mitei とんでもない美形 | ナノ


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結論から言うと、すごく寝心地が良かった。

…言い訳だけでもさせて欲しい。
まず、あんな柔らかく包み込んでくれるようなシートにこの疲れた身体が抗えるはずもなかった。あんなの高級なソファーと変わらない。俺の家の安いシングルベッドに比べれば悔しいがその心地好さは尚更だ。加えて車内に流れるクラシック調の緩やかなBGMに、どこからかふんわり香るラベンダーのような香り。更には物凄く気を遣ってくれたのか、運転はかなり丁寧で揺れで起こされるなんてことも無かった。

正直、突然高級車で連れ去られたことよりも吃驚している。…こんな状況でも寝られる自分の神経はかなり図太いんだな、と俺はもう開き直ることにした。

そうして到着した先は、これまた映画くらいでしか見たことがないような大きな大きな純和風のお屋敷であった。

「うわ…」

思わず感嘆の声が漏れる。どこまでも続く塀と立派な門構えからしてもう一般家庭のお宅でないことは明らかだ。玄関かと思われた扉が開かれると目の前には手入れが行き届いた和風の庭園が広がり、母屋と思われる建物までも結構距離があった。母屋の玄関までには導くように石畳が敷かれていて、俺は二人の黒ずくめの男達にエスコートされて建物まで案内された。

車から降りたら隙を突いて逃げようなんて画策していた筈の俺はただただこの非日常な光景に圧倒されていて、そんな思考は何処かへ飛んでいってしまっていた。

それにしても、絶対に堅気の住まう屋敷ではない。仮に堅気の方のお家であったとしても、何とか財閥の跡取りとかきっとそんな人が住んでいるに違いない。どの道俺とは無縁の世界だ。それなのに訳も分からぬまま突然こんなところに連れてこられるなんて、俺は一体何をしでかしてしまったというのだろうか。

これから起こり得るあらゆることを勝手に想像し、びくびくしながらスーツの男達の後ろについていくと遂にある一つの部屋の前まで案内された。その部屋の前に来ると男達は殊更丁寧な態度になり、中に居るのであろう人物に声をかけた。

「失礼致します。足立様をお連れしました」

すると数秒の沈黙の後、中からは短く「入れ」とだけ素っ気無い返事が返ってきた。低く落ち着いた、しかし威厳のある声だ。

もしかしてこの中にいるのが、俺を連れ去るように指示した人物か。一体どんな奴なんだろう…。声だけで判断すると、割と若いような気がしたが。

許可を貰って男たちが障子に手をかける。そうしてすっと、俺と部屋とを隔てていた障子が開け放たれた。

開け放たれた部屋の中を見て、俺は目を見開いた。こいつが、俺をここまで連れてくるように指示した人…?

そこに待っていたのは、これまで見たことも無いような、そう、"とんでもない美形"…

と、書かれた紙を額から下げて正座した和装の男であった。

「え」

意味が分からなさ過ぎて、俺の口からは思わず間抜けな声が漏れ出る。そんな俺の背中を黒ずくめの男がそっと押して、半ば無理矢理部屋の中に押し込みやがった。

「それでは、ごゆっくりどうぞ」と男達は役目を終えたと言わんばかりに立ち去って行き、だだっ広い和室の中には、"とんでもない美形"野郎と状況を全く飲み込めずに固まったままの俺だけになってしまった。

変てこな和装男は座布団の上に正座して、何も言わず俺の方を見ている。多分だけど。紙のせいで顔は全く見えないので、彼の視線の先も表情も何も分からないのだ。

あの紙は何だ?和紙か?薄いのか?向こうから俺の顔は果たして見えているのだろうか。それにしても、無駄に達筆なのが何か腹立つな。

というか…え、何。何だこれ。
こういうの何かで見たことある気がするんだけど…何だっけ?ああ、あれかな、妖に紛れた人間かな?今から妖だらけの祭りにでも参加する気か?それならもふもふのたぬき…いや、猫の姿の先生が近くにいるはずだ、もふりたい。もふらせてくれ、じゃなければ今すぐ帰らせてくれ。友人帳に俺の名前は無い筈だ!

驚きと呆れで口が半開きのまま入り口に突っ立っている俺に、謎の和装男は自分の正面の座布団をすっと指差してそこに座るよう促した。俺が戸惑いながらも示された場所に座ると、男は徐に口を開く。見えないけど。

…俺からは何も見えないけどやっぱり向こうからは見えてんのかな。

「よく来てくれたね」

「…はぁ」

無理矢理連れて来られたんだけどね。

「突然すまなかったな。少しの間とはいえ、怖い思いをさせてしまっただろう。初めに言っておくが、僕らは君を傷つけるようなことは一切しない。安心してくれ」

分かってんならするなよ…。とは言えず。
やはり低く落ち着いた声に合わせて動く喉仏を見つめながら、俺は声を絞り出した。紙は男の顎辺りまでの長さなので、喉仏はかろうじて見える。

