mitei それは、遅効性の | ナノ


▼ 1

他人に興味が無いのだ。と、その男は言った。

ならば何故こんなにも俺に付き纏うのか。

細身のその男はいつも偶然とは思えないタイミングで駅を出たところの壁に凭れ掛っており、スマホを弄っている。しかし俺が改札から出てくると必ずスーツの袖を引っ掴んで引き止める。

待ち合わせなんかしていない。俺が帰る時間だって日によってまちまちだ。
なのにこいつは毎日毎日飽きもせず、改札から出てくる俺のスーツの袖をしわくちゃにする。

何というわけでもない。そのままただ二人で並んで、ぽつりぽつりと他愛の無い会話をして帰路につく。

そんな不思議な生活が数週間続いた、金曜の夜のこと。

「何で、俺に付き纏うの」

俺は彼に聞いてみた。

「チクリとするから」

何がだ。彼から返ってきた答えはあまりにもぼんやりとしていていまいち理解に苦しむ。

「何が」

「アンタの、言葉が」

暫し考える。
俺の、言葉が。チクリとする。それはつまり、「痛い」ということだろうか。
俺はよく考えてから話す方だから言葉遣いには気を付けているつもりだし、誰かに強く出るのも苦手だというのに。

「俺、何か君を傷つけるようなこと言ったか?もし気づかない内に何か言ってしまっていたのなら、謝る」

「言われてない。けど言われた」

「どっちだ」

何が言いたいんだこいつ...。
さらりと流れる前髪から少しだけ覗いた緑がかった瞳は何も語らない。前々から思ってたけど、ハーフなのかな。

俺も彼も、饒舌ではない。それでも長くは無い駅からの帰り道の中で、少しでも彼の意図が分かるようにと今日はいつもより少しだけゆっくり歩いた。
終電も終わったから、辺りはひっそりと静まり返っている。

「他人に興味が無いんだ、おれ」

男は言った。初めて出会った時と同じ台詞を。

「それ、前にも聞いた」

このままのペースでも、あと五分もすれば俺は家に着いてしまう。いつもの分かれ道も、すぐそこまで迫ってきている。
それに気づいてか無意識か、緑の瞳の彼は立ち止まった。
つられて俺も立ち止まる。

「小さい頃からそうだった。昔から特別好きな人も嫌いな人も居なかった」

「うん。そんな感じする」

「だから、誰に何を言われても思われてもどうでも良かった。興味が無い人の考えてることなんて、やっぱり興味が無いから」

見た目は可愛いのに可愛くない子供だったんだろうなと、容易に想像がついてふっと笑ってしまった。
すると隣で不機嫌そうに眉をしかめる、少しあどけなさの残る顔。

「...何」

「そういうところ」

彼があまりにも俺の顔を凝視するので、怒らせてしまったかと思った。けれど「そういうところ」とは、一体何を指すのかさっぱり分からない。
先程から彼の回答はいまいち的を得ない。

「つまり、どういうところ?」

「おれ今、不機嫌になったの。分かる?」

「分かる。君は顔に出やすいから」

「さぁ、何で不機嫌になったんでしょうか」

「俺が笑ったから?」

「真剣な話の途中にね」

「真剣な話だったんだ」

「ほらまた。チクッとした。アンタから聞いてきた癖に」

「分かった分かった。ゴメンて」

たまに笑ったりムッとしたりするとあどけなくて可愛いのに、真顔はいきなり大人びて見えて少し怖い。

「今まで、色んな人に色んな感情を向けられた。良いものも悪いものも、色々。だけど興味無い人のどんな感情も言葉もやっぱりおれにはどうでもよくて、全部全部擦り抜けていった。全部どうでもよくて、つまんなかった」

「…そっか」

「でも、チクリとした。アンタの言葉だけは、何でか分かんないけど擦り抜けていかなかった」

「何で?俺なんかすごい名言でも言った?」

「言ってない。全部くだらないことばっか」

…殴ってやろうか。

「だけど擦り抜けなかった。アンタのどんな言葉も表情も視線も、おれに向けてくれるもの全部。棘みたいに刺さって、抜けてくれない」

「何で?」

「おれが知りたい。抜けるものなら抜きたい。取ってよ、この棘」

「無理だよ。んなこと言われても、」

「だったら、知りたい。いっそもっと、強く刺して。アンタのことしか考えられない。責任取って。もっとたくさん、おれを満たして」

「だから無理だし、さっきから何言っ、…んんっ?!」

それは遅効性の毒、みたいな。
知らない内に刺さった棘から身体中に染み込んで、細胞ひとつひとつまで侵食してゆく。

エメラルドみたいな光を宿した瞳がこんなに近くに迫るまで、俺は気づかなかった。

驚いて目を見開いたままの俺の唇を美味しそうに舐めとってから、彼は俺の手をするりと握る。
そうしていつもは別れる道を左へ曲がり、教えたはずのない俺の家に向かって迷い無く手を引いて歩いていく。

毒が全身に回っても、症状を自覚するにはもう少し時間が掛かりそうだ。
何が起きたのかは分からない。ただひとつ分かるのは、彼が俺の手を離す気が全くないということだけ。
どんな人混みの中でも絶対に俺の手を見つけて掴む手が、色素の薄い俺よりも少し大きな手が、ぎゅっと握る力を強めた。

「アンタだけ」

少しだけ目を細め、振り返ったエメラルドの彼が言った。

「...俺、だけ?」

「そう。何でこんなに引っかかるのかおれにも分からない。だからもっと知りたい。それだけ」

それだけだよ。と、ふっと薄い唇が弧を描いた。
夜風がさらさらと髪を揺らして、獣のような光を宿す緑を隠しては晒す。

あぁ。やっと気づいた。

俺にも刺さってたんだ、見えない程に小さな棘が。

そうこうしている間にも彼は俺の手を引いたままカンカンと薄っぺらい階段を上り、来たこともないはずの俺の部屋の前で立ち止まり、渡した覚えのない合鍵でいとも簡単に扉を開けた。

部屋に入った瞬間ガチャンッと少し乱暴に閉まった扉の振動を背中に感じる。

俺の頬と腰にのばされた手は力強く、しかし壊れ物を扱うかのように少しだけ震えていた。それが何だか可笑しくて笑いそうになるけれど、笑う隙すら与えてくれない。

ただ塞がれる瞬間ふっと、短い息が漏れただけだった。

「んんっ、…はっ」

「アンタだけ…アンタだけなんだ…」

苦しそうに、しかし愛おしそうにエメラルドの瞳が細められる。ただ、俺だけを映して。

おかしいことだらけだ。
そう、初めて出会ったあの時から。

しかし今はそんなこともどうでもいいくらいに、俺の全身には毒が回りきっていた。

初めて視線がぶつかったその瞬間から互いに刺さっていた、見えない程の小さな棘。

触れ合う程身体中に広がり始め、今、やっと芽吹く。

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