mitei 勇者をやめたい話 | ナノ


▼ 途中

めんどくさいな…。もういっかな、魔王討伐とか。

満身創痍で行き倒れかけたところに、緩やかに立ち上る煙と民家みたいなものが見えた。気のせいじゃなければ足音と、人の声がするなぁ。

…こんな森の中に民家なんてあったんだ。

倒れる寸前に土だらけの手が伸びてきたように思ったが、夢だったのかもしれない。

この世界には勇者という存在が何人もいる。
そんな勇者という名前だけは格好良さそうな職業だが、中には国直属の騎士団に所属できるほどの強者から俺みたいな何の取り柄もない者まで、その実力は様々だ。

勇者になるには一応試験があって、それをパスすれば誰だって勇者になれる。しかも受験料はタダ、挑戦回数も制限はなし。
そして勇者になればランクにはよるもののある程度の報酬がもらえ、更に魔王なるものを倒した者には国王と並ぶほどの財と名誉が与えられるという。

俺の出身は田舎も田舎のど田舎で、子供は少なく学校なんてなかった。従って勉強を学ぶ場所なんてなく、教養どころか読み書きすらほとんどできないまま成人を迎えて。読み書きができなければろくな仕事に就くこともできないのだと知ったのは成人の儀で大きな街に出掛けた時だった。

別に貧しくはあっても暮らせない訳じゃない。今まで通りずうっと田舎の畑仕事を手伝って生活できればいいという気持ちと、本当にこのままでいいのかなという曖昧な気持ち。そんな時にたまたま風の噂で聞いた勇者募集の知らせ。

聞けばこの世界を支配せんと目論む恐ろしい魔王が人間界に日夜魔物を送り込み、国王が一刻も早くその脅威を払いのける者を探しているのだという。吟遊詩人の歌なので多少の誇張はあるかもしれないが、現実的に考えて勇者とやらになった方がちょっとはマシな暮らしが出来そうに思えた。ケンカは強くないけど、畑仕事のおかげか多少の筋肉はあるし。受験料タダだし。

そういう訳で受験した勇者試験は、試験官である騎士を相手に一本取ったら合格という実にシンプルなものだった。ちなみに俺が受けた地区の試験官であった騎士はあまりやる気がなかったようで、そこは他地区と比べても合格率がやたら高かったらしい。

というわけで、この世界には「勇者」という存在がたくさんいる。ちょっと大きめの街を歩けば多分十人は絶対いる。

…わざとなのかな。もう誰でもいいやってくらい、王様は魔王とやらをそんなに早く倒したいんだろうか。そんなに魔物の被害は深刻なんだろうか。

自分が暮らしていた土地は田舎すぎるからか、魔物なんて見たこともなかったけどなぁ。

…本当に魔王なんているのかな。

「………?」

ぼんやりとここに来るまでのあれやこれやを思い出して目を開けると、知らない天井が広がっていた。というか天井を久しぶりに見た。ここ最近はずっと野宿だったからなぁ。木製の柱はしっかりしてて、どこからか微かに美味しそうな匂いがする。幻なんだろうか…。

宿屋さん…じゃなさそう。人の気配はほとんどしないし、街では聞かない鳥の声がする。
もぞ…と身体を動かすと、ものすごく滑らかで気持ちいい感触がした。俺の貧乏人生で一番上等なシーツと布団だ。ペラペラじゃない、ちゃんと綿が入ってるふかふかのベッド。真っ白なそれは今まで泊まったどの宿屋さんより高級そうで、なのに懐かしいような、心が安らぐ香りがした。

「あ、起きた?大丈夫?怪我してたみたいだから勝手に手当てしちゃったけど…痛いとこない?」

「あ、えと…」

見上げると、心配そうにこちらを覗き込む青年がいた。若いな。俺と同じか、ちょっと年上くらいに見える。

水を持ってきたという彼の手は洗ったのだろうか、その時は白く美しかったが、消してか細いものではなかった。見覚えのある、農作業をする者らしく節くれだった働き者の手だ。

