
けれど心は明るい日差しの中に居るみたいで、どきどきしてふわふわして。
あぁ、折角彼が文字越しでも『おやすみ』って言ってくれたのに、これじゃあ寝られる気がしないよ。
あぁ、やっぱりすぐにでも会いに行きたいよ。
今度はおれから、澤くんの写真をひとつ送ってやろう。そうして何かしら理由をつけて、小さな箱越しでも彼と繋がっていよう。
『おやすみ』
その言葉を抱き締めて、今日は眠ることにしよう。
そうして今度『おはよう』って言ってもらって、録音することにしよう。
真っ暗な部屋の中で、ひとつだけ灯ったひかりを抱き締めておれはまた、瞼を閉じた。
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