mitei 夢のあとで | ナノ


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「なぁ、今日もしかして体調悪い?大丈夫か?」

いつも通りに振る舞っていたつもりなのに、どうしてきみってやつはこう…。出会った時からそうだったけれど、超能力でもあるんだろうか。

「ぜーんぜん?大丈夫だよ。強いて言うならそうだなぁ…。昨日ちょっと夜更かしし過ぎちゃったかな」

「…ふうん?」

疑わしそうにじいっと俺を見上げる澄んだ瞳。今自分の目の前にいる男がどれ程醜いものを内に秘めているかも知らないで、彼はただ純粋に俺の心配をしてくれる。馬鹿だなぁという気持ちと、愛おしいという気持ちと、その優しさを他人に向けられたら…という嫉妬心と。
そんなものが綯い交ぜになって、俺は表情を繕うのを一瞬怠ってしまったのかもしれない。

「えっ、ちょっと…?」

彼は突然ぐいっと俺の制服の袖を引っ張ったかと思うと、つかつかと無言で廊下を急ぎ出した。そうして連れて来られたのは、保健室だ。

「先生ー。ちょっといいですか。こいつ具合悪いみたいなんでベッド貸してください」

「あらあら、藤倉君じゃない?珍しいわね、大丈夫?一応熱測ってみましょうか。あぁ、でも…悪いんだけど私今からちょっとここ空けなきゃいけなくて」

出てきたのは、少しほんわかした雰囲気を纏ったおばさんの先生だ。

「いいですよ。軽い寝不足みたいなんで、後は俺がやっときます」

「そう?何かあったら職員室に呼びに来てね」

「ありがとうございます」

先生が出て行って、保健室には俺と澤くんの二人っきりになってしまった。先生とのやり取りの間も掴まれた袖は離されないまま。彼はそのまま少し強引に俺を引っ張って、一番窓際のベッドまで連行した。トンッと軽く両肩を押されると、俺の身体は簡単にベッドへと倒れ込んだ。

まさか寝不足だっていうのを本気にしたのかな。だからって澤くんがここまで強引に保健室まで俺を連れてくるのは予想外だった。あの悪夢のせいで確かに朝から気分は良くなかったが、澤くんにだけは気づかれないようにしていたつもりだったのに。

そんなに、ヤバそうな顔をしていたんだろうか。

澤くんは何も言わないまま、俺の上靴を脱がせて足を布団の中に入れた。脱がされた上靴は、きちんと床に並べられている。こういうところがつくづく彼らしいなぁと思う。
俺を寝かせたら、彼は次の授業に行くのだろうと思っていた。けれど彼は相変わらず何も言わないまま、無言で俺の居るベッドに腰掛ける。安い作りのベッドが軋んで、彼の重さの分だけ沈んだ。正直そのベッドすらも羨ましくて、そのベッドが受け取った重みを俺が代わりに一身に受けたいだなんて思うくらいには、俺はイカれている。

それよりも、先程から澤くんの様子がちょっとおかしい。何も話さないまま、ずっと俯いている。俺が何かしてしまったのだろうか。もしかして、怒らせたのだろうか。心当たりを探していると、次の授業の始まりを告げる音が学校中に鳴り響いた。駄目だ、俺のために真面目な彼が授業を抜けるなんて事があったら。

「澤くん、俺は大丈夫だから授業に、」

「うっさい」

「!?」

これが反抗期ってやつ、だろうか…?冗談めかして暴言(とはいっても軽いものだ)を吐くことはあっても、こんなにガチのトーンで言われたのは初めてだ。…間違いない。やはり澤くんは怒っている。優しい彼をこんな風にするなんて、俺はマジで一体何をやらかしたっていうんだ。

「…体調じゃないだろ」

「え」

「しんどいの。何があったかなんて聞かない。お前が言いたくないことは無理に聞かない」

「じゃあなんで、怒ってるの」

「知らない。俺も分かんねぇよ、そんなの」

「…ゴメンね。授業遅れちゃうね」

「いいよ。俺が居たくてここに居るだけだから、お前はそんなの気にしなくて良い」

漸くこちらを向いた彼は、怒っているのか泣きそうなのか、ちょっとだけ眉間に皺を寄せて少し苦しそうな表情をしていた。その顔を見て、俺までもが心臓を掴まれたような気分になる。

少しだけ開かれた窓から柔らかい風が吹き込んで、さらさらの黒髪を揺らして遊んでいた。今触ったら、また怒られるだろうか。

そう思うのに、気づけば俺の手は柔らかな黒髪に触れてゆっくりと撫で下ろしていた。耳に少しだけかかった短めの髪を指に絡め取って、離して、また同じようなことを繰り返す。こういうことをしても彼は拒否も嫌がる素振りもしないから、俺はどんどんつけあがってしまうんだ。

触っているうちに、心なしか彼の表情もいつも通り緩んできた。良かった。そう安堵していると今度は俺の手を好き勝手にさせたまま、澤くん自らベッドに両膝をのせて遠慮無く近寄ってくるではないか。

何だ、何が起こってる…?

