教室を出てから白石くんは何も喋らない。それどころか俺の方を振り向きすらせず、すたすたと長い足で冷たい廊下を歩いていく。
呼び出したのは一応俺の方なのだが、後ろ姿からでは彼がどんな表情をしているかも分からず、話し掛ける勇気が出ない。どこへ向かうのか分からぬまま暫く無言で白い背中を追った。
沈黙のせいか、いつも歩いているはずの廊下がやけに長く感じられる。ただ、気のせいか教室から離れれば離れるほど彼の周りを漂うきらきらは比例して多くなり、輝きを増している…ように見えた。周りが暗いからそう見えるだけかもしれないな。
廊下の端まで来ると、白石くんは迷うこと無く屋上へと続く階段を昇り始めた。最上階の踊り場へ出るとそこには屋上へ抜ける古い扉がある。この踊り場はよく授業をサボりたい生徒が利用しているらしいので内緒話するにはうってつけの場所とも言えるだろう。ここで話すのかな。残念ながら屋上に出る扉は施錠されていて一般の生徒は立ち入ることが出来ない。はずなのだが。
扉の前に着いた白石くんが鍵穴にそっと手をかざすと、ガチャリと硬い音がしていとも簡単に扉が開いた。
え、え、待って何それ。何だ今の。超能力者なの?やっぱりそういう類いのお方なの?いや待て…パフォーマンス的なもので実は始めから開いてましたっていうオチではないのか?それか俺が見逃してただけで実際は鍵持ってて、とか…。
俺が困惑しているのもお構いなしに白石くんは屋上へ出ると、未だ踊り場で立ち竦んでいる俺を振り返る。俺は漸くこちらを向いてくれた彼の顔を確認する暇もなく真っ白い手に引っ張られ、屋上へと踏み出した。俺が通り抜けると古い扉が背後でバタンと重い音を立てて独りでに閉まり、その音に驚いて少しビクッと肩を震わせてしまった。
もう逃げられない…。屋上へ出ると再び顔を背けてしまった白い彼を見つめながら、何故だかそんな思いが込み上げてきた。
呼び出したのは俺の方だし最初から逃げるつもりなんてないけれど、全く怖くないかと言われれば正直ちょっと、いや結構怖い。かもしれない。
ここに来るまで終始無言だし、何を考えているのか微塵も分からないし、その上先程の鍵のこともあり更に彼の謎が増えてしまった。
しかし、ここまで来たら腹を括って彼の正体を確かめなければ。そもそもその為に来たんじゃないか。
話してみたら意外といい奴かもしれないし…。
よし、思い切って聞いてみよう。
「あのさ、白石く、」
俺が話し掛けると、後ろを向いたままで彼はすっと手をかざして俺の言葉を制止した。もう片方の手では何やら口元を押さえているようだ。もしかして具合でも悪くなったのだろうか?
「え、と…あの、大丈夫?気分悪いなら別に今日じゃなくても…」
「………ちょっと、ちょっと待って。今落ち着けてるから」
…ほほう。落ち着けてるって、何を?気分を、かな。そこまで俺との話し合いに集中してくれるのは有り難いが、逆にそこまでしなきゃならないのか?まさかめちゃくちゃ怒ってるのを無理矢理鎮めようとしてるとかか?俺何かしたっけ。しかし怒られるような心当たりがないぞ…。やばい、現時点では白石くんという人物が全く掴めない。
そのまま数分くらい経っただろうか。流石に沈黙に耐え切れなくなった俺が、
「あの、やっぱり今日はもう」
止めとこうか?そう言いかけたところで漸くダークオレンジの瞳がこちらを振り向いた。
「ああぁぁぁ無理無理無理!やっぱいきなり直接はハードル高いよもぉお!やーっばい!マジやばいっ!」
………は?
