mitei サンライズイエロー | ナノ


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「ただいまぁ…つっても誰もいないよなぁ…」

明かりを点けて適当に鞄を置き、居間に行っていつも通り仏壇に手を合わせる。服の擦れる音や足音、手を合わせる音や一人分の呼吸音…。
静かなこの空間には俺の一挙手一投足がやけに響く。しんと痛いほどの静寂が包む、誰も居ないだだっ広い空間。

もう、この空気にも慣れてきた。

「ただいま。ばあちゃん」

写真の中の皺くちゃの笑顔は今日も優しく穏やかだ。
この家にはもう、俺の帰りを出迎えてくれる人間は居ない。
母親は生まれたばかりの俺をばあちゃんに預けて姿を消してしまった。何処かに新しい男でも作ったのだろう。何故そんな風に思うのかと言うと、俺の父親も実際どこの誰だか分からないからだ。

赤ん坊の俺を引き取ったばあちゃんは女手ひとつでここまで育ててくれた。
じいちゃんは、俺が生まれる前に亡くなってしまっていたらしい。ばあちゃんは普段は凪いだ海のように穏やかな人だったが行儀作法には人一倍厳しく、怒るときはちゃんと叱ってくれた。

怒っても手が出るような人ではなかったけれど、一度だけ本気で引っ叩かれたことがある。確か俺が小学生だった時、山の中で一人迷子になってしまい近所の人総出で俺を探して回ったことがあったそうだ。そして夜になってひょっこり帰ってきた俺の無事を確認した後、ばあちゃんは力一杯俺を平手打ちしたのちこれでもかというくらい思いっ切り抱き締めてくれた。

俺自身はもうその時のことをほとんど覚えていないけれど、その後何度もばあちゃんにどれだけ心配したか散々説教されたし、近所の人からも度々その時の話を聞かされた。とにかくそれがきっかけで、俺はもうばあちゃんを心配させるようなことはしまいと誓ったのだった。

ばあちゃんは、もう歳なんだからいいって言っても運動会や参観日などの行事は欠かさず参加してくれて、親としての役割を全て一人で担ってくれていた。俺にとっては親も同然だった。

しかしそのばあちゃんも昨年、病気でこの世を去ってしまった。

「自分のことは自分でやる」というのがばあちゃんの口癖だ。小さな頃から身の回りのことは大体自分で出来るように教えられてきたから、一人になっても生活の面で困ることはない。
料理も掃除も裁縫も家計簿の付け方だって、生活で必要なことは何でも出来るように教えてくれた。
あの人はきっといつかこうなることを見越していたのだろう。
やっぱり敵わないな。

ふうっと短い溜め息をつき、冷蔵庫の中身を思い出す。
晩飯、どうしようかな。

「にゃーぉ」

すると、背中に少しの圧迫感がして振り返る。ぐりぐりと身体を押し付けてくる温かく小さな彼とパッチリ目が合った。

「カイ。出迎えてくれたの?ありがと、ただいま」

チリンチリンと軽やかな鈴の音を鳴らして擦り寄ってきた灰色の猫。金色の宝石みたいな瞳が蛍光灯の灯りを反射して俺を見つめる。

七年前に俺が拾った小さな子猫は、今や立派な成猫になった。カイも俺の家族だ。

カイを拾ったその日から、朝から晩まで学校以外ではずっと一緒にいる。ご飯を食べる時も寝る時も遊ぶ時も一緒。
兄弟みたいなものだ。風呂だけは、嫌がられるけれど。

「ごめんな。寂しかったろ」

ゴロゴロと喉を鳴らして「撫でて」と言わんばかりに手の平に丸い頭を押し付けてくる、俺の弟。甘えん坊なところは子猫の頃から変わらない。

「…晩飯、作るか」

高校生と猫一匹。
この木造二階建ての広い家に、今は俺とカイだけで暮らしている。

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