「お前が茅ヶ崎か」
「つかホント地味な。何で北村くんこんなのとつるんでんのよ?」
「優しいから放っとけないんでしょ?可哀想に…」
「お前さぁ、一体何様のつもりなわけ?北村くんの幼馴染みっつってもたまたま住んでる場所が近かっただけだろ?なのにベタベタ纏わりつきやがって…邪魔だって分かんねぇのかよっ?!」
「う、えと…」
あぁ…すっごい久しぶりだこの状況…。
そりゃそうだよなぁ。学校中で人気者の緋色の貴重な放課後を、他でもないこの陰気な僕が独占しているんだから…。だからって別に纏わりついてなんかいないし、言いがかりなんだけど…。
こういう状況は今までも何度かあった。
小学校の時は無かったけれど中学に上がった最初の頃は、こうして数人に校舎裏に呼び出されたり靴箱に嫌がらせで落書きされたり…。
けれどその度に緋色か、或いはタイミング良く先生が助けに来てくれたので実際に殴られたりしたことはない。
何故だか嫌がらせも呼び出しもその内段々と無くなって、中学の後半は全く何事もなく平穏に過ごしていた。高校生になってからも今までそうだったので、正直少し油断していた。
そりゃ、面白くないよなぁ…。緋色は人気者だから、友達として独占したいって人もいればあわよくば付き合いたいって人も山ほどいるだろう。それなのに当の緋色はあらゆる誘いを断り、ほとんど毎日こんな陰気な僕と並んで帰ることを優先しているのだ。
逆に考えれば今までこういうことが無い方がおかしかったんだ。
「おい?聞いてんのかよ眼鏡ぇっ?!」
「うわっ?!」
突然ドンッと思い切り両肩を押され、僕は為す術なく後ろに傾いた。
倒れる…!そう思ってぎゅっと目を瞑り、グッと身体に力を入れて身構える。
しかしトサッと背中に温かい感触がして、僕が倒れることは無かった。冷たい床の感触もしないし、身体もどこも痛くない。
誰かに受け止められた…?でも、この感じは…。全く知らない温度だ。
柔らかく僕の背中を支える手は大きく、くいっと少しだけ前に力を入れて再び僕を元の位置に戻してくれた。
「大丈夫か?」
頭上から低い、落ち着いた声が聞こえる。
振り返ると、そこには白い布地にちょっとだけ覗く筋肉質な肌。一瞬白い壁があるのかと思ったが、それが胴着を来た生徒だと気づくのに数秒かかった。見上げると、同じ高校生とは思えない精悍な顔が少し心配そうに眉を下げて僕を見下ろしていた。
ていうか、え、デカッ…?!
あ、この人あれだ、空手部主将の…確か、名前は…。
「う、あ…あぁ」
視線を戻すと、僕を押し倒そうとした人が上を向いたまま固まってしまっている。
「そうやって何人も寄ってたかってこいつに何する気だった。恥ずかしいと思わんのか」
僕を気遣った優しい声とはまた違う、ドスの効いた声。自分に向けられている訳じゃないと分かっていても、ビクッとしてしまう。
僕を押し倒そうとした、確か同じクラスの斎藤くんは恐怖で動けないのか上を向いて固まったままだ。動けない斎藤くんの代わりに、周りにいた別の女の子が口を開いた。
「アンタ空手部の…関係無い奴は引っ込んでろよ!これはこっちの問題なの!!」
「関係ある。こんな場面見過ごせん」
「はあぁ?っざっけんなし!無駄な正義感振りかざしてんじゃねぇよ脳筋!失せろよ!」
すごいなこの子…。あれだけ低い声で凄まれても怖がるどころか、全く臆せずに突っ込んでいく。その根性僕も欲しい。
当事者の筈の僕は何故かぼうっとその光景を冷静に分析していた。
すると女子生徒が言い返した瞬間少し、場の空気がヒヤッとした。
つい今しがたまで臆せず突っかかっていた女子生徒も、「ひっ」と声にならない声をあげ、斎藤くんと同じような表情をして固まってしまった。
僕の背後からまた低い声が降りかかってくる。
「俺の名前は桃谷だ。脳筋じゃない。無駄な正義感を振りかざされるのが嫌ならお前らこそさっさと失せることだな。女だからって容赦されると思うなよ」
その場の空気が凍りついた。
僕を取り囲んでいた全員がもはや斎藤くんと同じ表情になり、誰も言葉を発しなくなった。桃谷くんの威圧感に、誰もが圧倒されてしまっていたのだ…。
ついでに言うと、僕も。
「二度と、こんなことはするな。いいな?」
斎藤くんたちはコクコクと頷き、そそくさと逃げるように去っていった。
…助かった。というか、助けてもらってしまった。
「おい、大丈夫だったか?」
「あ!あの、あ、ありがとう…」
頭上から降ってきた声は先程とは打って変わって柔らかな口調になっており、斉藤くんたちと同じく固まってしまっていた僕の緊張はすっかり解けていった。
「怪我とかしてないなら、いいんだ」
見上げた桃谷くんの顔は心底ほっとしているようで、本当に心配してくれていたのが分かる。何て良い人なんだろう。
「あの、ゴメンね。変なことに巻き込んじゃって…」
「何でお前が謝る。悪いのは明らかに絡んできたあの連中だろう」
「でも僕が、もう少し強ければ…その、…君みたいに」
「桃谷でいい。それか勇牙だ。勇ましいに牙と書いて、ゆうが、だ。お前は?」
何てぴったりな名前なんだろう。素直にそう思う。
「あ、えと、茅ヶ崎です。茅ヶ崎、紺。紺色の紺で」
「そうか。茅ヶ崎。クラスは違うが、同じ学年だろう?また何かあったら遠慮無く俺を頼れ」
「あ、ありがとう!」
「それじゃあ俺は部活があるから行く。お前も気をつけて帰れよ。じゃあな」
そう言うと桃谷くんは少しだけ僕に微笑んで、颯爽と去って行ってしまった。
何て…何て格好良いんだ…っ!まさしく漢の中の漢といった感じで堂々としていて、強くて凛々しくて、勇ましい。
そうだ、二年生にして空手部主将の彼はあの漢気のある性格と高校生らしからぬ精悍なルックスから女子人気が高く男子生徒の中でも憧れる人が多いと噂で聞いたことがある。分かる…今なら分かる。助けられたっていうのもあるけれど、そりゃああれほど格好良いんだ。彼がモテるのも頷ける。
「桃谷くん…ヒーローみたいだったな」
去って行く後ろ姿も凛としていて、憧れるな。僕もあんな風になれたらなぁ。そうしたら、恥ずかしくないのかな。
あれくらい強くあれたら、彼の隣にも堂々と立って居られるだろうか。
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