「あ、の…白石くん?」
幻聴だろうか。何が起きているのか分からず、固まる俺を余所に彼は続ける。
「あーゴメンね!折角浜坂くんがわざわざ時間を割いて付き合ってくれてるのに。俺感じ悪くなかった?本ッ当ゴメン!けど無理なんだよもぉー!もっとクールでカッコいい感じでいこうと思ってたのにさぁあ!」
「はあ…?」
「あー無理無理無理!やっぱどうしてもにやけちゃうよ。あーやばい」
…何だこいつ。
漸く反応を返してくれたと思ったら…。やっと顔を合わせてくれた彼は両の手で頬を抑えつつ、ちらりと俺の目を見てはすぐに逸らし、すーはーと深呼吸して自身を落ち着かせようとしている。ように見える。
興奮…しているのか、これは。何故。出来の良いとは言えない俺の頭じゃちょっと処理が追い付かない。
いや、確かに実際に話してみなきゃどんな奴か分からないとは思ってたけど。思ってたけどさ。何というかその、あまりにも想像の斜め上過ぎてっていうか、想定の範囲の遥か彼方をいっていたというか…。こんなキャラだったのか?白石くんは。
めちゃくちゃよく喋るしめちゃくちゃ表情豊かじゃないか。こんな姿他の人は果たして見たことがあるのだろうか。いや、多分ないだろう。だって一度でも彼のこんなハイテンションな姿を目撃しようものなら、瞬く間に学校中に知れ渡ることだろう。
というか無理って何が?俺と話すのが無理ってことかな?俺そこまで嫌われてるのか?でもにやけるって言ってなかったか。
あれ、分かることが一つも無いな今のところ。
困惑したままの俺を置き去りにきゃっきゃとはしゃぐ白石くんはまるで恋バナしている女子高生みたいだ。何て言うか、見ていて微笑ましい。何故真っ白な頬が少し桜色に染まっているのか。何がそこまで彼のテンションを上げているのか。そして最も気にせざるを得ないのは、先程から彼を取り巻くきらきらがこれ以上無くきらきらと輝いていて眩しいことだ。あれは彼のテンションを反映しているのか?とにかく今まで見た中で一番眩しい。冬でもないのにひとりイルミネーションだよ。
「あのー、白石くーん。戻ってきてくんない?俺は君に聞きたいことがあるんだけど」
「あー!ゴメンね俺ったら恥ずかしい!つい舞い上がっちゃって!」
一体何にそれほど舞い上がっていたのか。彼に関わる程謎が増えていくな…。これ以上謎が増える前に一番の疑問を解決しておこう。
「うん。それでさ、ちょっと変なこと聞くんだけど、その君の周りの…」
「なになに?」
「えー、と」
「俺の周りの?」
「き、きらきらしてるやつって…」
「きらきらしてるやつ?」
「ちょ、近いって!」
俺が話す度に彼は一歩一歩近づいてきて、それに合わせて後退った俺はどんどんと壁際へ追いやられてしまった。そして遂に先程の扉のところまで追い込まれ、気づけば壁ドン状態だ。いや、後ろが扉だと扉ドンか?
とにかくとても日本人の取る距離感とは思えないくらい近く、少しでも動けば鼻先が触れ合ってしまいそうな程だ。話せばお互いの息がかかる程、近い。パーソナルスペースというやつについて、彼とは一度話し合いが必要な気がする。
俺が抵抗の意を示して少し白石くんの肩を押すと素直に退いてくれたが、それでもやはり少し近い。というか、俺の前に立つ真っ白な彼はこの上なく楽しそうに見える。雪原のようだった頬は春が訪れたように薄い桜色に染まり、ふふっと幼げに目を細め、少し首を傾げて銀色の髪がさらりと揺れる。
初めてちゃんと見た、無表情以外の表情。正確に言えば屋上に出たときから彼の表情筋は歪みっぱなしだったのだが、俺は驚きと困惑でそれどころでは無かった。改めてまじまじと見てみると…やっぱりきらきらしている。物理的にも相変わらずきらきらしているが、彼の笑顔そのものも何て言うか…きらきらしている。
子供のようなあどけなさとどこか妖艶な大人っぽさが混ざり合って、ずっと見ているとそのまま飲み込まれてしまいそうなおかしな気分になる。
じゃなくて!聞かなくちゃ。このままでは本当に彼のペースに飲まれてしまう。
「あのさ!俺の話聞いて」
「ずっと聞いてるよ?」
「おかしなこと聞くけど、笑わないでね」
「ふふっ可愛い」
よし。聞くぞ。気になっていたことを。