「あの、」

俺の視線だけで言いたいことが分かったのか、というかどこから見えているのか、男が続けた。

「ああ、これか?だってこういうのってさ、『俺を連れ去ったのは…とんでもない美形だった!?』みたいなのが定番なんだろう?」

「だからってそんなふざけた…ってか待てよ?アンタ勝手に俺の本棚見ただろ?!」

何を隠そう、俺は腐男子である。きっかけは実に単純。本屋で見かけた綺麗な装丁の表紙に惹かれて買った一冊の漫画。それがたまたま男同士の恋愛模様を描いたものだったのだ。元々姉の影響もあって恋愛物の漫画も好きだった俺はどっぷりハマリ、それから似たようなジャンルを買い漁っては、今や部屋はそういった類いの小説や漫画だらけになっていた。俺にとっては天国だ。

その天国から無理矢理俺を連れ出した変てこな和装男。

その男が口にしたのは、俺の部屋にあったはずの、俺の好きな小説の帯に書かれた煽り文句だった。

とはいえ俺に所謂夢的な思考は無い。主人公を自分に投影して楽しむ人もいるだろうが、俺はどちらかと言うと壁になって主人公たちの行く末を見届けたい派であり、断じて自分に置き換えたりはしない。

美しい世界に自分のような邪魔物を入れたくはない、というのが俺個人の考え方であり楽しみ方なのだ。

それが今、何故こうなったのか…。

「単刀直入に言う」

"とんでもない美形"野郎が話す度、僅かに顔の紙が揺れる。もういっそ引っ剥がしてやろうか。

「………はい」

「僕と結婚してくれ」

「……………はい?」

"事実は小説よりも奇なり"。本日二度目、いや三度目の衝撃である。

「実を言うときみに一目惚れした」

「………は?」

「だから僕と結婚して欲しい。今日はその意思を、君に伝えたかったんだ」

どこから突っ込めばいいのやら、俺の思考回路はまさにショート寸前である。いや、もういっそショートしてしまえば何も考えずにすむのかもしれない。

目の前に鎮座する男の顔はやっぱり何度見ても隠されていて、一切の表情を読み取ることが出来ない。従ってこの男の言うことが果たして真実なのかそれとも壮大なドッキリなのか、多少疲れが抜けた頭でも判断することが出来なかった。しかし、ここで返す言葉はひとつである。

「あの、申し訳ありませんが、」

きっぱりお断りします。という言葉を遮って、男は続けた。

「一ヶ月」

「…は?」

「一ヶ月でいい。僕に時間を貰えないだろうか。知らない他人にいきなりこんなことを言われて、聡明なきみがオーケーしてくれるなんて浅はかなことは考えていない。せめて僕を、きみに知ってもらうための時間をくれないか」

「え、アンタ何言って…?」

いや、顔隠してるやつがマジで何言ってんだ。知って欲しいならまずそのふざけた紙を取れ。そしてツラ見せやがれ。

「きみの生活を奪いたい訳じゃない。ただ少し、時間をくれ。心配せずともきみの家には毎日専門の清掃業者が入って清潔に保ってくれるし、その間の家賃もこちらが支払う。コンビニでのバイトにも、きみの代わりにうちの者が出よう」

「は?!え、いやいやいやちょっと待って何言ってんの?!」

家に清掃業者?バイトも代わりにって、え??

「ちなみに、きみのバイト先の店長とは既に話がついている」

て、店長ぉぉおおお!!
守銭奴だとは思っていたが、まさか金か?金で俺を売りやがったのか?!
ていうか、家に毎日人が入るのか?…見られる!確実に見られる!俺の本棚!!
いや、多分既に見られている…。

「一応言っておきますけど…」

「何だい直樹?ああ、僕のことは修二、或いはダーリンか旦那様とでも呼んでくれ。ご主人様も悪くないな」

だから何で俺の名前…ってもう突っ込むのも無駄か。友人帳に載ってたのかな。いやまさかな。俺は半ば投げ槍になりながらも、言葉の続きを紡いだ。

「…修二さん。俺の恋愛対象は女の子ですから」

それも巨乳の。出来れば清楚系の。
明らかに夢見る童貞の趣味とか言わないで欲しい。俺は腐男子とはいえ、ゲイではないのだ。今まで一回だけだが彼女が居たことだってある。
家やら名前やらバイト先やら、俺のことを色々と調べて上げている様子のこの人ならばそんなことも重々承知の筈だ。

俺の読みが当たったのか、"とんでもない美形"野郎はやはり微塵も動揺した様子は見せない。というか、表情が見えないのでやはり何を考えているのかさっぱりなんだけど。

「そうか。しかしまぁ、物は試しだよハニー」

「誰がハニーだ」

思わず声に出して突っ込んでしまった。

こうして、俺とぶん殴りたいほどの美形との奇妙な生活が幕を開けた。

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