もしかして倒れる直前に見えた手は、このひとのものだったんだろうか。
地面に打ちつけたと思った身体がどこも痛くないのは、倒れる俺を抱き留めてくれたからなんだろうか。

「水、飲める?もし食べられそうならお粥も作ってあるからね」

「あ、りがとう…ございます…?」

短髪だと思っていた淡い茶色の髪は後ろで束ねられていたらしく、彼が顔を傾げるとさらりと流れた。心配してくれているのであろう赤茶色の瞳は真っ直ぐに俺の顔を見つめている。

俺は顔の美醜についてはあまり分からないけど、何となく「きれいなひとだな」と思った。顔の造形が、というよりどこか…纏う空気が今まで感じたことのない神秘的なものに思えた。

こんなに誰かに優しくされたのも多分人生で初めてだ。目頭が熱くなるのを感じて、それを悟られたくなくて目線を落としたらぽたっと雫が真っ白なシーツに溢れてしまった。
水を溢してしまったのかもしれない。綺麗なベッドを汚してしまって申し訳ないと思ったけれど青年は何も言わず、何も見なかった振りをしてお粥を取りに行ってしまった。

彼が去る瞬間、気のせいだと思うけど、本当にただの気のせいだと思うけど…。頭にぽんと優しい重さが、温かさが乗せられた感覚がして。
もしかして撫でられたのかと、錯覚してしまう。

汚く思わないんだろうか。見ず知らずの俺をこんなきれいなベッドに寝かせてくれて、傷の手当てもしてくれて、その上食事に…あの眼差し。

だめだ、また目頭が熱くなる。ベッドにポタポタと透明な染みができては消えていく。
汚しちゃだめだと思うのに、止まってはくれなかった。服も気づいたら見たことのない上等な生地のものに変わっていて、袖で拭うことさえ気が引けてしまった。

彼は、俺の涙が止まった頃に戻ってきた。
手には温かいお粥と果物が乗ったトレーを乗せて。

その後青年は詳しいことは何も尋ねず、この辺りは雨が多くて作物にいいこととか、たまにリスが窓辺に来ることとか、ぽつりぽつりと他愛もない話をしながら食べ終えるまで側にいてくれた。言うまでもなく、世界で一番美味しい食事だった。

「あの…なにかお礼を…」

「そうだなぁ。じゃあまずは、元気になってもらおうかな。このままじゃ心配だからね」

あぁ、錯覚じゃなかったんだ。
今度こそぽんぽんと、頭に心地好い重さが乗って撫でられた。赤茶色の眼差しは変わらず優しくて、見下すような色も馬鹿にするような色も全くなかった。ただ、本当に心配しているような光で…それを見るうち瞼が自然と重くなってしまった。

知らなかったなぁ。
まさかこんな森の中に、人が…それもこんな優しい青年が暮らしていたなんて。



一人の勇者が眠りに落ちた後、小屋の外では淡い光りを放つ石に向かって話す青年がいた。

『あの、ずっと気になってたんですが』

「………何だ」

『何故そんなにずっと右手を気にされておられるのです。貴方ともあろう御方がまさか怪我など』

「していない、気にするな」

『はあ、では早く戻ってきて仕事してください』

「あと数日、いや数週間は戻れぬ」

『はあ?なりません。近々各領の領主が集まる会合もあるのですよ』

「分かっている…ならばその時だけ戻ろう。あとの仕事はその時一緒に片付ける」

『…右手を見つめられていることと関係が?』

「………壊れそうだった」

『は?』

「朝、窓辺に来るリスよりももしかしたら柔くて脆そうで…あんなに儚くて可愛くて今までよくあんな…」

『怪我したリスでも保護されたんですか?貴方が?』

「まあそんなところだ」

『一体どういう風の吹き回しです?貴方そもそも動物など可愛がるような感性お持ちじゃないでしょう。そんなだから』

「うるさい、とにかくあと数日は戻らない。ではな」

煩く小言を放ち続ける石に魔力を送るのをやめると、簡単に光はなくなり、ただの石に戻った。なのに。

右手に触れた感触や温度は、まだ消えない。
それがやけに不思議で、そして心地好く感じながら青年は小屋に戻っていった。

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