mitei サンライズイエロー | ナノ


▼ 14

嘘みたいだけれど、光が止まって見えた。
今まさに俺の胸を貫こうとする雷の切っ先が、はっきりと眼前に迫る。全てがスローに見えるなんて本当にあるんだなぁなんて他人事のように感じながら、重力に引っ張られ地面へ倒れゆく身体は俺にはどうしようも出来ない。

…もう、終わりなのかな。

そんな風に考えると、ふとあの鮮やかな光を思い出した。目の前に迫る色のない鋭い光ではない、いつか見たあの暖かな日の出のような光。その輝きにまた会えたなら、俺は何を伝えようとしていたのだろう。
やっぱり、思い出せないな...。

「陽多っ!!」

意識の端っこで聞き慣れた声が響く。

あれ、柊凛…?なんでここに…。
死ぬ直前って今までの人生が流れるように見えたりするっていうけれど、俺の場合は願望が具現化したのかな。

一番会いたい人の声が、聞こえるなんて。

そして目の前が、真っ白に染まった。



「ひなたっ…ひなた、ひなた…!」

何だろ…耳元で声がする。ひどくか細く、今にも消え入りそうな声で誰かが俺を呼んでいる。
応えなきゃ、早く、この声が消える前に。俺はここにいるよ、大丈夫だよって。

身体を起こそうとするもぎゅうっと苦しいほど抱き締められているらしく、思うように力が入らなかった。触れているところは温かい、というより、熱いくらいだ。それなのに、俺の頭を支える手だけは酷く冷たく震えていた。

俺の名を呼ぶか細い声の主は俺の首筋に顔を埋め、何度も何度も同じ名を繰り返している。ふと、またあの匂いが鼻腔を擽った。

ああ、俺知ってる。数ヵ月どころじゃない、もっともっと昔から、俺はこの匂いを知っている。
ずっと焦がれて、だけど思い出せなかった匂いだ。俺に「続き」をくれた、あの日の匂い。

やっぱり、大好きだなぁ。

「ひなた…ひなた…」

「…しゅり?泣いてるの?」

俺が応えると、声の主は顔を上げた。温かい滴で綺麗な頬をたくさん濡らしている。

「ひなた、怪我は?!痛いところは、」

「無いよ。ちょっとビックリして気絶しちゃったみたいだけど、柊凛が守ってくれたんでしょう?」

「良かった…間に合った、良かった…ひなた…陽多っ!!」

「ちょ、苦しいから!」

俺をぎゅっと掻き抱く彼の腕はまだ少し震えていて、とても怖い思いをさせてしまったのだと実感する。
さっきまであんなに土砂降りだった雨はいつの間にかぱったりと止み、割れた雲の隙間からは日の光が遠慮がちに顔を出し始めていた。

「子供たちは…?」

「大丈夫。ちゃんと親が迎えに来てたよ」

「そっか………良かった」

あの時、確かに俺は雷に撃たれそうになっていたのに、何故か今こうして生きていられるのはきっと彼のお陰なのだろう。だって、彼は自身の変化に気づいていない。

「しゅり。俺は大丈夫だから、もう一度こっち向いて」

「ひなた、」

「ねえ、しゅり」

俺の言葉に素直に従い、彼はゆっくりと身体を離した。さらり、と揺れた髪。俺を見つめる、少し潤んだ真っ直ぐな瞳。

濡れた頬にそうっと手を伸ばして赤くなった目元をするりと撫でた。するとくすぐったそうに綺麗な瞳が細められ、溜め込んだ一滴がつうっと真っ白い頬を更に濡らした。ああ、そうだったんだ。やっぱりそうだったんだ。

次いで、髪に触れる。さらさらなのは変わらないな、なんて思わずふっと笑ってしまった。やっぱり触り心地いいや。

「…ひなた?」

不安そうに彼が俺を見つめている。やっと分かったよ、俺がその瞳に安心する訳が。

「俺のために、力を使ってくれたんでしょう?」

「…っ?!」

「やっぱりそうなんだね」

「…ひ、」

何か言おうと彼が口を開く前に顔を寄せ、こつん、と真っ白な額を俺の額に引き寄せた。艶やかな頬に両手を添え、少しだけ目を閉じる。両の手に感じるこの湿った感触は、彼がそれだけ俺を心配してくれていた証だ。
それにしても、この距離からじゃどきどきしてるのすぐバレちゃうなあ。

