mitei 藤倉くんはちょっとおかしい4 | ナノ


▼ 6.ウユニ塩湖と野球ボール

空っぽだなぁ。なーんにもない。

風も吹かないし、見渡してみても何にも見つからなそう。空の色も、曇ってるのか晴れてるのか、青なのか灰色なのかよく分からない。

例えるならば、枯れ果てたウユニ塩湖。かろうじて地面のようなものはある。踏めばザリッと乾いた音がして、砂埃が舞い上がるだけ。他には、そうだな…何もない。

おれはただそこに突っ立って、ぼうっと空のある方を眺めていた。

目を閉じて耳を澄ますと、色んな声が聞こえてくる。

いっぱいおれの名前を呼ぶ声。

「すきだよ」って、何回も言われた。「うらやましい」も「すごいね」も、何回も言われた。何が羨ましくて、何がすごいんだろう。おれは何にもしてないのに、よく分からない。分からないなぁ。

おれはおれのままでただそこに居る。どうしたらいいのかどうしたいのか、そもそも何かしたかったのか何も分からない。道標なんてものは、何処にも無いのだから。

ふうっとひとつ、溜め息が流れて消える。

空っぽの世界。

だけど突然、そんな何もない退屈な世界に、枯れ果てただだっ広い世界にひとつ、小さなボールが落ちてきた。





「っ痛!」

我ながら情けない声が漏れた。コロコロと膝の下に野球ボールが転がっているのが見える。しかも硬式のボールじゃないか、クソ。
硬い小さなボールは校舎裏で昼寝中の俺の頭にクリティカルヒットしたらしい。喧嘩三昧の毎日で痛みにはもう慣れたつもりでいたが、やっぱ痛いものは痛くて眉を顰める。誰だよ投げたの。
ちょっと苛立って、でもすぐにどうでもよくなってそのまま二度寝しようと瞼を閉じたちょうどその時、遠くで少し揉める声がした。

「おーい何やってんだ澤ぁ」

「投げたやつ取りに行けよー!」

「えぇっ!俺ー!?」

「ったり前だろ!ちゃんと探して来い馬鹿!」

…うるさ。
どうして運動部って奴らはこうテンションが高いのか。元気が有り余っているのか。俺はとにかく眠いんだ。
さっきボールが当たったところはまだちょっとじんじんするけど、放っておけばその内収まるだろう。

しかし無遠慮にも俺の安眠を妨げる奴がガサガサと草を踏みしめて近づいて来ていた。鬱陶しくて流石に起きる。

「そこの人ー!悪いけどボール投げてくんねぇ!?」

ぼんやり音と声のする方を眺めていると、グラウンドからジャージ姿の生徒が走ってやってきた。うちの学校のジャージじゃない。見たことないやつだなぁ。他校の奴かな。とは言っても、同じ学校でもほとんどの奴のことは認知してないからやっぱりどうでもいい。
というか、投げたのあいつか。グラウンドからここまで投げようと思ったら結構な飛距離が必要だろうに、偶然とは言えすごいな。眠い。

面倒臭くて、膝元に転がっていたボールを近づいて来ていたそいつの方にぽいっと放り投げる。眠りを妨げられた苛立ちと頭にボールをぶつけられた怒りをちょっとだけ込めて結構強めの力で投げたのにも関わらず、パシッと良い音を立ててそいつは素手でキャッチした。
そいつがボールを追ってちょっとだけジャンプした時にちらっとはだけて見えた素肌が、やけに白い。

「助かった!ありがとっ」

ボールをキャッチして着地するとそいつは満面の笑みで俺に笑いかけた。屈託の無い、男らしいのにどこかまだあどけなさが残る、無邪気な笑顔。その顔を見た瞬間、何となく胸の辺りがずくっと重くなった、気がした。
…違うボールでも飛んできたのかもしれない。

ボールを手に満面の笑みを俺に向けた後、そいつは急に真顔になった。真顔、というか、「ん?」と何かを疑うような顔。そのまま二、三歩俺に近づいて、じろじろと遠慮無く凝視してくる。

あぁ。この後の反応は大体分かってる。自分で言うのも何だが俺は他校でも悪い意味で有名だから、こいつも気付いちゃったんだろうな。すぐに悲鳴を上げて逃げ出すんだろう。それとも羨望とか好奇心の眼差しを向けてくるタイプか。まぁ、どっちでもいいけど。
そう思っていると、俺の予想通りそいつは何も言わずグラウンドの方に走り去って行った。ほらな、やっぱり。

