放課後。教室に忘れ物をしたらしい叶太朗を昇降口で待ちながら、ぼうっと帰り行く生徒達を眺めていた。すると突然、肩をぽんっと叩かれたのでくるりと振り返ると、そこには。
「まぁた考え事かね?のぞみちゃん?」
俺の顔を覗き込みながらやっぱり少し意地悪そうに口角を上げた林の姿があった。
「だからちゃん付けやめろっての。ただでさえ女っぽい名前なんだから」
「学校一のモテ男くんが何細けーこと言ってんだよ!誰も気にしないって」
「俺が気にする」
「ホント考えすぎなとこあるよねぇのぞみんは」
「お前は考えなさすぎ」
「冷たいなぁもう」
声をかけてきたこいつも今まさに帰るところだったらしく、鞄を肩に掛けてうきうきと楽しそうな笑みを俺に向けてくる。
「で、きょうちゃんは?」
「忘れ物取りに…って、あれ」
ピコンッと軽快な音を鳴らした画面を見やると、「ゴメンッ!戻る途中でせんせーに呼び止められた!」というメッセージとパンダが謝る仕草をしたスタンプ。
パンダに罪は無いのにな…なんて思っていると、また新しいメッセージが。
「先帰ってていいからー、か。どうする?オレと帰っちゃう?」
「勝手に覗き込むなよ。帰る訳ねーだろ」
林を無視して「待ってる。ゆっくりでいいから」とメッセージを返した。隣で「忠犬だねぇ」何て揶揄する声が聞こえた気がするがスルーだ。
「ま、丁度良いから相談乗ってやるよ」
「は?何の?」
「のぞみんの。昼休みもぼけっとしてたろ?どうせきょうちゃんの事だろ」
「べ、つに…そんなんじゃ」
「お前が暗い顔してっと、きょうちゃんも心配するぞ?あの子そういうの聡いからな」
「うっ、」
にやっと笑う顔は何もかもお見通しだという感じがして少しイラッとしてしまうが、事実こいつだって人の気持ちには鋭い方だと思う。
認めたくはないが、そんな余裕たっぷりの態度に何故か頼りたくなってしまうのもこいつのムカつくところだ。
そうして俺は今朝の叶太朗の様子が気になったこと、何か俺にしてやれることはないかなんてことを素直に相談してみることにした。
静かに話を聞いていた林はやがて「んー」と考え込むような唸り声をあげて、こちらに視線を投げた。いつものふざけたような顔じゃない、珍しく真剣な眼差しに何を言われるのか少しどきりとする。
「マジレスするとぉ、」
「うん」
「そういう風に誰かの為に悩めるのってすげーことだと思うよ?それに、誰も好きになったことないオレからすると羨ましいなぁって思ってさ」
「え、でもお前彼女いなかったっけ?」
「いるよー?四、五人くらい」
「し…え?!お前そんなプレイボーイだったのか」
「みーんな似たようなもんだよ。誰でもいいの。皆好きで、皆好きじゃない。そんな感じ」
「はあ…」
確かにこいつは社交性があるし見た目も格好良い方だと思うけど、まさかそんなに遊んでいるなんて知らなかった。…皆好きなのに皆好きじゃないって、どういうことだ?
