「何かに夢中な人、かぁ…」
何かに夢中になれる人が羨ましいと、立花先輩は言った。先輩の意図するところと同じかは分からないが、僕にもそういう人を羨む気持ちが無い訳ではない。そして僕の身近で、何かに打ち込んでいる人が丁度今隣に座ってパンを噛っているじゃあないか。今日も相変わらず、何とも豪快な一口だ。
「どうした?茅ヶ崎」
「あのさ、桃谷くんって何で空手始めたの?」
「何でって、そうだなぁ。気付いたら始めてたからなぁ」
「きっかけとか無かったの?」
「きっかけか…。あぁ、そう言えば、確か小さい頃テレビでやってた戦隊ものにハマっててな。それで、正義のヒーローが悪をやっつけていくのが格好良くて、俺もあんな風になりたいって親にねだって近くの空手教室に通い始めたんだったな」
「へぇ!何か意外と子供らしい理由なんだね」
「あぁ、今思い出すとちょっと恥ずかしいがな」
正義のヒーローかぁ。成る程桃谷くんにはぴったりだ。それで空手を始めて、実際今まで続けてきて強くなったのだからやっぱり彼は凄い人だとしみじみ思う。
「良いなぁ。格好良いなぁ…」
「そうか?お前にそんな風に言われると、何か余計照れるな」
「うん、格好良いよ。継続してずっと好きなことやり続けてるって、やっぱり凄いことだと思う。結果を出すのも凄いことだけど、続けるってもっと大変なことだと思うから」
そんな難しいことを二つも成し遂げている桃谷くんはやっぱり尊敬できる人だと僕は素直にそう思った。
「お前は人を褒めるのが上手いな」
「えっ、お世辞とかじゃないよ!?」
「分かってる。そんな風には思っていない。ただお前に言われると、素直にそうなんじゃないかと思えて自信が湧いてくる。それはきっとお前が、お前の言葉が真っ直ぐだからだ」
「えぇ?僕はそんな…」
そんなこと、初めて言われたな。寧ろ自分ではかなりひねくれてると思うんだけど…。
「あぁ。お前は他人の事を良く見ている。それに頭も良い。だからこそ、色んなことに気付けるんじゃないか」
「僕はただ思ったことを言っただけだよ」
「ふっ、それがお前の良い所だよ」
「僕の…良い所」
初めて会った時よりずっと、桃谷くんの纏う雰囲気は柔らかくなった気がする。
緩やかな風が吹いて、辺りの草をかさかさと揺らした。そのせいだろうか、何だか僕の胸も擽ったい。
あれ…そう言えば緋色にも、今のと似たようなことを言われたことがあったな。
僕には当たり前に見えていることが、僕じゃない誰かにとっては全く違う風に映っていたりするんだろうか。
それが悪い方に作用することももしかしたらあるかもしれない。だけど、だけど今みたいに誰かの力になれたりもするのかな、なんて。
…そうなら良いな。だけどそうなるには、僕にはもっと強さが必要だ。
自分や人のことを信じる強さが。
だって人の言葉を信じられなきゃ折角教えてもらった自分の長所も「そんなことはない」と簡単に否定して打ち消してしまいそうだし、そうやって折角見つけてもらったものを無かったことにしてしまうのはとても勿体無いことだと思うから。
だから、僕ももっと信じられるようになりたい。真っ直ぐじゃなくて良いから、せめて僕を信じてくれる人を、彼を、心から信じていられるように。
周りの人の声なんて気にしないで、堂々と立っていられるようになりたい。
「茅ヶ崎?」
「え、あ、ゴメン。ぼうっとしてた」
「いや、それは構わんが」
心配するような声音が降ってくる。桃谷くんはいつも、僕のことを気にかけてくれるなぁ。
あぁ、そう言えば。
「桃谷くんも人の長所見つけるの上手だよね。僕のことも、いつも褒めてくれるし色んなこと教えてくれる。…ありがとね」
ただ思ったことを言った。僕は素直に、いつも優しく僕に接してくれる桃谷くんに心からの感謝を述べて微笑った。作り笑いじゃなくて、本当に照れ臭くて思わず頬が緩んだのだ。
なのに、どうして。
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