「すごい!お兄さん魔法使いだぁ!!」
小さな身体をめいっぱいに広げてくるくる回り、嬉しそうに笑いながら女の子は言った。
魔法使いだなんて、そんな大袈裟な…。
嬉しくもむず痒い気持ちで、にこにこ俺に笑いかけてくる女の子に笑い返す。多分ぎこちないんだろうなぁだなんて思っていたら、女の子の視線がちょっと上に移って、頬がぽっと赤くなった。
「へえ。お兄さん、魔法使いなんだ?」
「いや違…え、どなたですか…?」
誰だこのひと。ていうか、美…!?
しゃがみ込んでいた俺の顔を上から覗いてきたそのひとは、一瞬人なのか何なのか迷った。天使とか人形とか、彫刻かと思った。いやでも、頬も目元も動いてる。笑ってるな…。
艶のある黒髪に濃い青の瞳…。見た目だけならこのひとの方が魔法使いじゃないか?
しかしなるほど、女の子が照れたのはこの美形さんが来たからか…。と一人納得していると、女の子と同じく頬を赤くしているご両親が迎えに来た。ちょっと離れたところで俺たちを見守ってくれていたらしい。
ふむ、それにしても…。これだけの美形を前にするとみんな頬が赤くなるらしい。いや分からんでもないけど。
ご両親に連れられ、女の子が「ばいばぁーい!」と名残惜しそうに手を振って去っていく。立ち上がった俺はその姿が人混みに見えなくなるまで小さく手を振りながら見守っていた。喜んでくれたみたいで良かったな。
「で、アンタ魔法使いなの?」
「あぁ…」
まだいらっしゃった…。いや、さっきの質問を放ってたのは俺なんだけどね。
「そんなんじゃないっす。ちょっと裁縫が得意で、ほつれたあの子の服を直してあげただけで」
ついでに買ってきたばっかりの新しいかわいい布を縫いつけただけで。まさかあんなに喜んでくれるとは思わなかったけど。
俺がそう答えると、問い掛けてきた綺麗なお兄さんは「ふうん」と興味無さげに返事を寄越した。訊いてきたのそっちのくせに…まぁいいけど。
「アンタ、裁縫得意なんだ」
「はあ、まあ」
会話続けるんだ。初対面なのに。てか本当誰だこのひと。
もし芸能人とかだったら知らなくて申し訳ない。でも別に変装とかはしてない。周りからはめちゃくちゃ見られてるしスマホ向けられてるけど。あれ、俺も映されてんのかな。やだな。だとしたら一刻も早くこの場から離れるに限る。
目立つのは苦手なんだ昔から。
「じゃあ、俺はこれで」
「あ」
「えっ」
踵を返そうとしていたところにビリッと音がして振り返ると、見た目魔法使いのお兄さんが眉を下げて俺を見ていた。
「おれの服も、破けちゃったや」
「………はぁ」
「困ったなぁ」
視線を下げると、確かに彼が着ていた白いシャツの裾辺りが縦に破れていた。それも結構盛大に。というか今もしかして、自分で破いた?だってそんなになるほど動いてなくないか?何したらそうなるんだ。木に引っ掛けたわけでもあるまいし…。俺の気のせいかな。
「はぁー困ったなぁ。どうしようね」
「えぇと」
「誰か直してくんないかなぁ」
「………はぁ?」
「だめ?」
「………直し、ましょうか」
「やったぁ」
こんな斬新な脅迫初めて見た。困っただなんて言いながらちらちらと俺を見る彼は明らかに全然困ってなさそうだったし、服だって破れてるのは別に隠せば何とかなる位置だし、なんなら逆にお洒落にすら見えるし。それにやっぱり周囲の視線が痛いから俺は早くこの場から離れたいし。
でもでも、服に罪はないし。
悩みに悩んだ俺は自分でもちょろいと思いつつ、変な彼の服を繕うことにした。マジでなんなん、こいつ…と思いながら俺より高い位置にある顔をじとりと睨みつけると、ふっと微笑まれたのも意味が分からん。
「…もうこういうこと、しないでくださいね」
「こういう…?あぁ、無理やり連れてきたこと?」
「それもっすけど。…服が可哀想なんで」
「…そっちか」