引き寄せる瞬間、大きく見開かれた瞳。
俺を見つめる見慣れた瞳。

黒じゃなくて、凛とした黄金の瞳。

「ひな、た…」

視界の端に見える彼の髪は濡れ羽色じゃなく、灰色。さっきまで泣いていた空の色みたいだ。
…そういえばカイの毛色と同じだなあ。

「やっぱり綺麗だな」

「…驚かないの」

「驚いてんじゃん、今」

「全然そんな風に見えない…」

「ありがとな、助けてくれて」

「…ん」

「お前って天気操れんの?すごいね」

「…ちょっと逸らしただけ」

「そんなこと出来ちゃうのがやっぱすごいよ」

「…必死だったから分からない」

「だから、色戻ったの?俺は黒いのもこっちも両方好きだけど」

「分からないけど、俺に使ってた分の力も使ったのかもしれない」

「ふーん…?」

何だかよく分からないけど、俺を守るためにどうやら彼は本来の姿に戻ったらしい。こっちが本当の姿ってことでいいのかな。
密着していた身体を離してもう一度まじまじと柊凛を見つめた。

晴天に浮かぶ自由な雲みたいに真っ白い肌と、今にも雨が降り出しそうな曇り空の灰色の髪と、深い夜に光を灯すようなサンライズイエローの瞳。

この世の全ての輝きを一ヶ所に集めたような、記憶の中よりもずっとずっと美しい宝石。

思い出は美化されるっていうけれど、実物の方が記憶よりもずうっと美しくてこんなにも眩しかったんだなあ。

俺が見惚れていると、柊凛がすっと俺の手を取って自身の口元へ運び、ちゅっと手の甲にキスを落とした。長い睫毛を伏せた彼の、何かを誓うような、祈るような仕草が余りにも神秘的で目が離せない。

やっと顔を上げたかと思うと妖しく光る眼が少し弧を描いて、思わずどきりとしてしまった。何色であっても彼の持つこの眼差しの威力は変わらなくて困る。



帰り道、握った手は離されないまま、雨が止んだ人気の無い畦道を二人で歩いた。雨をたくさん吸い込んだ土は足を下ろす度靴にまとわりついてははらはらと落ち、道に二人分の跡を残していく。

柊凛も俺も、黙ったまま。
心地良い静寂が辺りを覆い、時間の流れさえもゆっくり感じた。繋がれた手は温かく、彼がそこにいるのだと教えてくれる。

…前にもこんなこと、あったなぁ。

まだ完全ではないけれど、柊凛と出会ってから欠けていたピースが少しずつ埋まるみたいに俺は記憶を取り戻し始めていた。

ふいに柊凛が立ち止まる。
俺もつられて、立ち止まった。

「…ひなた」

「なぁに」

振り返った柊凛は何も言わず、ただ黙って遠慮がちに俺の身体を包み込んだ。俺も大人しく、彼の腕に収まる。

そっと彼の背に手を回し、抱き締め返す。何だか今日は抱き締めあってばっかだな。
そんなことを思っているとふと、何か硬い感触が俺の手の平を横切った。彼のちょうど肩甲骨の辺りだ。何だろう。二つある。

手で撫でて慣れない感触を確かめていると、彼がゆっくり顔を上げた。

じいっと眉根を寄せて俺を見つめるもんだから、何かいけないことをしてしまったのかと思った。

「ごめん。痛かった?」と聞いてもふるふると首を振るだけ。やはり不安げに俺を見ている。

彼は俺を抱き締めていた腕を離すと、おもむろにシャツを脱いだ。下には何も着ていなかったらしく、真っ白い彫刻のような身体が晒される。

それから彼は少し躊躇すると決意したように後ろを向いて、俺に背中を見せた。
彼の背中にあった違和感。これは…傷跡だ。

左右の肩甲骨辺りに二つ、上から下へ伸びたちょうど手の平くらいの大きさの傷跡。
これはまるで…。

「痛くない?」

彼が首を横に振るのを確認すると、俺はつー、とゆっくりゆっくり傷跡をなぞった。少しでこぼこしてるな。手術して何年も経った後みたいに、古い皮膚の上に新しい皮膚が繋がっている。
ただでさえ白い肌だ。近くでよく見なければ色の違いなんてよく分からないが、そこだけ少し色が違う。確かに何かを切り取ったような跡だった。

けれど、驚かなかった。
だって俺は多分、知っていたんだ。

人間になりたかったのだ、と彼は言った。

言って直ぐに、「やはり違う」と訂正した。

「人間になりたかった訳じゃない。ただ僕は、」

きみと同じものに、なりたかったのだと。

きみがたまたま「人間」だったから、翼を取るだけで良かった。他の生き物だったらもう少し面倒くさかったよ、と頬を緩めながら世間話でもするように彼は言った。

何てことはない。もう空を移動するような用事はないし、永すぎる生にだって興味は無い。
もう見つけてしまったから、後戻りは出来ないのだと。

離れがたく失いたくないたったひとつを見つけてしまったから、再びここへ来た。
それだけのこと。

きみがいなくなった世界で何年も何十年も何百年も空を飛び続けるくらいなら、きみと共に重力に支配された世界で生き、きみと共に朽ちたい。
たったそれだけのことが、この翼ひとつで叶うのならば僕にはあまりにも安い対価なのだと。

