「叶!追いついたっ!」
「望…」
学校を出て少し道に出たところで、やっと待ち望んでいた背中に追いついた。少しだけ息を整えて、肩を掴んでこちらを向かせる。
漸く見れた顔は、一瞬だけ驚いた表情を見せたけれど直ぐにいつも通りの柔らかな笑顔に塗り替えられていった。
「は、はぁっ、おま、やっぱり何かあったんだろ?」
「あはっ、やっぱり心配させちゃった?まぁあんな風に飛び出してきちゃったらなぁ」
「俺、お前に言わなきゃいけないことがある…」
「なぁんだよ?林と付き合うの?」
俺の手をやんわりと振り払って再び歩き出した幼馴染みの声色はいやに明るい。けれど顔は見えない。また、背を向けられてしまった。また、本心を隠されてしまった気がした。
「さっきのはふざけてただけだ。それより、ちゃんと話したい」
だから、こっちを見て欲しい…。
「俺も、望に話すことがあるよ」
「え、なに」
「俺さー、家族に打ち明けたんだ。男が好きなんだって」
「えっ」
突然の事だった。
まるで雑談するみたいに溢された、叶太朗の言葉。けれど内容は色々衝撃的で、余りの事態に俺は地面の上で固まってしまった。
「そしたらさー、何て言われたと思う?」
いやだから、ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って。思考が追い付かない。男が好き…こいつが?好きな奴がいるってことか?誰だ、それ。そして何で俺に言うんだ?ってか家族にも…待ってくれ、意味が分からない。
…失恋、したのか。俺は。まだ何も告げられていないのに。
ズシッと胸に鉛玉が撃ち込まれた気分だ。
「…何て、言われたの」
ほとんど真っ白になって働かない頭で相槌を打つ。
「『で?』って」
「…で?」
「うん。だからなに、って言われた」
「…そう」
「それよかお前の好きな奴はどんな奴なんだー!ってめっちゃ突っつかれた」
「そうか…」
そんなもんなのか…?というか、もうこれ以上聞きたくないなぁ…。
こんな風に失恋するくらいなら、いっそこいつの話を遮ってでも先に俺の想いを伝えていれば良かったなんて思ってしまう。
「でも普段なら絶対絡んでくる姉ちゃんが妙に大人しくってさぁ。もう誰だかとっくの昔にバレちゃってたみたいなんだよね」
昔からって、そんな前から好きだったのか。誰だ、誰なんだ。
小学校から高校までのあらゆる人物が頭を駆け巡るが、これだという人物が思い当たらない。俺の知らない奴だろうか。
もう、聞いてしまおうか。聞いてどうするんだ。そんなことを考えて俯いていると、俺に背を向けていたはずの彼がいつの間にか振り返って目の前に立っていた。あのきらきらした瞳で、真正面からじいっと俺を見つめてくる。
あぁ、この視線を独り占めしていたい。こんな時でもそんなことを思ってしまう程俺はもうどうしようもないみたいだ。
やっぱり諦めたくないなぁ、なんて。
射抜くような瞳に魅せられながら、強欲で薄汚い俺が腕を伸ばした。
気づくと、俺よりも少し背の低い身体をきつく抱き締めていた。
「…そんなに好きなの、そいつのこと」
「うん。すげぇ好きだよ」
大人しく俺に抱き締められながら、いつもよりずっと優しい声音で彼が言った。心がずくりと嫌な音を立てる。だけどどうしても離したくなくて、身体が言うことを聞いてくれない。
「そっか…」
「うん。ずっとずっと、好きだよ。きっとこれからも」
そう言って彼が俺の背に手を回した。優しい力がこめられ、ぎゅっと抱き締め返される。
「そっか…俺も、好きだよ。お前のこと」
あぁ、言った。遂に言ってしまった。
だけど後悔はない。だって今言わなきゃ、もう伝えられない気がしたんだ。
エゴかも知れないけれど、今言わなきゃ一生こいつと真っ直ぐ向き合えない気がしたんだ。
それはすごく…嫌だと思ったんだ。
やがて耳元から「ふふふっ」と嬉しそうな笑い声が聞こえた。顔を上げた彼の目にはうっすらと涙が光っている。真珠みたい。でも、どうして。
「やっと言ってくれたなぁ、と思ってさ」
「知ってたのか…?」
「うん。何となくね。だって、好きな奴にずっとそんな目で見られてて気付かないわけないじゃんか」
「好きな、やつ?」
「やっぱり気づいてなかったんだなぁ、お前。自分のことになるとほんと鈍感なんだから」
それって、つまり…?