彼に連れられて入った店は外観から高級店という感じがして入るのが憚られたが、かといって普通の喫茶店に入ろうものならやっぱり周囲からの好奇の視線からは逃れられまい。それに早く直してあげたかったし。
そうして入ったイタリアンのお店は全席が個室で、周囲の視線は気にならなかった。俺は彼から服を受け取ると運ばれてくる料理もそのままにリュックからいつも持っている裁縫セットを取り出して繕い始める。
というか料理なんていつ注文したんだか。今日どんくらい持ち合わせあったっけ…。さっきまで布やら糸やら裁縫道具をるんるん気分で買い漁っていたから、正直ほとんど持ってないと思うけど…。
むむ…とそんなことを心配しながら無言で服を繕っていると、正面から「ほう」と感心するような声が聞こえた。そういや人と一緒だったと存在を思い出して慌てて服から顔を上げると、そこには上半身裸の彫刻…みたいな美の集大成…じゃなくて変なひとがいた。今更ながら、何で裸…。
「何で裸…」
「下は履いてるよ、全裸みたいに言うなよ」
「さーせん…?」
俺が今持ってる服以外に何も着てなかったってことか。いや別に全然寒い季節でもないしおかしくはない、けど。
え、腹筋も彫刻…?うらやましい…。
そんな俺の視線に気づいているのかいないのか、彼の青い視線は俺の手元に集中していた。こっぱずかしいな、ちょっと。
「マジで裁縫得意なんだなぁ。魔法使い?」
「違いますけど」
というかマジで魔法使いだったら、こんな針も糸も使わなくたってパッとしてシュッとしてキラキラってしたら服ができるだろ。シンデレラとかそんな感じじゃん、多分。でも俺は服とか小物とか、作る過程が好きだから多分魔法が使えてもこうやってちまちまと手を動かしてるんだろうけど。
「アンタ、魔法使えてもそうやって手動かしてそうだな」
「え、心読んだ?貴方のが魔法使いでは…?」
「そうかな。そうかも。だとしたらどうする?」
「いや別に。すごいっすね」
俺は手元に視線を戻して作業を再開させながら、彼のファンタジックな質問に適当に答えた。もしこの見た目だけは美しい彼が魔法使いだったら。すごいなぁとは思うけど別にそれだけかな。だって俺に関係ないし。
半分は出来たかな、というところで一旦手を止めて、服を上げて確認してみる。と、自然に俺を見ている青い瞳が視界に入ってきた。
「どこまでもおれに興味ないね。かなしー」
「本心じゃないですね。うざいんでやめてください」
「そうね、悲しくはないね。でもちょっとは歯に衣着せてあげて」
「はあ、申し訳ありませんでした」
「やっぱ素のままでいいわ、そっちのがたのしーわ」
「どっち」
「素のままで」
にやっと笑った顔は全然彫刻じゃなかった。それにしても整った顔。黙ってさえいればもっと綺麗に見えるのかもしれないが、俺は何となくこっちの鬱陶しい彼の方が好ましい気がした。別に彼自身の好感度は高くないし、なんなら服を破いた時点でマイナスなんだが。全く、服に謝れエセ魔法使いめ。
それからぽつぽつと本当に中身もない雑談を交わしているうちに彼の服の修理は完了した。そのまま渡してさっさと帰ろうとした瞬間に盛大にお腹が鳴ったので彼に勧められるままパスタを食べたりしているうちに時間は経って、気づけば外は日が傾いていた。
「あれ、いつの間に服着てたんすか魔法使いさん」
店を出て隣を見ると半裸の彫刻美青年はもうおらず、俺が綺麗に直した服を着た美青年が立っている。
「きみはほんとにおれに興味ないな。パスタ食べ始めた辺りからもう着てたよ」
「へえ」
いつの間に「きみ」呼びになったんだろ。空が赤い。昼飯の次はもう晩飯のこと考えなくちゃ。
空を見上げてぼうっとしていると、斜め上から声が降ってきた。
「なぁ、そんなんで大丈夫?友達いる?」
「貴方よりかは、多分」
「ならいいけど」
「いいんだ」
いいんだ。
