鐘が鳴る。
授業が終わり各学年が一つの教室に集まる、週に一度の時間が来たことを告げる。
「まぁ自業自得なんだけどさぁ?こうしてちーちゃんと話せるの委員会の時間だけになっちゃったね」
委員会が始まる少し前。学年は違うがクラスの番号が同じ立花先輩は僕の隣に鞄を置くと物憂げに呟いた。
あれから、緋色と先輩が二人で話しているのを目撃してからというもの、何故だか先輩と偶然廊下で鉢合わせることも無くなって、僕と先輩がこうして会うのはこの週に一度の委員会だけになった。
「あのー、先輩?前から聞きたかったんですけど、その、…緋色と何かあったんですか?」
「んーまぁ、無いと言えば嘘になるかな」
「え、あったんですか?!もしかして喧嘩したんですか?というか、そもそも二人って面識あったんですか?」
「さぁ、どう思う?」
「いや、知らないから聞いてるんですけど…」
話す気があるのか無いのか…。相変わらず楽しげに笑う先輩はやっぱり掴みどころが無くて少し苦手だ。
「俺さぁ、」
「はい」
もうすぐ会議が始まる。いつものように、委員長が書類を持って教壇に立った。プリントが前から配られてきて、それを受け取っては後ろの人に回しながらも話し続ける先輩に適当に相槌を打った。
「人からすごいねって、羨ましいなぁって言われたこと沢山あるんだよね。主に顔のこととか、勉強のこととか色々さ。でもそれは俺にとって全部当たり前のことで、一体何がすごくてどの辺が羨ましいのかさっぱりだったりするんだ。…皮肉に聞こえる?」
…一体何の話だろうか。自慢かな。
「いえ、…まぁ、ちょっとは」
「ふふっ。ちーちゃんのそういう割とストレートなところ嫌いじゃないよ?俺としては思ったこと真っ直ぐ言ってくれた方が嬉しいし。うん、そうだな…例えばそういうとことかね。俺だって、人のことを羨ましいって思うことは結構あるんだよね」
「立花先輩がですか?一体誰のどんなところを?」
「例えば、スポーツとか何かに一生懸命打ち込んでる人。満遍なく何でもこなせるより、不器用でも好きなことに夢中になってる人にちょっと嫉妬することもある」
「嫉妬…」
「うん。ほら、ゲームでもさ、初めっからレベル100じゃチート過ぎてつまんないでしょ?めんどくさいけどちょっとずつ経験値積んでくのが醍醐味でもあるじゃん?」
「意味は分かりますけど、先輩もゲームとかするんですか?」
「まぁ友達に付き合わされてたまーにね。って言っても今のは例えで別に俺がレベル100って言いたい訳じゃあないからね。俺だって何もかも手に入る訳じゃないし、何でも出来る訳じゃない。…気になる子を振り向かせることとか」
「すみません、最後の方なんて?」
「まぁとにかく、何かに夢中な人ってかなり羨ましいなぁって思うこともある訳だよ。俺もそうなれたらなぁって。…まぁ、限度があるとは思うけどね」
僕の疑問は華麗にスルーして、先輩は勝手に自己完結すると前に向き直ってしまった。一体何の話だったんだろう。何かに一生懸命っていいよねって話だったのかな。何故今先輩がそんな話をしたのかは分からないが、満足したらしい先輩は長めの横髪を耳にかけながら配られたプリントに目を通していた。
先輩でも嫉妬とかすることがあるのか。誰かを羨んだり、誰かに憧れたりとか?立花先輩はどちらかというと羨まれる対象だと思ってたから、先輩もそんな気持ちを抱くことがあるのだと思うと何だか親しみが湧いてくる。
…「羨ましい」なんて、僕が今までどれだけ抱いてきた感情だろう。
暫くして、立花先輩がまたもや小声で話し掛けてきた。
今度は一体何なんだろう。
「ねぇちーちゃん。君、北村くんと幼馴染みなんだってね?」
「…?はい」
「随分と仲良いみたいだね」
「そう、ですか?」
緋色と仲が悪いとは思わないが、他人から改めてそう言われると「はいそうです」とはきっぱり言えない自分が居る。正直、良く分からない。
確かに毎日一緒に帰ってるし夕飯も一緒に食べてるけど、周りからはそんな風に見えるのだろうか。
「うん。ちーちゃんは、北村くんのこと好き?」
「そりゃあ、まぁ」
緋色は幼馴染みだし、数少ない友達(と僕は勝手に思ってる)だし、家族みたいな存在でもある。好きか嫌いかと言われたら、それはもちろん好きに決まっている。
「ふぅん…」
僕の返答を聞いて、先輩は考え込むように目を伏せた。長い睫毛が、僅かに揺れる。
「あの、先輩?」
「ま、気を付けることだね」
「は?」
何に?
「君の幼馴染みは、君が思っている以上にきっと…」
「きっと?」
鐘が鳴る。帰宅時間を知らせる合図だ。
教壇に立っていた委員長が「今日はここまで」と締めくくり、各々が帰る支度を始めた。先輩の言葉の続きを聞こうと隣を向くが、その瞬間ガラガラと開かれる扉の音がした。そしてその扉の先にはやっぱり今日も、彼が居るのだ。
「じゃあねちーちゃん。また来週」
「あの先輩!さっき何て、」
聞く暇も無く、一斉に帰る生徒で教室の外まで押し出されてしまった。教室を出ると僕を見つけた緋色にやっぱり腕を引かれて連行されてしまう。そんな僕らを楽しそうに眺めながら立花先輩はゆらゆらと手を振っていた。
僕は腕を引かれながらもそれに軽く会釈だけ返して、少し早足の彼に続いた。
気を付けるって何に?僕の幼馴染みが何だって?
校舎を出て、相も変わらず無表情の幼馴染みを見上げる。前を向いたままの緋色はやっぱりいつも通りに見えた。
『君の幼馴染みは、君が思っている以上にきっと…』
きっと…?
先輩の言葉の続きはいくら考えても思い付かない。緋色と先輩の間に何があったのか未だに聞けずにいるけれど、それを知りたいと思うのは僕の我儘なんだろうか。
なぁ緋色。
…僕は、一体どこまで踏み込んで良いんだろう。
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