「ちーちゃん、何かあったの?」
「へっ!?何でですか?」
廊下で偶然会った立花先輩は、僕を見つけるなりそう言った。
「いや、何となくいつもより元気無さそうだったから」
「別に…いつもこんな感じですよ」
心配そうな声音でじいっと僕を見つめる翠先輩を見つめ返すことが出来ずに、俯いたまま僕は答えた。説得力のない返し方だったかもしれないが、先輩は「そっか」とだけ短く返すとさらりと艶やかな髪を揺らして微笑んだ。俯きながらもちらりと覗いたその笑顔はどこか少し淋しそうで、いつもの飄々とした掴み所の無い様子とはまた違う。
「先輩…?」
「ちーちゃんは溜め込むタイプだろうからなぁ…。何かあるならちゃんと相談すること。ちゃんと俺と連絡先交換してるでしょう。おっけ?」
「えぇと、はい。ありがとうございます」
普段の少しおどけた調子ではなく、大人っぽい落ち着きのある声で先輩は僕に念押しした。そんな声で言われると、本当に頼ってしまいそうになる。
とは言っても、相談するほどのことかも分からないんだよなぁ。だけど緋色にも、桃谷くんにも頼れないとなると…。
「ねぇ、」
「…?」
俯いたまま少し考え込んでいると、ふと視界の光が何かに遮られる気配がした。思わずパッと顔を上げると、見えるのは先輩の艶やかな長髪。
そうしていつもより一層低い声を響かせて、先輩は僕の耳元に唇を近づけた。
中性的な見た目から放たれる低い声はどこか甘く、やけに響いて僕の鼓膜を震わせる。
「頼れる友達が居ないんなら、俺を頼りなよ」
「え」
「…俺だけだよ。俺なら、ちーちゃんの力になってあげられるよ?」
「あ、の…」
「ねぇ…頼ってよ…」
「先輩…?」
そう囁く先輩の声色が、やがて懇願するような弱々しいものに変わっていく。綺麗に纏められた長髪が僕の肩にも流れて、さらさらと重力に逆らわずに溢れ落ちていった。
落ち込んでるのは僕の方のはずなのに、変なの。
「あの、先輩?大丈夫…ですか?」
「なーんてねっ!びっくりした?」
「…え?」
突然顔を上げた先輩はいつもの飄々とした雰囲気を纏い、さっきまでの弱々しい姿などまるで嘘のように明るく微笑んで見せた。
「でも頼って欲しいのは本当。ちーちゃんのタイミングで良いから、いつでも連絡して?」
「はい…。あのでも、本当に大したことじゃないんで…大丈夫、です」
一瞬本気で相談したくなってしまったけれど、それで本当にいいのだろうかと思い直す。僕はいつも、誰かに頼ってばっかりな気がする。
先輩の甘い声音に落ちてしまいそうになったけれど、それじゃ駄目だ。
自分で何とかしないと。
「ここまでしても落ちてくんないか…以外と強情だな」
「へ?」
「んーん?何でも」
先輩の独り言はちゃんと聞き取れなかった。けれど僕の長い前髪とガラスの隙間から見えた先輩の瞳には、どこか妖しい光が宿っているように思えた。
prev / next