白石くんが発した形容詞に関しては聞こえなかったことにする。それについては深く考えるな、俺。これ以上謎は増やしたくないからな。
俺はすうっと軽く深呼吸して、真っ直ぐにダークオレンジを見つめて言った。
「白石くん、その周りのきらきらしたやつ何なの?数学ん時それで答え教えてくれたよな?」
「気づいてくれて嬉しいよ。何だと思う?」
「え、分かんないから聞いてるのに」
「浜坂くんこれ好きだよね。よく見てる」
「だって!気になるだろ普通!?」
「気にしてくれて嬉しい」
「そういうことじゃなくて…本当に何なの?普通そんなきらきら出ないじゃん!さっきも何か鍵開けてたし。白石くんは、その…あの…人間なの?」
「違うよ」
「マジでッ?!」
「ははっ、冗談だよ」
「どっちなんだよ!ってか本当それ何なの?!」
「空も飛べる魔法の粉」
「マジかッ!」
「冗談だよぉ。可愛いなぁもう」
「くっ、キリがない…ッ!ってか何で俺にしか見えないんだよ?!他の奴皆スルーしてるしっ!」
「きみにしか見えないようにしてるからね」
「え、そんなこと出来んの?何で?」
「きみのことが好きだからだよ」
「…はぁっ?!いやいや待て、それも冗談なんだろ?」
「これは本当だよ」
「いやいやいや信じないぞ。絶対冗談だろ。もう何にも解決しないじゃん…」
何を聞いても飄々とかわされ知りたいことは一向に分からない。聞けば聞くほど謎は深まるばかりでどうしたらいいのか、そもそも何をどうしたかったのかも分からない。お手上げってやつだ。
「聞きたいことはそれだけ?謎は解けたかな?」
「解けるどころか深まる一方だわ。何でそんな意地悪すんの…。俺にどうしろってんだよ」
「ごめんごめん。可愛くてついやり過ぎちゃったね。ごめんね」
だからさっきから可愛い可愛いって何なんだ…。もしかしなくても馬鹿にされてるのか、俺は。
「これはきみにしか見えないようにしてるのは本当だよ。錯覚なんかじゃない。俺が創り出してるんだから」
そう言うと白石くんはまるできらきらを掬い上げるように手を上げて、ゆっくりと俺の前で手の平を傾ける。すると本当に彼の手の上から砂が零れ落ちるように光の粒子が流れ出し、地面に落ちる前にきらきらと七色に反射して消えていった。
「何でそんなことすんの」
「きみのことが好きだからだよ」
「嘘だろ」
「本当だよ」
「だって訳が分からないよ。俺白石くんに好かれる理由ないじゃん」
「プリント」
「………は?」
「プリント、拾ってくれたでしょう?」
「え、」
「やっぱり忘れてるんだ。ふふっ。天然だねきみは」
プリント…?何のことだろう。
とにかくこれまでのやりとりで分かったことは、彼はきらきらを操れるということと、意図的に俺にしか見えないようにしているということ。そして嘘か本当か、その理由が俺のことが好きだから…ということ。
ぶっちゃけ何も解決している気がしないし、やっぱり謎が増えていくばかりだ。
「ほら、俺ってこんな見た目してるでしょう」
「白いってこと?」
「そう。子供の時から仲間外れでさ、まぁ別に慣れてるし、邪魔されないんなら楽だしこのままでいっかなーって、思ってたんだよね」
まあ子供というのは良くも悪くも正直だし、その無邪気さは時に残酷でもある。集団の中で異質だと判断した対象への態度などは特に遠慮がないことが多い。
彼がどんな子供だったのかは知らないが、どのように扱われてきたのかは何となく想像がついた。俺には想像しか出来ないけれど。
俺はただ黙って彼の話を聞いていた。
無意識にじいっとダークオレンジの瞳を見つめていると、時折照れたように視線を逸らされてはまた見つめ合った。
「一年の時ね、秋くらいなんだけど、」
「おう」
「あ、正確には十月中頃のちょうど四限が終わった後の二階の渡り廊下で」
「お、おう…?」
「俺は先生に頼まれて授業で使ったプリント運んでたんだ。職員室まで行く途中でね」
「ほう。えらいな」
「ありがと。好き。で、すれ違った集団とぶつかって数枚落としちゃったんだよね。すれ違った人達は俺に気づくと慌てて逃げていっちゃったんだけど、その後きみが来てね、」
「お、おう…」