俺が言葉の意味を図りかねて首を傾げていると、それを見ていた林からやがて「ふふっ」と小さな笑い声が漏れた。
「お前だって折角そんな見た目に生まれてきたんだから作ろうと思えばいくらでも彼女作れるのに、ずーっと一人のことばっか考えててさ、訳分かんねぇって最初は腹立ってたけど」
「そんで初対面ん時当たり強かったのか…」
そう、林は今でこそこんなにもフレンドリーだが、俺と会った当初はまるで別人のようにピリピリしていた。俺としてはこいつに嫌われていたって別にその時はどうでも良かったのだが、叶太朗が間に入って色々と気を遣ってくれているのを見ているとそれが段々申し訳なくなってきたのだ。
叶太朗が、俺と林が仲良くなることを望んでいるのなら。初めはそんな気持ちだったがしっかり話してみると思いの外いい奴で、気づくと林は今のようにうざいまでのフレンドリーさで俺にも接してくるようになったのだった。
「でもずっとお前見てると何か馬鹿らしくなったよ。自分が。そんですげー嫉妬してたんだなって気づいた。オレもそんな風に思われたいなぁとか」
「悪いけど俺、林のことは友達としか…」
「そこはマジレスしなくていいから!ってか違うし、そうじゃなくて、いやオレものぞみちゃんはマジ友だから!好き!」
「抱きつくなってば!」
こいつと仲良くなれたのはいいが、隙あらば俺に抱きつこうとするのはやめて欲しい。一部の女子に何か噂されてるの、流石に俺でも知ってるんだからな。
「いやだからね、そういう風に誰かを想えるっていいなって話だよ」
「そうかもしんないけど…結構しんどいよ」
ぼそりと溢れ落ちた本音。この言葉に嘘は無い。無いけれど…。
「そーなの?じゃ好きにならない方が良かった?」
「それは違う」
「おや、即答だな」
これもまた、心からの気持ちだった。確かにしんどくなることはたくさんある。何で、どうしたらって思うことも山程ある。けれどあいつを好きになったことに後悔なんて欠片もない。例えどれだけ辛くても痛くても、それが報われなくても。「誰か」を好きになれたこと。そしてその「誰か」が他でもない、叶太朗だったこと。
それが堪らなく嬉しくて、辛くて、愛おしくて。例えこの想いが薔薇の様にトゲにまみれていても、強く抱き締める程に血が滲んだとしても。それでも離したくない。
それ程に替え難い宝物だ。
あいつが俺にくれるものならば、この痛みすらも愛おしく思える。苦しさも辛さも愛おしさも、あいつがくれるものだけが俺の表情筋を動かしてくれる。あいつが苦しむことがあるなら、どんなことをしてでもその痛みを取り払ってやる。
そうだよ。それほどまでに、大切なんだ。
考え事をしていた俺は一体どんな顔をしていたのだろうか、ふと林を見ると何だかやたらとにやついた顔をしている。すごく楽しそうな、しかし腹の立つ顔で口角を上げてじいっとこちらを見てくる。
何だよ、そんなににやにやしやがって。
「な、なんだよ…?」
「んーん?べっつにぃ?」
「笑うなよ」
「いいじゃん。だって面白いんだもん」
「な、馬鹿にしてんのかっ?!」
「してないよ?」
「…嘘くさ」
「ま、そんなに想ってるならさ、ちゃんときょうちゃんにも届いてると思うよ?少なくとも心配してるぞーってことは、ね」
「だとしても」
「何かしてやりたい、か。まぁそれはきょうちゃんに直接聞くか、言ってくれるの待つかだなぁー。つっても、きょうちゃん弱音とか言わないからなぁ」
「だよな…」
「まぁオレは応援してるよ?二人とも大事な友達だもんっ!」
「…そりゃあどうも」
少なくとも心配してるってことは届いてる、ね。その言い方じゃまるで、届いていない他の気持ちがあることまで見透かされてるみたいな、変な感じがする。やっぱり林は食えない奴だ。
「ゴメン望ぃーっ!すっげぇ遅くなったぁ!!」
話していると、廊下の向こうから叶太朗がパタパタと走ってきた。おいおい、そんなんじゃまた先生に捕まっちゃうぞ。
「お、来た来た。んじゃ、ガンバッテネ!」
「何でカタコト…。あ、待って林」
「んー?」
「や…さんきゅな」
「んっふふ!」
「何?何の話してたの?」
「いや、ちょっと雑談」
「きょうちゃんにはなーいしょっ!まぁ強いて言うなら思春期男子特有の悩みっていうかぁ、恋の」
「林っ!!」
「………ふうん」
「叶太朗?」
あ、また今朝みたいな顔。一体どうしたんだろう。心配で彼の顔を覗き込むと、また直ぐにいつもの明るい顔に戻ってしまった。
本音を隠されたことが少し、いや結構寂しい。
「何でもないよ。帰ろ?望」
「…ん」
さらさらと揺れる柔らかそうな髪と、彼が笑う度に見え隠れする八重歯。
俺にとっては、当たり前にある景色。けれど大事で大事でどうしようもない、たったひとつ。
そのたったひとつの為に、俺には何が出来るんだろう。そんな俺の気持ちですら、お前の枷になってしまうのだろうか。
何とかしてやりたい。辛いことがあるなら言って欲しい。もしかしたら俺には聞かれたくないことかもしれない。
だけど聞かなきゃ、何も出来ない。
ねぇ、俺を見て。俺を頼って。
そうしてもどかしい気持ちは消えないまま、臆病な俺は今日もお前の隣から離れられないでいる。
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