mitei 「嫌い」 | ナノ


▼ 9

まぁ、考えれば分かることだよなぁ。
いや、そんな余裕も無かったんだけども。

あらゆる運動部を差し置いて去年のマラソン大会で堂々の一位だった彼を撒けるはずもなく、俺はあっけなく捕まっていつかの校舎裏へ引き摺られていった。

背中には冷たくて硬いコンクリートの壁。両サイドには見た目の割に筋肉の付いた、逞しい腕。そして頭上には…。

恐る恐る顔を上げると、久々に見た加野くんの鋭い眼差し。
だけど少し寂しそうな色を携えた、どこか頼りない眼差し。

俺が顔を上げるとぱちりと目が合う。それだけで、さっきの俺の最悪の結論が正解だったのだと心臓から告げられる。

だって、只の友達にだったらこんなにどきどきしない。しないのに。

俺が何も言わないで視線を彷徨わせていると、彼がゆっくりと口を開いた。

「さっきの。どういうこと」

「そ、そのまんまの意味だよ。俺はもう加野くんと関わらない。…それじゃあ、」

これ以上顔を合わせているのが辛くて、無理にでも腕を押し退けてその場から去ろうとした。けれどぐいっと腕を掴まれ、そのまま両手首を壁に縫い付けるようにしてまた捕まってしまう。嫌でも正面から向き合わざるを得ない状況でもやっぱり俺は顔を見られたくなくて、必死で横を向いた。

彼の視線が突き刺さるのを感じる。それはもう痛い程に。

「離せっ!俺はもう加野くんとは関わらない!」

「何でいきなりそんな事言い出すんだ。俺のこと知りたいって言ってきたのはそっちだろ」

「それはそう、だけど…。だからだよ、もう関わりたくないんだっ!」

「だから何でっ!!」

加野くんが声を荒らげるのを、初めて聞いた。思わず正面を向くと、さっきより頼りなげに項垂れ、今にも泣きそうに歪んだ眼差し。
…何でそんなに悲しそうな顔をするんだろう。

「何でって、…何でもいいだろ。もう十分じゃんか」

「もしかして…あの女に何か言われたのか?」

「あの女?」

「えと、はな、何だっけ…花本?とかいう奴」

こいつ、自分に告白してきてくれた子の名前も覚えてないのか。最低かよ。
…やっぱりそれ程沢山の子達に告白されてきたのかな。

「誰にも何も言われてないよ。…これは俺の意思だ」

「なんで?」

「だから、だから…」

君に友達以上の感情を持ってしまったからだよ。…なんて、言えない。
言える筈がない。

「俺のこと、嫌いになった?」

「え、何言って」

「俺があの女のこと振ったからムカついた?なら告白受け入れてあいつと付き合えば良かった?」

「は、花本さんのこと?彼女は今関係無いだろ」

「…関係無いのか?」

「無いよ。彼女は関係無い」

「じゃあ何で突然」

「加野くんのこと、もう十分知れた…から」

「それで?俺と一緒に居るのが、もう嫌になっちゃったの?俺そんなに嫌な人間だった?」

「な、何言ってんだそんな訳ないだろっ!ていうか、俺のこと嫌ってんのは加野くんじゃん?!だから俺はっ、俺は…」

この先は、言っちゃいけない。
駄目だって思うのに、今にも溢れ落ちてしまいそうだ。

痛くない程度に拘束された両手はそれでも離される気配が全く無い。俺を掴む少し震えた手と、迷子みたいな瞳。いつもほとんど無表情なのに、薄い唇は何かを堪えるようにぎゅっと固く結ばれている。

だから何で、そんな顔するの?俺のこと、嫌いなんじゃないの?

だったら何だってそんな必死になって俺のこと引き止めようとするんだ?
ねぇ、「何で」はこっちの台詞だよ。

「俺は、何」

「だから俺は…」

「ん?」

何でそんな目で見てくるんだよ。何でいつもみたいに鋭い眼差しじゃないんだ。
何で、俺にそんな優しくするんだ。

「もうやめてよ…。俺のこと嫌いなんだろ?スキンシップ苦手なんだろ?じゃあ何でこんなことすんの?何で、うぉっ?!」

「…そうか。分かったかもしれない」

まただ。
両手首の拘束が解かれたと思ったら今度はそのまま、真正面からぎゅううっと抱き締められてしまった。あの日みたいに、鼓動が、呼吸が、匂いが近くなる。

バレる。バレてしまう。
抱き締められてどきどきしてるこの鼓動の速さが伝わってしまったら、俺の気持ちがバレてしまう。全身密着しているこの状況では逃げ場が無く、それでも心臓はどきどきと速く脈打つのをやめてくれない。

「やっぱり。緒方、どきどきしてる」

「っ!離せ、離せよっ!!お願いだからっ」

ぐぐっと思い切り力を入れて肩を押し返そうとしても逆により強く抱き寄せられてしまった。睨み付けてやろうと顔を見ると彼は何故か嬉しそうに頬を緩め、うっそりと目を細めていた。

