mitei カラス | ナノ


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「香坂さん」

「んー?どうした十倉」

「実はおれ、あの時助けて頂いたカラスなんですよね」

「………へー」

カタカタとリズムよくキーボードを打つ音、至る所にあるパソコンから放たれるブーンという低い音、カチコチと無情にも終電が近づくことを知らせるアナログ時計の音…。

俺たちを取り囲む無機質な音の中で、低くてやけに通る澄んだ声が突然告げた、謎の告白。

今このオフィスに残っているのは俺と隣のこいつ、十倉(とくら)だけで、今の言葉も間違いなく俺に向けて言ったものだろう。ってか名指ししてたしな。珍しい。普段は冗談なんか言うやつじゃないのにな。

俺たちが勤めている会社は別にブラック企業というわけではないが、どこの会社にもあるように繁忙期にはそれなりに忙しい。会社としては有難いことではあるが、その時期にはどうしたって残業が増えるし帰るのが遅くなることだってしばしばだ。今は漸くその繁忙期が過ぎようとしている。どんだけ忙しくても徹夜だけはすんなよって言ったのに会社に泊まり込んだ部下は早く帰らせ、俺は残った雑務を片付けていた。とは言えこれも早めに終わらしときたい。そんな訳で気付けばこんな時間だ。

俺はまぁいいとして、仕事の出来るこいつがこんな時間まで残業してるのは珍しい。時計の短針は、もう十分もすれば頂点を指そうというところ。俺の仕事はもうすぐ一区切り。

そんな時に放たれた、謎の告白。

今回の繁忙期はいつになく忙しかったから、流石のこいつも疲れたのかな。十倉は普段から口数が少ないし、雑談してるのも見たことがないし、そのせいか必要事項くらいしか話さないイメージがある。
挨拶はするし礼儀正しいし、クールだと社内でも人気のあるこいつがこんなこと言うなんてなぁ…。カラスって言ったか?
猫とか鶴とかじゃなくてなんでそこチョイスなんだ。

とりあえず相槌打ったけどどうしよう。突っ込むべきかな。突っ込み待ちかな。だとしたらそれは専門外だからあまり期待しないでほしい。お笑いは見る専門だから、俺。
それともあれだ、俺の方が疲れていて幻聴が聞こえたんだ、多分。

「香坂さん?」

「ん?何だ?仕事終わりそ?」

「いや、実はもう終わってるんですけど。そっちはどうですか。何か手伝いましょうか」

「え?あー大丈夫大丈夫!俺もあとこれ入力するだけで終わりだから!もう朝やることにしようかなって」

「それなら良かったです。香坂さんの邪魔はしたくなかったので」

「…ん?邪魔?」

「ねぇ、驚かないんですか」

「えー、と…何に?」

「だからおれ、あの時助けて頂いたカラスなんですけど」

あ、やっぱ幻聴じゃなかったっぽい。しかもご丁寧に俺の仕事が終わるまで待ってから再度告げられるとは。
冗談か?冗談…言ってる顔には見えない。何ていうかいつも通りの無表情で、考えが読めない。十倉はオフィスチェアをくるりと俺の方に向けて座ったまま、真っ黒な瞳でじいっと俺を見つめている。姿勢がいいな…。俺はよく猫背って言われるから羨ましい。

「えー…と…十倉、仕事終わったんなら早く帰った方がいいんじゃないか?その、流石のお前でも疲れてんだろ」

「信じてませんね」

「いやだってさ!いきなりそんな…なぁ?」

「覚えてないんですか。おれのこと」

「覚えてるも何も…十倉はとく、うぉっ?!」

ガタッと椅子をひっくり返す勢いで立ち上がった十倉に驚いて俺もワンテンポ遅れて椅子から立ち上がった。真剣な顔で近寄ってくるのが何だか怖くておどおどと後退るも一瞬で追い付かれ、机の上に押し倒される。遠慮なく上から覆い被さってくる十倉は俺の両手をぎゅっと机に縫い付け、身体を俺の足の間に滑り込ませてきた。俺は足をバタつかせるも床に届かない。
もはや冗談なんかで片付けられる状況じゃなく、怒ればいいのか怖がればいいのか笑えばいいのか、俺はかなり混乱した。只でさえ疲れてるってのに、これは一体どういう状況なんだ?!

「十倉おま、何してんだ?!どんだけ疲れてんだよ?!」

「…香坂さん。日付、変わりましたね」

「だから、何?!」

無視か。俺の必死の抵抗も無視して、十倉はちらりと自分の腕時計に目をやった。そうして再び視線を俺に戻し、目を細める。この間も俺はこいつの下から逃れようと必死で抵抗してるわけだが、何故だかびくともしない。
その細腕のどこにそんな力があるっていうんだ?!
すると至近距離に綺麗な顔が近づいて、一段と低い声で囁いた。

「今日でちょうど二十年ですね。アンタが、おれを助けてくれたあの日から」

「………は?」

「分かりませんか?記念日ってことですよ。人間で言うところのね」

ふふふっ、と、十倉が笑った。子供みたいな無邪気な笑みで、真っ直ぐに俺を見て。

こいつのこんな柔らかな表情、初めて見た…。

やっと無表情が崩れ、内心でほっとする俺がいる。が、端から見れば全く安心出来る状況ではなかった。

三十路近い男がちょっと若いエリート社員に押し倒されて拘束され、今にも口づけられそうなほど密着している。

俺がもしこの光景を目撃した第三者なら、恐らく何も見なかったことにしてそそくさとその場を後にするだろう。何ていうか疲れてる時ってそういう気分が高まったりするっていうし、な…。

や、でも待って。俺違う。違うから。
ちょっと珍しく後輩が冗談言うから流そうとしただけなんだって!やだよもう帰りたい!



「人間のこと色々勉強したんですよ。やり方とか。ほら、おれって雄だから、人間でも男の姿にしかなれなくて。それだとまた色々やることも変わってくるし」

「待て待てちょっと待って?!やり方って何?!何の?!一体何をする気なんだお前」

「何ってセッ、」

「いい!やっぱいいです言わなくて!」



「ここ触ると気持ち良いですか?」

「良くな、ひぅっ…!」

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