「ははっ。馬鹿だな」

遠い記憶のなかの純白が頭を掠める。沈みゆく太陽の光を透過したそれは少しだけオレンジ色に染まって、とても神々しかった。
そんなことであんなに綺麗だったものを簡単に捨てちゃうなんて、やっぱり馬鹿だ。
俺にあの翼程の価値があるなんて到底思えないが、とにかく今は笑いが止まらなかった。笑って笑って、たくさん笑って、笑い疲れてふぅっと大きく息を吐いた。

たくさん笑うと、今度はふいにポタッと雫が落ちた。何だろう、笑いすぎたのかな。
目から涙が溢れて止まらない。

たくさん笑った後は、泣いて泣いて、とにかく泣いた。悲しい訳でもないのに、身体中の水分が無くなっちゃうんじゃないかってぐらい俺は泣いた。

そんな俺の頭を優しく撫でながら、彼は何も言わずにじっと目を細めるだけ。
雨上がりの柔らかな光を反射して、美しい金色の輝きはただただ優しく俺を照らす。

ひとしきり泣いた俺が顔を上げると、再び柔らかな風に包まれた。
何にも覆われていない白い肌が再び俺をすっぽり包み込む。

雨上がりの土の匂い。
凪いだ海の穏やかなさざめき。

痛いくらいの静寂の中に、ぽたっと落ちた一滴。
波紋が広がるように、心の中が色づいてゆく。霞んでいた視界が段々とクリアになって、その先に彼がいた。やっと、会えた。会えたんだ。

あぁ、そっか。
嬉しいっていうんだ、こういうの。

だって、もうずっと会えないと思っていたから。もう二度と会うことは叶わないと思っていたのに、我儘な俺は会いたくて会いたくて仕方なかったんだ。
もう一度その輝きを見たくて、どれだけ記憶を引っ張り出して君の姿を探しても、時間がどんどん消していくんだ。

俺はずっと鮮明なまま覚えていたくて何度も何度も色を塗り直すけど、それでもやっぱり忘れていくんだ。それが嫌で嫌で、怖くて堪らなかった。

じわじわと色褪せていくのを思い知らされるくらいならば、いっそ一気に消してしまいたかった。時間の前で、どうしようもなく俺は無力だった。

諦めていたんだ。もう絶対に叶わないと。
なのにこんなに簡単に君が現れたもんだから俺はびっくりして、とにかくびっくりして嬉しいなんて簡単な言葉じゃ表せないくらい色んな感情が押し寄せてきたんだ。

同時にやっと、俺は寂しかったのだと自覚した。
今まで十分過ぎるくらいにばあちゃんに愛されてきてそれで良かったはずなのに、心の何処かで俺は本当に必要な人間なのかなんて答えのない自問自答を繰り返していた。

ばあちゃんも死んでしまい、俺をこの世界に繋ぎ止める細い細い糸が千切れてしまった気がした。
カイが居なければ俺は本当にどうなっていたか分からない。重さを失った俺はそのままあてもなく何処かへ飛んでいってしまいそうな気がして、だけど実際は地面にぴったりくっついたまま何処へも行けないのだと思い知らされる。
怖かった。何が、と問われると分からないけれどとにかく、怖かった。
俺は自分を守るために、自分自身にも心を閉ざしていたのだ。

彼に出会って、固く閉ざされていた世界にふわりと暖かい風が吹き込んだ。

雲間から覗く柔らかな太陽の光と、雨上がりの土の匂いをつれて。
風がどこまでも吹き抜けて、俺が立っているこの地面はどこまでも続いているのだと教えてくれた。
飛べなくたって歩いていけるよ、と。

彼は、共に歩いてくれると言った。自由に空を飛びまわることを捨てて、こんなどうしようもなく無力な俺と、手を繋いで、一歩ずつ。
もう空っぽじゃない隣を想像して、また胸が温かくなった。だけど本当に馬鹿だよ、お前は。

「一生一緒にいるなんて、そんなに簡単じゃないと思うよ」

楽しいことや嬉しいことばかりじゃないし、辛い事や嫌になることだってきっとある。俺と彼で、二人の力で果たして本当にそれを乗り越えていける保証なんてない。
それでもいいの、と悪戯っぽく彼を見る。見上げた輝きには、一点の曇りも無い。

「一生じゃないよ。もっとずっと。ずっとだ」

そう言って、二人同時に吹き出した。

普通なら絶対に不可能だと思うようなことも、彼と一緒なら馬鹿みたいに出来る気になってしまうから不思議だ。

もう二度と朝が来ないと思っていた世界に、漸く太陽が顔を出した。

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