mitei 「嫌い」 | ナノ


▼ 3

そんなこんなで数週間が経ったある日。

遂に、遂にこの時が来てしまった…。というか、やっぱり俺が悪かったのだろうか。こうなる前に、彼にきちんと睨んで来る理由を聞いておくべきだったのだろうか。

いつも通り授業が終わって帰ろうとする者や部活へと急ぐ者で教室中がわいわいとしている中、帰宅部エースである俺も例外なくさっさと帰り支度を進めていた。そうして鞄を手に取り意気揚々と教室を出た瞬間、力強い腕に手首をがしっと掴まれてぐいぐいと何処かへ連行されてしまったのだ。

「………」

「えっ、誰っ?!何っ?…あ」

この後姿、廊下の女子達の反応…加野くんだ。初めは誰かと間違えて俺を捕まえてしまったのかと思い何度か後ろから声を掛けてみたが、反応は無し。その代わりに掴まれている手の力がぐっと強められるのみで、俺はそれを振り解くことも出来ずにただRPGのパーティーみたいに彼の後ろをついていくことしか出来なかった。

それにしても俺の知る限り加野くんも帰宅部だよなぁ。何でこんな力強いの?ジムにでも行って鍛えてんの?なんて…。

これからどこへ連れて行かれるのか、彼に何をされるのか、何を言われるのか分からず不安で仕方ない俺はそんなことを考えながら現実から逃避していたのに、現実はそんな俺を嘲笑うかの様に直ぐに追いついてきやがった。

辿り着いたのは、人気の無い校舎裏。辺りは手入れされていないのか草が伸び放題で、この場所は中々人目には付かない。きっと告白やカツアゲにはもってこいの場所だろう。…今は後者に近い気がする。

「ひょわっ」

情けない声を出してしまったがこれは不可抗力だろ。

校舎裏に着いた途端パッと掴まれていた手は離され、勢いで鞄を地面に落としてしまったがそれを拾う隙も与えられず俺は校舎の壁と加野くんの腕の中に閉じ込められてしまった。所謂壁ドン、しかも両手での挟み撃ちという、いつも加野くんにきゃあきゃあ言っている女子生徒ならばそれはもう大喜びするであろう大サービスである。

少女漫画ならここは「え、加野クン…もしかして私のこと…?トゥクン☆」なんてことになるんだろうか。姉ちゃんの漫画にそんなのあったなぁ…。しかしここは少女漫画の世界ではないし、残念ながら俺は可愛いヒロインでもないんだ。俺なんてせいぜい不良漫画のカツアゲされるモブキャラだよ。

あぁ、帰りたい。
子供の頃瞬間移動とか出来たらすっごく格好良いなぁって思ってたけど今まさにその能力が欲しい、マジで。だってそうでもしなきゃ逃げられる気が全くしないんだもん…。

背中には冷たくて硬いコンクリートの壁、そして両サイドには見た目は細いのに意外と逞しい加野くんの腕。そしてさっきから無視出来ないほどの視線を感じて恐る恐る見上げるとやっぱり…いつにも増して眉間の皺を深くし、鋭い眼光を携えた加野くんの顔。

通常時ならば綺麗な形をした切れ長の目も、俺を目の前にすると何故こうも鋭利になるのか。

突き刺すようなその視線はもう見慣れている筈なのに、目が合った瞬間思わず「ひっ」と再び小さな悲鳴が漏れてしまった。
近くで見るとやっぱり怖い。尚怖い…。

どうやら彼は怒っている。何でかさっぱり分からないけれど、俺に物凄く怒っている…?

「………」

「あ、の…加野くん?…加野、さん?」

名前を呼んでみるが反応は無し。
その姿勢のまま数秒、いや、体感時間では数分が経過した。不意に彼が身動ぎすると、殴られると思った俺は咄嗟に両腕で顔をガードする姿勢を取った。
けれど暫くしても予想した痛みは襲ってこない。

さっきまであれだけ近かった加野くんが離れる気配がして、恐る恐る目を開く。すると腕の隙間からちらりと見えた加野くんの目に先程までの鋭さは無くて、どこか寂しそうにすら見えた。

一歩退いて俺から距離を取った彼は直ぐにまたいつもの鋭い光を携えて、真っ直ぐ俺を見つめて言った。

「俺、お前のこと、嫌い」

「えっ、………あ、そう、すか」

いや、知ってたけど…。何もそんな改まって言わなくたって。しかもわざわざこんなところに連れ出してまで…。

「俺、緒方のこと嫌い。きらい」

「二回言った!?…そんな言わなくたって、そんなこともう分かってるよ…」

俺がそう返すと、彼は意外そうに目を見開いた。意外なのはこっちだよ。何でそっちが驚くんだ。というかまさか、今まで気付かれていないとでも思ってたのか?あれだけ人のことを睨んでおいて!?

「…きらいなんだよ」

「だから分かったってば…。じゃあ何でわざわざ呼び出したりするのさ。嫌いなら、近寄りたくないでしょ?」

「そういう所もきらい」

「はっ?」

「いつもヘラヘラしてるところが嫌い。休み時間中騒がしいのも、体育ですごく張り切ってるのも」

「は?…え?」

「意外と朝早く学校来てるところも、授業中無防備に寝てるところも嫌い」

「あの、加野くん?そんな具体的に言ってくんなくても…。っていうか要点が良く分かんないんだけど…?」

「昼休みあいつらと弁当のおかず交換し合ってるのも、簡単に頭撫でさせたりしてるのも嫌。すごく嫌い」

ん?んんん??何だか、彼の言っていることが良く分からないぞ…?

