「澤くん、勝負しよう」
「………は?」
いつも通りの、いや、いつもより何処か意地悪げな笑みを浮かべた藤倉がそう提案してきたのはある晴れた日の昼休みのこと。
今度は一体何を企んでいるのやら、ヘラヘラと笑う藤倉は相も変わらず楽しそうだ。寧ろ今日は一段とその笑顔が眩しすぎて、何か怖い。
ってか、勝負か。…こいつと。
正直言って、何をやっても勝てる気がしない。勉強も見た目の良さもついでに言うと喧嘩の強さも、何もかも平均をズバ抜けているこいつに俺が勝てるところなんて何も思い付かない。俺が唯一自信のある運動神経だって、こいつに勝っているかと言われればそれも分からない。
うーん…俺が藤倉に勝てるところ。
強いて言うなら、少なくともこいつより俺の方が常識があるところだろうか。
「ね、勝負しよう」
「何でいきなり…。ってか勝負って何の?」
「そうだなぁ…。腕相撲とか?」
「いやいやいや無理だろそんなの!絶対お前のが強いじゃん」
「えぇー?じゃあ指相撲とか?」
「指相撲…」
運動神経ならともかく力比べなら絶対負ける。腕相撲なんかその象徴みたいなもんじゃないか。でも指相撲は力比べだけじゃないし、もしかしたら少しは俺にも分があるかも知れない。それでもやっぱり俺はこいつに勝てる気がしないし、正直やりたくなかった。
「うん。指相撲」
「やだ」
「えー何で?」
「こっちが何で?だよ!お前絶対何か企んでるもん!」
「もん!ってかわいいな…。じゃなくて、猜疑心強いとモテないよ?」
「るせー!その胡散臭い笑顔の裏に何か下心あるようにしか思えないんだよ!」
どうしても嫌な予感が拭い切れず勝負を断固拒否し続けていると、藤倉が突如低い声で囁いてきた。
「へぇ。…逃げるんだ?」
「…え」
「勝負から逃げるんだぁ。そっかそっか、澤くんは臆病なんだなぁ」
「…は?」
「そんなに俺に負けるのが嫌なの?あぁ、それとも怖いの?なら勝てば良いだけじゃん。それとも全く自信が無いんだ?」
「またそんなんで…俺は煽られないぞ」
「いいんだよ別に?怖がりな澤くんでも。でもやる前から負けるって決めつけるなんてなぁ…。いつも勝負事にそんな気持ちで挑んでたら本当に負けちゃうよ?それは流石にちょっと格好悪いんじゃないかなぁ、なんて」
「な…んだと?」
そうして馬鹿な俺は、まんまと奴の口車に乗せられたのである。
「じゃあいくよ!あ、そうだ」
「え、なに」
手を握り合ってさぁやるぞ、という時に、思い出したかのように藤倉が放った一言に俺は戦慄した。
「この勝負、負けた方が勝った方の言うことを何でも聞くってことで」
「えっ?!そんなの聞いてな、」
「レディー…ゴー!」
「ちょっ、おい!!」
…結果は惨敗だった。そりゃそうだ。考えてみれば俺と藤倉じゃまず指の長さからして違うじゃんか。
いや、問題はそこじゃない。
負けた方が勝った方の言うことを聞く?
何でそんな大事なこと勝負の直前まで黙ってたんだよ。絶対わざとだろ。ってか初めっからそれが狙いだったんだな。そうだよ、あいつはそういう奴だった。今回はまんまと乗せられた俺も悪い…。
項垂れていた顔を上げると、目の前には机に頬杖をついてにやにやと微笑んでいる変態がいた。もう指相撲は終わった筈なのに何故だか握った手は離されないままだ。振り解くのも面倒臭い俺は、ただぼうっとその腹の立つ笑顔を睨み付けていた。やがて藤倉はより一層笑みを濃くして、長い親指で俺の親指を優しく撫でながら言った。
「じゃあ、とりあえず今日俺ん家来てね」
きらきらと眩しい笑顔でそう告げる口調はいつも通り柔らかいのに、拒否権など一切認めないという威圧感を感じたのは気のせいだろうか。
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