「あのさぁ…」
「何だいハニー」
「誰がハニーだ。まだ結婚とか承諾してねぇから!ってか、その仮面まだ必要?」
俺がここに来て三週間。修二さんはあれ以降も、俺の前で仮面を外すことは無かった。ふざけた紙はもう付けなくなっていたが、頬の辺りにマジックで"美形"と書かれた狐のお面を欠かさず着けている。まだふざけているんだろうかこいつは…。俺がきちんと彼の顔を見られたのは今のところあの日の一度きりだ。
「うーん…癖っていうか、やっぱあると落ち着くっていうか…うん、必要」
「………あっそ」
「何で不機嫌なの?」
「別に。付けたきゃずっと付けてろよ馬ぁ鹿!」
「直樹っ!」
ふいっと修二さんに背を向けて廊下を走り出す俺に、慌てて追いかけてくる修二さん。お面なんて着けたまま走ったら息苦しいだろうに、馬鹿だなぁ。
「あ!」
「え?!」
わざと突然立ち止まって、くるりと振り返る。彼が呆気にとられているうちにバッとお面を奪い取ると、漸く彼の素顔が再び日の光の元に現れた。俺はそれを見て思わず「ふふっ」と笑みを溢してしまった。
やっぱり、顔が見えないなんて嫌だ。
「引っ掛かってやーんの」
そう笑って悪戯っぽく見上げた彼の顔は、段々と朱に染まっていった。はっきりとした睫毛に縁取られた瞳は動揺で右往左往して、ちらっと俺の目を見てはすぐに逸らされてしまう。
「あ、あ、なお、ちょっとお面、返して…」
「やーだよ。やっとまたちゃんと顔見えたんだもん。もう着けないでよ、コレ」
「無理だって…」
「もしかしてまだ…」
俺に傷を見られたくないとか思ってるのか…?俺が少しムッとした表情になると、修二さんが慌てるように真っ赤な顔で付け足した。
「あぁもう…。確かに最初は傷のこともあったけど、それ以外にも、その…。こんな格好悪いところきみに見られたくなかったんだよ…」
そう言って両手で顔を覆い、へなへなと床に崩れ落ちる修二さんを見て俺の頭には暫くはてなマークが飛び交った。仕方がないのでお面を返してやろうかと、俺もしゃがみ込んで手の隙間から修二さんの顔を覗き込む。
「修二さん修二さん」
「…ちょっと今は無理です」
「何が無理なのさ」
「………」
「しゅーうーじーさんー?お面、返してあげないよ?」
「…白状します」
「ん?」
「確かに素面のきみにもう一度この傷を見られたら引かれるんじゃないかってのもあったんだけど、その…仮面の下からなら堂々ときみを凝視出来たと言うか…こんな醜態も晒さずに済んだって言うか…」
素面の俺?堂々と凝視出来る?何言ってんだろ。そう言えば修二さんの顔何となく見覚えがある気がしてたんだけど、もしかして俺が酔ってる時に会ってたのかな。
やべー、全然記憶に無いわ。
「うーん…。つまり、仮面無しじゃ俺の顔もまともに見れないってこと?」
「そうでもないけど、その、やっぱかわいすぎて、ゴホッ、いや何でも」
「ふうん…。じゃあ俺も仮面着けちゃおっかなぁ」
「っ!それは駄目!」
慌ててバッと顔を上げて、やっと俺の目を見てくれた修二さん。勢い良く頭を上げたもんだからお互いの吐息がかかる程の至近距離に顔が近付いた。どくんと、一瞬俺の心臓が五月蝿くなる。…何だ、今の感覚。
「あぁー…。やっぱ直視はまだ厳しい…」
「…は?って、ちょっと!」
へなへなと力が抜けたみたいに俯いたと思ったら、そのまま修二さんは俺を思い切り抱き締めてきた。肩に額が当たって、首筋は柔らかな髪で擽られる。まただ。またこの匂いだ。…落ち着くけど、何かまた心臓が五月蝿い。
「ずっと人目を避けてきたツケがここに来て回ってきたのかも知れない…」
「じゃあ今から練習すればいいんじゃないですか」
「そうだな…僕だけ顔を隠したままなんてやっぱり対等じゃない。これからはちゃんと、きみと向き合うよ」
少しだけ息を吸って、彼は決意したように今度はゆっくりと顔を上げた。
俺の目を真っ直ぐ見据える榛色の瞳に、迷いは無い。その瞳を見て、すとんと俺の中に何かが落ちた。今までずっと行き場の無かったもやもやが、在るべき処に収まったという表現が正しいかも知れない。
あぁそうか。俺は、もしかして。
「修二さん…」
思わず名前を呼ぶ。
すると俺を凝視していた修二さんの頬がまた段々と赤く染まって、ふいとまた目を逸らされてしまった。
「やっぱりまだ直視は厳しい…」
「締まんねぇ人だなアンタ」
「あ」
「何だよ」
「直樹、さっき『まだ』承諾してないって言ったよね」
「言っ………てない…っ!」
「まだ可能性あるんだね?頑張るよ、僕」
「…あぁもう、好きにすれば!」
悔しいことに、もう答えは出てしまったけれど。
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