加野くんはどうやら俺の嫌いなところを懇切丁寧に説明してくれているようだが、その具体例が何というか、…良く分からない。それらのどこに嫌いになる要素があるっていうんだ?どれも加野くんに迷惑はかかっていないはずだし。でもやっぱ騒ぎ過ぎってのが癪に障ったのかな?

それにしても加野くん、俺のこと良く見てるな。度々見られてた(というか、睨まれてた)のは知ってたけどさ。まさか授業中まで睨まれてたのは知らなかった…。
まぁとにかく、加野くんが俺のことを嫌いだってことは分かった。そんなに何回も言わなくたっていいのに。

というか、彼の目的は一体何なんだろう。これだけ俺に念を押すってことは、もう近づくなってことかな。俺から積極的に加野くんに近づいた記憶なんてひとつも無いんだけど。

それでもそんなに伝えてくるってことは彼は俺のこと、相当嫌いなんだろうなぁ…。そう思うと、胸の辺りがズシッと重くなった。ほとんど話したことがない相手だとはいえそこまで嫌われてるなんて、結構ショックかも知れない…。

「…加野くんは、それでどうしたいの?」

「………」

恐る恐る聞いてみる。
俺の声は、震えていないだろうか。

「そんなに俺に嫌いってことを伝えてどうしたいの。加野くんがそんなに俺のこと嫌なら、今後出来るだけ近寄らないようにするよ。同じクラスだから全くって訳にもいかないけどさ…、極力そうする。何か、ゴメンね。じゃあ」

沈黙が痛くて、もう早くこの場から離れたくて、俺は地面に転がったままの鞄を手に取ってその場から立ち去ろうとした。
胸が重い。ずっしりした重さが抜けない。

…重い。人に嫌われるってこんなにしんどいものなんだな。…いや、本当に重いな。身体が重過ぎて動くことすら…って、え?ちょっと待ってマジで、え?本当に身動き取れないんだけど?!

と思ったらそれもその筈、何とその場から立ち去ろうとする俺を加野くんが後ろからがっちりホールドしてきていたのだ。

胸に回された逞しい両腕はぎゅううっと俺の両腕ごと包み込んで、耳元の直ぐ上で加野くんの息遣いが聞こえる。帰ろうとした俺を引き止めた両腕の力は弱められる気配が全く無くて、加野くんが離してくれる気が微塵も無いことが嫌でも分かった。そうして突然後ろから抱き締められて驚いた俺は、また鞄を地面に落としてしまった。

ドサッという鈍い音だけが、辺りに響く。

「え、ちょっ!?」

何だ…?一体何が起きているんだ?
あれかな、プロレスの技の一種かも。俺プロレス詳しくないけど、まだ話は終わってないぞ的な?逃げるなんて許さないぞみたいな…?

確かに身動きは取れないし、逃がさないという雰囲気はひしひしと感じる。今はまだ抱き締めるくらいの優しい力だけど、もしかして俺の返答によってはこの場がプロレスのリング内に変わってしまうのかもしれない。

だけど一向に締め上げられることも投げ飛ばされることも無くて、ただ後ろからぎゅっと抱き締められているだけの状態が続いた。

何だろ。彼はまだ何か俺に言いたいことがあるのかな。

「あの?え、加野…くん?」

「…らい」

「え?」

耳の直ぐ横で、ほとんど空気に混じって消えそうな声が聞こえる。俺に聞こえ易いようにか、加野くんは形の良い唇を一層俺の耳元に近づけて、囁いた。

「きらい」

「うっ、もう何度も聞いたよそれ…」

「緒方はそうやって簡単に俺から離れられる。そんなところも、きらいだよ。…ずるいよ。俺は出来ないのに」

「は?え、うわっ」

言葉の意味を理解する前に、ぐるんと身体の向きを変えられ今度は真正面から抱きすくめられてしまう。何が起きているのか思考が全く追い付かない俺をよそに、首筋に顔を埋めた彼が「はぁ」と短い溜め息を吐いた。

そうして右手で俺の丸い後頭部を包み込むように支え、ボサボサの髪に指を差し込んでくる。自然に俺も、加野くんの肩に顔を埋める体勢になった。石鹸のような爽やかな匂いが鼻腔を掠める。

…何してるんだこいつは。
何がしたいんだ、こいつは。

俺のことを「嫌い」と言った癖に、こんなに密着して大丈夫なのだろうか。困惑する俺の首筋に埋められたその表情は全く見えないが、代わりに抱き締める腕の力だけがまたぎゅっと強められた。

…分からない。
嫌いな相手なら普通近寄りたくも触りたくもないもんじゃないのか?

「あのさ、加野くんホントに俺のこと、」

「きらい」

「うっ、そう…」

こんな体勢で告げるには余りにも似つかわしくない言葉を、彼はこれまでで一番穏やかな声音で囁いた。

その一言に色んな感情が混じっていることなんてこの時の俺には少しも解らなかったけれど、何故だろう。何度も言われ胸に突き刺さってきたこの台詞がこの時だけは少しも痛くなくて、それどころか柔らかく身体中に染み込んで暖かさを広げていく不思議な感覚を覚えた。

それが、何とも心地好かった。

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