雨の中にいると静けさもうるささも両方やってきて、どちらに身を置けばいいのか分からなくなってしまう。こいつの隣にいる時もたまに似たような感覚になるがこの野郎の場合はどちらかというと…雪っぽい。黙ってさえいれば。
それにしてもこの猛暑が続く季節に雪を思い浮かばせるとは。だけども俺の眼前で仏頂面をしながら本を読む彼は何とも涼やかな外見をしている。
染めてるのか地毛なのか聞いたことはないが白っぽい髪に、グレーっぽい瞳。近くでよく見ると青が入っていることにはこないだ気づいたが、よほど近づかないと分からない。とりあえずブルーグレーと形容しておこう。そんでもってこの真夏にしても日に焼けていない肌だ。
見たことないけど日焼け止めめっちゃ塗ってんのかな。俺も見習おう。見習ってもそんな綺麗につるつるつやつやにはならんと思うけど、一応。
フルーツ増し増しのかき氷が溶けてまあるい器の端からシロップが零れそうになる。あぶない、目の前の、黙ってれば彫刻野郎に見惚れていたせいだ。顔だけは良いもんな。
慌ててスプーンで掬ってかき氷を口に運び、また前に向き直る。と、一体どこから見ていたのか親友は声に出さず、口の動きだけで「あほ」と告げてきた。零しかけたことについてなのか分からないが俺ももぐもぐと味を楽しんでから「ぼけ」と返す。もちろんサイレントで。
最近大学の近くにできたというかき氷専門店はこの暑い季節になると特に人がいっぱいだ。特にお昼頃や休日なんかになれば尚更。だからここに入れたのは奇跡だった。
ただ、連れがこの見た目も中身も氷野郎ってことだけが残念な点だ。俺がオススメの特大各種フルーツ盛りかき氷を頼んでいる目の前で、さっきからアイスコーヒーしか頼んでいない。かき氷専門店的にそれは果たしてオッケーなのか分からないが、店員さんはにっこりと対応してくれるだけで特に嫌な顔もされなかった。大丈夫ってことかな。
分からんがとにかくかき氷は美味い。屋台で売ってるみたいな氷とシロップだけのやつも嫌いじゃないが、これは最早別のジャンル。一種のスイーツだ。
甘いものが大好きな俺は新しい店を開拓出来て嬉しいし、外は蒸し暑かったからクーラーの効いてるところに来れて更にラッキー。その上急な土砂降りにも濡れずに済んで良かった。ちょっとは濡れたけど。
ついさっきのことだ。たまたま、本当にたまたま大学が午前で終わって、この店の前を通ろうとした時だった。いきなり空がゴロゴロ言い出したかと思ったら一気に雨が強く降って、この店に駆け込んだ。親友…俺はそう思ってる…と一緒に。
「本、濡れなくて良かったな」
「ん」
「一口いる?」
「要らね。甘いの苦手」
「知ってるけど、甘くないとこ」
「そんなとこあんの?」
「ほら、この辺。フルーツは食えんだろ?」
「ん」
本から顔を上げ、口を開けたので「食わせろ」ということだろう。俺もスッと彼の口にかき氷の一部をお裾分けした。シロップのかかってない、マスカットと一緒に。
こういう行動は高校の時くらいかな、出逢って数ヵ月くらいでするようになってたから別に今更何とも思わないんだけど。何とも、思わないんだけど。
スプーン持ってる手、握ってくる必要ある…?
気にしないけどな。そして多分、俺よりずっと何にも気にしていない氷野郎が俺の手からスプーンを奪い取った。無言で。このやろう。
「おいスプーン泥棒」
「美味かった。もっと食う」
「かき氷泥棒」
「食うかって聞いたのお前じゃん」
「そうだけども」
静かな店内では外の雨音も集中しなきゃ聞こえない。すごい雨。傘を持っていない人の方が多かったみたいで、鞄を盾に小走りする人や濡れるのを気にせずに歩いている人、タクシーを捕まえている人などが窓の中から見えた。みんな大変だ。俺なんてかき氷食っててごめんなさい。まぁ奪われたんですけどね。
「外見てて楽しい?」
「いやぁ、雨、いつ止むんかなと思って」
「こっち見て」
「なんすか、かき氷泥棒さん」
「ん」
くそ、見るんじゃなかったとちょっと後悔した。
ふっと口元を緩めてこちらを見つめるかき氷泥棒は、かき氷のシロップを瞳に溶かしたんかってくらい甘い顔をしていた。いま、そとで、そんなかおする?
思考が一瞬止まって、彼の口元を見てまた動き出す。
…シロップついてんじゃん。
せっかくの決め顔に、シロップ、ついてますけど。
俺は照れて赤くなればいいのか笑えばいいのか迷って結局「んふっ」と吹き出してしまった。さっきまで居るんかなってくらい静かに本を読んでいた彼は今度は子どもみたいに口元を汚してきょとんとしている。わざとなんだろうか、写真撮ったら怒るだろうな。
「一枚五万円」
「たっか」
たっか。アイドルのブロマイドよりもたっか。
スマホを向けると目の前のかき氷泥棒は「は?」という顔をしたまま、しかしされるがまま無表情でカメラ目線になった。笑いそう。いやすでに笑ってっけど。
拒否はされないので連写すると、さすがに「は?」と今度は声を出してキレられたのでスマホをしまう。と、その前に撮った写真を見ると…すごい、大体同じ顔だ。ほとんど仏頂面だ。
アイドル級の格好良さを持っていてもこれは果たして売れるんだろうか。売ろうと思えば売れそうだが、一応肖像権とかあるのでそんなことはしない。本人嫌がるし。
…あの顔、一瞬だけだったな。
窓の外より自分の方見て欲しかったんかなとか、思ってから打ち消した。子どもか。それよりも俺のかき氷を取り戻さねば…!
スマホから顔を上げると口に何かを差し込まれた。と思ったら口の中いっぱいにさっきまで堪能していたシロップの味と、あとからコーヒーの苦みが広がる。こんにゃろう、俺が苦いの苦手って知っててわざとコーヒー飲んだな…!
「美味いっしょ」
「…後味以外は」
というかそもそも、それは俺が頼んだかき氷なんだよなぁ。
舌の上ですぐに溶けてしまう氷を名残惜しく思っているとまた、スッとスプーンが差し出された。本はもういいのか、ほれほれと言わんばかりに彼がスプーンを上下に揺らす。零れるでしょうが。
「まだ食うか?」
「残り全部俺が食うが?」
「ほい」
「聞いてたか?んぐっ」
「たーんとお食べ」
「うま…自分で食える」
「ほおら」
「てめぇ…うま」
外をちらりと見た感じ、もう傘なしでも大丈夫そうな天気だった。一瞬しか見えなかったけど多分、走らなくても濡れずに駅まで行けそうな感じ。小雨だ。多分。
窓の外の景色にも嫉妬してくるくらい面倒なかき氷泥棒が満足したら、もっとちゃんと確認しよう。
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