「あぁ、顔も赤い。真っ赤だ」

「だから、だからぁ…」

「うん。ごめん。ごめんね。悪かったよ。お前ばっかり俺のこと掻き乱してくるから、意地悪したくなったんだ。ちょっとやり過ぎちゃったな。本当にごめん」

「え…?どういう?ん、」

綺麗な顔が近付く。いつもは鋭かった切れ長の瞳が伏せられて、長い睫毛がふっと艶やかな頬に影を落とした。その光景に見惚れていると、唇に柔らかい感触が押し当てられる。

そっと一瞬で離され何が起きたかも理解出来ないまま、直ぐに二回目の感触が降って来た。今度のはさっきよりも長く、熱い。

ぺろりと唇を熱い何かがなぞる。驚いて口を開けば、それを了承と取ったのか加野くんの舌が俺の口の中に遠慮無く侵入してきた。

「ふぁっ?!あっ…」

「ん、ふふ…耳まで真っ赤…かわいい…」

深く口付けられながら、耳を塞がれたり耳朶を弄られたり。そのせいか卑猥な水音が余計に俺の世界に響いた。力が抜けてその場に崩れ落ちそうになるのを、加野くんの腕が支える。

俺は呼吸するので精一杯なのに、加野くんは何でそんなに余裕があるんだ。やっぱり慣れてるのか、こういうの…。駄目だ、こんな時にまでおかしなことを考えてしまう。

酸素が足りないのかぼうっとしてきた頭で、触れられた嬉しさと気持ち良さに流されそうになる自分を叱咤した。

…やっぱりおかしい。おかしいよ、こんなの。

さっきより力は入らなかったけれど、それでも踏ん張ってもう一度加野くんの肩を押すと今度は案外すんなり離れてくれた。

離れる瞬間互いの口から伸びて、細く途切れていく透明の糸がまるで赤い糸みたいで。切れないで、なんて馬鹿なことを願った俺はもうどうしようもないのかも知れない。

「ぷはっ、はぁ…。だ、だから何でこんなことすんのっ?!」

「やだった?」

「嫌…じゃないから困ってるんだよ…。だって、だってお前、俺のこと嫌いって…」

「言ったよ。そうやって言葉通りに解釈しちゃうところも本当に馬鹿で、可愛い」

「かわ、いい…?それってどうい、んんっ?!」

そうして与えられる、三度目の口付け。
意地悪なこいつはやっぱり理解する時間も与えてくれない。それとも理解出来ない俺が馬鹿なんだろうか。

もう、何も考えられない…。考えたくない。

「んっ、ふふ」

「ん、んぁっ…ふぁ」

「かわいい…おがた…」

何秒、何分経ったんだろう。漸く満足したのか、加野くんは俺の口内を存分に堪能するとやっと顔を離してくれた。暫くの間俺は彼の肩をぎゅっと掴んではぁはぁと酸素を求めて喘ぐことしか出来なかった。
俺が呼吸を整えているその間彼はすっと長い指を俺の髪に差し入れて、まるで子どもでもあやす様に緩々と撫で下ろしていた。

「は、はぁ…。なん、で…?俺のこと嫌いじゃないの…?」

「さあ?どう思う?」

「分かんない…。分かんないよ、どっちなの?」

だってこんなの、恋人同士がすることじゃないか。
その愛しむような眼差しも、触れ方も、この距離も、全部。

「分かんなかったの?じゃあもっかいしよっか」

「え、いやちょっと待っ!んぅっ」

本当の気持ちを彼の口から聞き出すのは無理かも知れない。だけど思い返せば言葉以外の全てが、雄弁に真実を語っていたんじゃないか。

俺が彼をちゃんと知りたいと言ったあの日からの、俺に対する態度、行動、眼差しや穏やかな声音。そして、今。その何処を探しても、やっぱり彼の言う「嫌い」が見当たらない。少なくとも馬鹿な俺には、ひとつの答えしか浮かばない。

「おがた…かわいい…」

「んっ、も、むりっ…」

心臓が壊れそう。全身が熱い。
角度を変えて何度も何度も味わい尽くされる。その間に俺の体温が移ったのか、背中に当たる冷たかったコンクリートの壁すらも温度を持ち始めていた。

もうこのまま溶けて無くなっちゃうんじゃないかっていうところで、また漸く解放されて顔が離される。生理的な涙でぼやける視界も、一度ぱちりと瞬きをすれば一瞬でクリアになった。

見上げると、頬を薄紅に染めてうっそりと笑う彼が俺を見下ろしていた。初めて見た、ぎらりと光るその眼差しの奥に灯る熱。それは獣が獲物を捕らえた時のような、荒々しい光のように思えた。

「ふっ、まだ分かんない?」

「いや、もう…」

その獣のような眼光に怖気づいて顔を逸らす俺の耳元に加野くんは触れるくらい唇を寄せて、砂糖よりもずぅっと甘い声音で囁いた。

「何度でも言ってあげる。俺ね、緒方のこと…」

熱い吐息に混じった小さな振動が、俺の鼓膜に触れて空気に溶ける。

その一言だけでもう、十分だった。

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