まだ頭は混乱したままだ。
だけど俺の世界を暗く覆っていた霧が少しずつ晴れていく気がした。日の光が届いて、澄んだ青が顔を出し始める。
目の前の彼はすうっと深く息を吸って、少し潤んだ瞳のまま真っ直ぐに俺を見据えた。
「なぁ、望。お前は俺に笑ってて欲しいって言ってたけど、俺だって同じなんだよ。俺の隣にはお前が居て当たり前なのに、」
言いながら、さっきまで叶太朗の瞳に強く宿っていた光が段々と弱くなる。俺の制服を掴む手が、少し震えている。
心から伝えたいことを言葉にする時、本当に相手に伝えたいと願う時、どうしたって怖くなるし信じられないくらいエネルギーを使う。そこまでして叶太朗は今、真っ直ぐに俺に伝えようとしてくれているんだ。
「お前が思う、俺が心から笑える未来にはさ、何でお前がいないの?一番重要じゃんか。お前がいなきゃ笑えないよ?俺」
「きょうたろう…」
「泣くのも笑うのも怒るのも、全部お前とがいいよ。っていうかお前以外でこんなに俺の心動かしてくれる奴いないよ?…そう思うくらいには、好きなんだけど」
「好き…俺を…」
勿論彼の言葉が信じられない訳じゃない。信じられない訳じゃないけど、やっぱり実感が湧かなくて何度も彼の言葉を反芻する。
「だから何度も言ってんじゃん!成績は良いのにホンット馬鹿だなお前。言っとくけど!気づいてないのお前くらいなんだぞ?」
「馬鹿が馬鹿って言うなよ。って…ちょっと待って、他にも知ってる奴がいるってこと?!」
「何を今更。林とかクラスの奴らとか…あの辺は多分皆知ってるってか、気づいてたと思うぞ?俺の気持ちもお前の気持ちも!もちろん俺は何も言ってねーけど。あと姉ちゃんも、中学校くらいから俺ら両想いだって思ってたみたいだし」
「林っ!あいつ知ってて…。ってかえぇ?もう色々衝撃なんだけど、中学?中学校から?」
「いや、俺は多分小学校…から?」
「そんな前からっ?!」
「んー、気づいたらもう好きだったから」
「そんなさらっと…ちょっと待って色々追い付かない…」
「嬉しい?」
「…っ」
「でもお前もそうなのかもって気付き出したのは本当最近なんだ。今までずっと言うつもりなかったんだけどさ」
「じゃあなんで、」
こんな突然…?
俺の言いたいことが分かったのだろう。
彼が被せるように言葉の続きを紡いだ。
「閉じ込めちゃうかと思ったから」
「は?」
「このままだとお前、『俺のためー』とかって自分の気持ちまで閉じ込めちゃうかと思ったから。例え俺の前では隠そうとしてたって、分かるよ。何年一緒に居ると思ってんだよ」
全部お見通し、か。何だか先を越されるわ何もかも見透かされてるわで、情けないなぁ。
「気付かなかった。お前って結構男前なんだな…」
「ふふっ、それだけじゃないよ。ぶっちゃけお前に先越されるのがやだったからってのもある」
「え、意地悪い。…けどやっぱ、格好良いな」
「おっそ!言ったろ?笑ってくれるためなら何だってするって」
「…ばか」
腕の中できらきら光る水晶みたいな目と、ちらりと覗く八重歯。今まで見た中で一番眩しい笑顔かもしれない。
ぼうっと見惚れていると、やがて頬を段々と赤く染めて叶太朗が呟いた。
「ってかさ…早く帰ろ?あの…ここ一応路上っていうか…」
「…?あ、悪い」
叶太朗の言葉で思い出す。そうだ、いくら人気が無いとはいえここはまだ公道の上だった。そんなところでずっと抱き締め合っていたことが急に恥ずかしくなって、俺もつられて頬を赤らめる。
本音は離したくなかったけれど、渋々腕の力を緩めてまたゆっくりと並んで歩き出した。歩幅を合わせて、ふたりで。
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