そんなことあったか…?全っ然覚えてない。どさくさに紛れて何か聞こえた気がするが話が進まないのでそこは華麗にスルーだ。
「それで、俺が落としたプリント拾って、そのまま何事も無かったように去ってっちゃったんだよきみは」
「え、それだけ?」
普通じゃね?今の話のどこに特別な要素があるんだろう。
そう思ったが、彼にとってはそうではなかったようだ。その時のことを思い出しているのだろう彼は少し恥ずかしそうに、しかしとても嬉しそうに目を細めてふふっと柔らかく微笑んだ。
きらきらと、眩しい。
「そう、それだけ。それだけだよ。きみはまじまじと観察するでもなく、頬を赤らめるでもなく、本当に何でもなかったみたいに去って行っちゃったんだ。…そんな人、初めてだった。俺を映す瞳には本当に何の色も感じられなくて、何ていうかすごく…どきどきした。興味の欠片もない、本当に群集の一人に向けるみたいな瞳で。でも一瞬だけ見えたその瞳は、今まで見たこともないくらい澄んでいて綺麗だった。あの瞬間に落ちちゃったんだよね」
「え、落ち、…え?」
「俺もモブの中の一人っていうかさ、普通に普通の人間なんだって思えた。その時初めて、自分が普通なんだと思えたんだよ。そうしたらすごく安心して、楽になった。生まれた時からずうっと普通じゃない、おかしいって言われ続けてきて、別にどうでもいいと思ってたんだけど…でも、」
「…でも?」
「普通にしてもらえるってこんなに安心できるものだったんだね」
そう言って白石くんは少し俯き、懐かしむように微笑みながらゆっくりと瞬きをした。彼が下を向くと、長く白い睫毛が綺麗な瞳を覆って隠してしまった。
もしかして彼は、寂しかったのかな。
難しいことは良く分からないけど、学校で見かける白石くんはいつも無表情だった。彼に憧れ彼を好きだという人は数え切れないくらい多く居るけれど、誰も彼に近づこうとせず、彼の本質は見ようとしない。
誰もが見た目の美しさや儚さから勝手なイメージを作り上げ、勝手に注目し、「特別」という檻の中に白石くんを閉じ込めてしまった。
誰しも見た目から勝手な印象を抱かれることはあるけれど、彼の場合はそれが顕著だったのだ。
彼はずっとずっと、そんな風に自分が周りと違うということを突き付けられて生きてきたんだろうか。彼にかけられる言葉の中には勿論称賛の意味を含んだものも多くあったかも知れないが、「特別」であることを讃えるその言葉が必ずしも彼の求めていたものとは限らない。
背が高いとか鼻が低いとか丸顔とか、忍耐力があるとか涙もろいとか…身体的にも精神的にも一人一人特徴があって違うのは当たり前だけど、その特徴が顕著だった場合はどうしたって「普通ではない」に分類されてしまうし、周りも態度を変えてしまうことだってあるだろう。
誰にも平等に接するなんて不可能に等しいしそれが悪いというわけじゃ決してないのだが。
俺から見ても、白石くんは美しい。その特徴が例え他者から見たら羨ましいと思うようなものであっても、その容姿から誰もが彼を敬遠し話しかけようとしなかったのは事実だ。
そういう周りの態度に関して彼が「どうでもいい」という結論に至るまでに、色々な感情が積み重なっていたのではないかと勝手に想像してしまう。
俺は白石くんじゃないからぴったり彼の心情を言い当てるなんてことは出来ないが、もし俺が彼の立場だとしたらきっと少なからず寂しいんじゃないだろうかと。そう思ったのだ。
まぁ実際のところは分からないけれど。
笑みを浮かべたままの白石くんはゆっくり視線を俺に戻して更に続けた。
「それでね、その日からきみの名前、クラス、所属してる部活があるかとか選択科目とか友人関係とか調べ始めて、」
「え、」
「好きな人とか付き合ってる奴とか居たらどうしてやろうかと思ったけど学校には居ないみたいだったし、バイト先にも居なさそうだったからとりあえず安心して、」
「ん?んん??」
「それから話すことは無かったけれど表情がころころ変わるきみが可愛くて面白くてもっともっと好きになっていって…気づけば俺の部屋はきみだらけになっちゃって」
「え?え、あの…え???」
いやいやいやちょっと待ったちょっと待った。何て?俺だらけって何、聞き間違い?