彼が動く度にギシギシと鳴る安いベッド。俺は上体を起こしたまま、ただその光景をじっと見つめていた。真っ直ぐな澄んだ瞳に囚われて、気付けば彼を撫でていた右手も止まっていた。

澤くんは呆然としたままの俺に馬乗りになると、俺の顔を両手で掴んでぐいっと自身の顔に近づけてきた。

…これは大変だ。緊急事態だ。澤くんがおかしい。だってこんなの、普段なら絶対に有り得ない事だ。俺から必要以上に距離を詰める事はあっても、彼からなんて。しかもこんな、ほとんど騎乗位みたいな体勢で…。

もしかして俺はまだ夢の中に居るのだろうかと、ちょっと不安になってしまう。

「…ん。良かった。ちょっと戻ったみたいだな」

「………え?あぁ、うん。もう大丈夫だから、」

澤くんは俺の顔色を確認して、少しだけ顔を離した。それでも澄んだ綺麗な瞳はすうっと真っ直ぐに俺を見据えたまま、何かを考え込んでいるようだった。
俺はそんな彼にただ、ぼうっと見惚れることしか出来ない。

「そうか…分かったぞ」

「………へ?」

暫くして、彼が独り言みたいに囁いた。

「俺、自分に怒ってたんだ。お前は何にも悪くない」

「え、と?どういうこと?」

「前にも言ったかもしんないけどさ。お前が辛そうな顔してると、何か俺もしんどくなるんだ。しかもお前、笑うだろ?俺に心配かけまいとして。それもそこそこムカつくんだけど、それ以上に気付けなかった俺にも腹が立つ」

真っ先に気付いてくれた癖に、相変わらず自分に厳しいんだから。

「えー…と、つまりすごく心配してくれたってこと?」

「違うよ。いや確かに心配はするけどそれはお前の為とかじゃなくて、俺が嫌だっただけ。俺は結局、自分のことしか考えてないんだ…。お前が辛いと俺が辛いから、つまり心配とかするのも結局全部俺のためなんだよ」

「…それは、えっと」

「大丈夫じゃない時に大丈夫なんて顔、しないでくれ。俺の自己満足だとしても、それでも、何かしたい…から」

度々思うことがある。これで無自覚なんて、冗談だろうと。彼は今自分がどんなに威力のある爆弾を俺に投下したかきっと全く解っていない。だからこそ余計に質が悪いのだ。

少し俯いた彼が力を抜くと同時に、俺の両頬を覆っていた温かい手もゆっくりと離されてしまった。行き場を無くした手は、白いシーツを掴んだり撫でたりしている。行き場所が無いなら、俺の両手に来ればいいのに。気づかれないようにそうっと手を伸ばすが、彼が再び話始めるのを聞いてやっぱり直ぐに引っ込めた。

「お前はいつも俺に優しくしてくれるし、すげー気遣ってくれるだろ。お前は何も言わなくたって俺のこと色々分かってて、先回りして色んなことしてくれる。でも俺はお前ほど頭良くないし、お前のことだってまだ良く分からないから、言って欲しいんだ。お前が欲しいものとか、してほしいこととかさ」

そんな事言われても、「澤くん」一択しかないんだけどなぁ。

「それであんな険しい顔してたの。俺は本当に大丈夫なのに」

「本当に?何かあるなら言ってくれ。俺に出来ることなら何でもするから」

「何でもする」なんて、気軽に言わないで欲しい。俺の望みを叶えることが出来るのはこの世で唯一人だけだが、俺が欲するのはそのたった一人のすべてなんだ。「何でも」なんて叶えられる筈の無いことなのに、そう言われるとまるでその権利が与えられたような錯覚に陥ってしまうじゃないか。

「…っ、じゃあ、」

「ん?」

じゃあ………おれのものになって。

おれだけのものになって、他の誰とも会話しないで、触らないで、触らせないで、おれだけを見てて。心も身体も、全部おれだけのものになってよ。

…なんてね。そんなこと。

だけど、今は。

「………いて」

「…へ?」

「…側に、居て」

出来ればずぅっと。永遠なんてきっと無い。生まれ変わりも、信じてはいない。けれどおれが俺として、きみがきみとして居られる時間だけでも、ずっとずっと側に居て。側に居てよ。

「なぁんだ、そんなことか」

「そんなことって、」

「お前、俺がこの前言ったこともう忘れちゃったの?」

「気が済むまで一緒に居ればいい」って。そう言ってはにかんだ彼の髪を再び柔らかい風が揺らす。俺はそっと彼の後頭部を掴んで、ほとんど反射的に顔を引き寄せた。けれど唇が当たるか当たらないかの寸前のところで、鋼の理性が「おれ」を止めた。

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