確かにボールをぶつけられたことは少し腹が立ったが、いきなり殴りかかったりなんてしないのに。しかしこれは俺の日頃の行いのせいだから、しょうがないしどうでもいい。

まだ家には帰りたくないし、街を歩けばまた喧嘩を吹っ掛けられるだろうし。面倒臭い。寝よう。

遠くでさっきの野球部の奴らが何やらわいわい騒いでいるのが聞こえる。それをBGMにもう一度目を閉じて何となく意識が沈みかけた時、もう一度俺の眠りを妨げる足音と気配が近づいてきた。
…何なんだ。ここは誰か通ることなんて滅多に無いのに、今日に限ってやたらと騒がしいな。

気配が俺の目の前で止まったのを感じて、薄っすら睨み付けるように目を開けた。そこにいるのが誰か確認する前に、視界が氷で一杯になる。

「…?」

状況を飲み込めないでいると、氷の横からさっきの他校のチビが顔を出した。

「悪い。驚かせたな。いや、もしかして俺の投げたボール当たってたのかなって思って。それで、もしそうなら氷いるかなって保健室の場所聞いてたらちょっと遅くなっちゃったんだけど…。えと、違ってたらそれでいーんだけどさ」

「………氷」

「あと、さっきはボールありがとな。でも何となくそんな気がしたからさ。大丈夫か?当たってないか?」

………何だこいつ。逃げたんじゃなかったのか。というか、俺のこと知らないのか…?
俺、そんなに痛そうな顔してたか。不機嫌そうな顔ではあっただろうが、何でそんなことまで。

さっきボールが当たった場所は痛みが引きかけていたはずなのに、何故だかまたじんじんと五月蝿く騒ぎ出した。グラウンドからまた野球部の声がする。
否定も肯定もせず、俺が何も言えないまま眉を顰めていると彼は言った。

「もしどっか当たってたんならそれ使って。いらないなら、いや、使い終わってもそこ置いといてくれたらいいから」

「さーわぁーっ!試合始めんぞー!!」

「おーっ!」

遠くの声に彼が返事をすると、もう一度俺に向き直った。俺は思わず受け取ってしまった氷を俯いてただ眺めていたから、その時の彼の表情は見ていない。水滴がポタリと落ちて、固い灰色に吸い込まれていった。

「もう行かないと。それ、俺が片付けとくから。色々悪かったな、じゃあ!」

そう言って彼は再びグラウンドへ走っていってしまった。顔を上げた時にはもう、遠ざかる後ろ姿しか見えなかった。

…じんじんする。頭も、身体も。色んなところが、じんじんする。とりあえず俺は貰った氷を頭に当てて、もう一度目を閉じた。

誰かに目を見て笑いかけられるなんて何年振りだったろうか。小学校の頃も周りの奴らは俺を見るとヘラヘラ笑って近づいて来たが、さっきのあいつの笑顔はそのどれとも違っていた気がする。
何ていうか、今まで向けられたことの無い視線。向けられたことの無い笑顔だった。説明が出来ない。だって未知のものだったから。

さっきからじわじわ、頭とは違うところが熱を持って、身体中が熱い。何か言い表し難い気持ちがぐるぐるする。気持ち悪い、とかじゃない。嫌な感じでもない。寧ろ…。瞼を閉じても、あの笑顔が張り付いて離れない。

派手な見た目にちょっとものぐさな性格から、売られる喧嘩をそのまんま買っていたら不本意ながらすっかり有名になってしまっていた俺。そんな俺に笑いかけてくるやつが珍しかった。それだけだ。ただそれだけ。

帰り際、もう一度グラウンドを見た。日は沈みかけ、世界がオレンジ色に染まる。
野球部の連中はもう試合を終えていたらしく、そいつらも帰るところだった。違う制服も何人か混じっている。西中の奴らか。

試合が終わってわいわいと騒ぎながら帰る集団に、西中の制服を着た誰かが一人走って追いついていた。彼だ。
さっき言っていた通り、氷の袋でも回収しに行っていたんだろうか。律儀だな。

彼が加わることで一層騒がしくなる集団。彼自身がうるさいというより、周りの連中の顔がさっきよりもパッと明るくなってより騒がしくなった気がする。
肩を組んで頭を撫でられたりして。恐らく試合で凄い活躍でもしたんだろう、凄く可愛がられているように見える。

集団の中心に居る彼は少し迷惑そうに撫でてくる手を振り払っていたが、すごく楽しそうだった。
困ったように、けれどもとても嬉しそうに笑う。

「…痛」

その顔を見た瞬間、俺の中に今度こそはっきりと分かる程重い、何かが落ちた。ズシッと胸にでかい鉛が落っこちてきたみたいな、今度はとても嫌な感じ。
何となく捨てられずに持ってきてしまっていた氷は、すっかり溶けて水になっていた。ずっしりと、重い。

なんかやだ。嫌だ。何だ、これ。

…笑わないで。触らないで。

内側から声がする。その時の俺には自分自身が何て言っているのか分からなかった。

そうして俺がその時感じた「感情」の名前を知るのは、もう少し先のことだ。

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