俺の友達には、一人ちょっとおかしいやつがいる。
「澤ぁ?プリント早く渡してー、って…。なぁお前、何でさっきからそんなそわそわしてんだ?」
「いや、何か嫌な予感するから…委員会早く終わんねぇかなって」
教壇で長々と話す委員会の先輩を尻目に、机の下に視線を落とす。
星を飛ばして明るくウィンクする謎の生物のスタンプで終わった画面をもう一度確認して、俺は何度目かの確信を得た。
あいつ多分、いや絶対俺の言うこと聞く気がない。
結果は思っていた通り。
「あぁやっぱり!何で待ってんだよ藤倉?しかもこんな寒いとこで!」
「お疲れーっ!だって教室の前で待ってたら嫌かと思ってさ、ここが一番会える可能性高いじゃん?」
「だからぁ、今日は委員会延びそうだから先に帰っとけって言ったじゃんか」
「帰るとは言ってないもん」
もんって何だ。180センチ越えた大の男がそんな言い回ししても全っ然可愛くないぞ。
何となくこいつがまだ校内に残ってる気がして、委員会が終わり次第急いで下駄箱に来てみたらそこにはやっぱり見慣れた姿が壁に凭れ掛かっていた。マフラーをしているとはいえ、外からの風が遠慮無く吹き込んでくるこの場所は、気温がぐっと下がってきた最近特に寒い。
この男はこんなところでずっと俺のことを待ってたのか…。忠犬かよ、と心の中で溜め息を吐いた。
「うちの学校ケチだから職員室くらいしか暖房付いてないぞ…。寒かったろうに、藤倉、お前は馬鹿なのか?」
「大丈夫だってー。女の子達がホットドリンクとかカイロとかいっぱいくれたし。ほらマフラーもしてるし、澤くん思ってたよりも早く来てくれたし」
そう言ってふふふっと本当に嬉しそうに笑う彼の鼻の先が少し赤い。やっぱり寒かったんじゃないか。
「はぁ…。だから先に帰れって言ったのに…」
「心配してくれてんの?ふふっ」
きっと尻尾があったらブンブン振り回してるんだろうなぁ。困った大型犬だ。たまに狂犬になるけど。
また溜め息を吐きながら靴を履き替えていると、背後から「はいっ」と何かを差し出された。カイロだ。
「何これ」
「カイロ」
「女の子から貰ったやつ?」
「うん。いっぱい貰ったから一個あげる」
「…ふうん?さんきゅ」
一応受け取って、封を開けた。
ポケットから取り出したらしいそれは当然だがまだ使われていない新しいもので、外気に触れると段々と温かく熱を帯びてきた。
いっぱい貰った、か。ふうん。
訝しげに見つめる俺を不審に思ったのか、上から心配そうな声が降ってきた。
「カイロ、要らなかった?」
「いや?有難い。けど、」
「けど?」
「お前ちょっと手、貸して」
「うぇ、え??」
ポケットに突っ込まれていた藤倉の両手を半ば強引に引きずり出して、あちこち触って確かめる。
またもや予感は的中だ。
「お前手、めちゃくちゃ冷たいじゃんかっ!貰ったっていうカイロは?どうせ使ってないんだろ?もしかして、貰ったのこれだけなんじゃないのか?」
俺に渡してきたカイロ。それは多分ひとつしかなかったもので、こいつはそれを使わずに俺に渡してきた。ここまで来ると女の子にいっぱい貰ったってのも疑わしい。こいつなら十分有り得ることではあるんだけど。
「怒んないでよー。カイロは…まぁそれだけだけど、ホットコーヒーとか貰ったのは本当だよ?もう飲んじゃったけど」
「本当に?」
「うん」
「そか。ならまぁ、いいんだ」
「ってか澤くん、その…」
「ん?」
「手…が、その…」
「お前いつももっとベタベタしてくんだろ。何を今更」
「う、そうだけどぉ…澤くんからってのは、中々無いし…」
「ん?良く聞こえないんだけど?」
「いや、何でも…」
何かごにょごにょ言う藤倉を無視し、カイロを握った手で藤倉の手を無遠慮に触る。スラッと細い指は俺のよりも幾分長くて、少し骨張っていて一見華奢なのに逞しい。
触っているうちに手を伝って俺の熱が伝わったのか、漸く藤倉の手も温かくなってきたみたいだ。良かった。そう思ってふと何も言わずにされるがままになっていた変人を見上げると、鼻先だけでなく頬も赤くなっていた。その瞬間バチッとぶつかった視線が、ふいと逸らされてしまう。一瞬だけ見えた耳の先も、真っ赤に染まっているように見えた。
まだ寒いのかな。俺のせいで風邪でも引かせてしまったらどうしようか。
「早く帰ろう」と手を離して歩き出そうとするも、するりと伸びた細長い指がそれを許さなかった。
「え、なに」
「お返し。温まったから」
そう言って無防備だった首にふわりと温かさが広がる。巻かれたのは、今しがたまで藤倉が自分の首に巻いていた赤いマフラーだった。
「これも、女の子に貰ったもん?」
「これは俺の私物」
「それじゃあお前がさむ…って、えっ?あっちょっ、」
「ついで。俺はこれで十分」
何とも自然な動作で俺の右手をブレザーのポケットに入れ、藤倉が歩き出す。ポケットの中では指と指が絡まりあい、互いの熱をこれでもかと分け合っていた。
もう手は十分温まった、と思うんだが…。
「なぁこれ、流石にちょっと…離さないか?歩きづらいし、」
「却下でーす」
ふわふわの髪を揺らしながら、楽しそうに微笑み歩くこいつはやっぱりちょっとおかしいと思う。いくら冷えるからって、これはちょっと…恥ずかしい。
俺の左ポケットにはさっき渡されたカイロ、首にはマフラー、そして右手には絡まり合って当分離してくれそうにない、こいつの左手。
正直その全てが温かくて、有り難かった。けれど何だかやっぱり俺の方が与えられてばかりで気に食わない。
というわけでせめて左ポケットのカイロだけでも返そうと奴のブレザーに突っ込んだ。そうしたら温かいどころか、右手が余計に熱くなった。
「やっぱこのカイロ返す」
「ふふふっ。別にいーのに、ってか、そこに入れるの…ぶふっ」
「笑うな!他にどうしろってんだよ…。ってかこのマフラーも返すから」
「はーい却下。やだ」
「はぁ?!意味分からん!」
「だから俺は、これで十分」
ぎゅっと、ポケットの中で握る力が強められる。温かいどころか熱すぎて、手汗すらかいてきたんだけど…それでも離してくれそうにない。
また鼻先だけ赤くして楽しそうに歩く横顔は悔しいが、格好良い。それなのにこんなに俺とくっつきたがるこいつは、やっぱりちょっとおかしいし、残念な奴だなと思った。
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