結局あの超高級そう、実際に結構なお値段だったイタリアンの代金はこの呆れ顔の美青年さまが支払ってくださった。服を繕ったお礼だそうだ。案の定俺はお金を持ち合わせていなかったのでありがたく奢っていただくことにした。美味かった。デザートも美味かった。けどこのお金はまた今度返します、とかは言わない。服を繕ったのでチャラってことにしてほしい。
そもそも服を破ったのはこの俺をじいっと無遠慮に凝視してくる、黙ってれば彫刻美青年ご本人なんだが。
そうだった、こいつ俺の好きな服に無礼を働いたんだった…。ということを思い出して俺にぶつかってくる視線をじとりと見つめ返していると、彼がふっと口を開いた。
「…悪かったよ。服、わざと破いたりして」
「えっ」
「好きなんだろ。気分悪かったかなって」
「思いやる心、あったんすね…」
「きみは歯に着せる衣を繕った方がいい」
「えぇ」
感心して言ったのに…。まぁいいや、これで完全にチャラってことで。服にも謝ってくれたならそれでいい。
そろそろ解散かなと思ったところで彫刻美青年が俺のパーカーの裾を引っ張った。また破る気か、コラ。
「言い忘れてたんだけどさ」
「なんすか」
「服、ありがとな。直してくれて」
「…いえ」
そもそも破ったのあんただけどな、という言葉は飲み込んだ。つい今しがた謝ってもらったので。
だがそれも心が読めるらしい彼にはお見通しだったようだ。
「まぁそもそもおれが自分で破いたんだけど」
「自白した」
「魔法使いと話してみたくて」
「なんて?」
「魔法使いの魔法ってどんなかなって」
「いや、なんて?」
俺、魔法使いじゃないって言ったじゃん。なのに彫刻…じゃない、表情豊かな青い彼は視線を下げて言った。
「女の子の笑顔がやたら眩しくて。おれも、魔法使いさんとやらにかかれば、あんな風に笑えんのかなって思ったんだよ」
「ほお、それはまた…」
それで俺に声を掛けてきたと。なるほど、どういうこと?
俺はただちょっと怒りながら服を繕ってあまつさえ飯を奢ってもらってただけで、このひとをあんな風に笑わせてはいない。つまりは魔法失敗ってことか。
でも俺としては、彼との時間は悪くなかったな…と勝手なことを考える。話、くだらないことばっかだったけど結構楽しかったし。行動とか色々と意味分からんかったけど、何だかんだ人のこと見てんだなと思ったし。
でも彼はあの女の子みたく笑えなかったので、やっぱり俺には魔法は使えなかったと…。
「ごめんなさい、笑わせてあげらんなくて…」
俺に視線を戻した彼にぽつりと零すと、彼は何言ってんだこいつという顔をした。きょとんとかじゃない、あまりにも雄弁に表情がそう言っている。
「何言ってんだか。おれ今日笑ってたの、見てなかった?」
「ちょいちょい」
「見てんじゃん」
「でもあの子みたいにこう、満面の笑みとかはなかったかと…」
「初対面だぞ、求めるハードルが高い」
「初対面の自覚あったんだね」
「全く…。そもそもおれは、人前で笑ったことがほとんどないから。冷たいんだってさ」
「嘘だぁ」
「まぁ信じてくんなくてもいいけど…やっぱきみは魔法使いだったよ」
「マジで」
数秒無言で見つめ合うも、彼の言うことが嘘だとは思えなかった。今日会って話した彼は黙っていれば彫刻かと思うくらい美しかったけど、あれやこれや俺にくだらない質問を投げかけてきたり小馬鹿にしてきたり、黙っている暇もないほど動いていたから少なくとも冷たいだなんて印象は持てなかった。からかってくる態度がたまに腹立たしくはあったけど。てか初対面の自覚あったんだな。
「というわけで」
「というわけで?」
「これからよろしく、おれの魔法使いさん」
「よろしく…よろしく?」
「逃げられると思わないでね」
「えぇ」
すっと差し出された手を反射的に握ると、温かかった。
どうやら俺は魔法が使えたのかもしれない。本当かどうかは、これから彼が証明してくれるだろう。多分。
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