何か話の流れが変わり始めたぞ。
興奮気味に話す彼の顔は先程より更に赤く染まり、にやける口角を抑えようとしているのかまた両手で頬を覆って恥ずかしそうに目を逸らした。
その姿はさながら恋バナに盛り上がる女子高生だが、何せ言っていることが実に可愛らしくない。好きな人のことは気になるもの、だとしてもここまで大っぴらに本人の目の前で語って欲しいものではないし、俺の感覚とは些かかけ離れている気がする。
俺が彼を知るよりも前に、彼は俺について調べ上げていたということか。
というかバイト先知ってるの?もしかしてもしかしなくても来てたの?!いつだよっ?!それに部屋が俺だらけってやっぱりその…いや、そこはマジで聞き間違えたのだと思いたい。一瞬脳裏によぎった光景は忘れよう。直ぐに。
しかし彼の俺に対する反応を見ていると、とても聞き間違えたようには思えない。くそ、折角俺が都合の良いように無理矢理解釈を捻じ曲げようとしてるってのにっ!
白石くんは興奮しているはずなのにいやに冷静な笑みを浮かべ、俺から目線を逸らすことなく一歩、また一歩と人のパーソナルスペースを踏み荒らしてくる。
「はあぁぁぁ…。やっぱ間近で見ると尚やばい。可愛い。超可愛い。性格はカッコ良いのに可愛いし好き。超好き。本当好きめちゃめちゃ好き。大好き。あいして、」
「ちょちょ、ちょっと待ったぁ!そこまで!理解が追い付かないんだってばぁ!」
手で壁を作りつつ後退るも再び扉まで追い詰められてしまい、逃げ場がない。と思ったらぐいっと腰を抱き寄せられて、ほぼ身体が密着したような形になってしまった。真っ白い右手は思っていたよりも大きく、簡単に俺の頬を包み込んでしまう。宝物に触れるように、親指でするりと優しく目元を撫でられそのままぐいっと上を向かされる。
うわ、近…っ。
あと少しで唇が触れ合う。そんな距離。
「俺のこと、きらい…?」
「いや別に嫌いではない、んだけど…!」
彼が言葉を発する度、熱い吐息がかかって擽ったい。
「じゃあ、すき?」
「何で究極の二択なんだよ!好きじゃな…って!ちょ、やめ…近い!」
さっきまで恥ずかしそうに目を逸らしたりしていた癖に、容赦なく瞳を覗き込んでくる白石は実に楽しそうだ。もうくん付けはしない。付ける気が起きない。
「ふふっ。かぁわいい…」
今日聞いた中で一番低く甘ったるい声が、密着した身体を擽った。
白石は俺の顔をがっちり固定した右手でもう一度するりと目元を撫でると、桜色に染まった頬を歪ませて一層甘やかに微笑んだ。
きらきらする。目が眩む…。
飲まれる…。彼の体温か俺の体温か、それとも両方か。触れ合っている全身が、熱い。
「…すき」
空気に溶けるほど小さな振動が俺の鼓膜まで泳いできて、彼の想いを伝えた。たった一言なのに、それだけで十分な程重い言葉。
散々嘘だ冗談だと否定していたそれが、真実なのだと思い知らされた。
あぁ、ふざけてるんだと思ってたけど違った。こいつ、真剣なんだ。
ぐいっと顔を引き寄せられ、長く白い睫毛が伏せられ、唇が合わせられる………瞬間に、俺は手で彼の口を塞いで押し戻した。
驚きで見開かれるダークオレンジの瞳。
その勢いでぐいっと密着していた身体を引き離すと、驚きで力が抜けたらしい彼からは案外すんなりと離れることが出来た。
何が起こったのか分からないのか、ぱちくりと目を見開いたままの白石。まさか拒否されるとは思ってもいなかったのだろう。彼を取り巻く光の粒はきらきらと輝き、しかし屋上へ来たばかりの時よりもずっと少なく空を漂っている。
やっぱりあれは彼の気分に左右されるものなのか。拒否されてショックだったんだろうか。しかし。
「白石の気持ちは良く分かった」
「…呼び捨て。好き」
「聞けよ。流されると思ったかこの野郎」
「…すいません」
図星かよ。実際ちょっと危なかったけど。
「白石はずっと俺のこと見てたのかもしんないけどさ、俺は今日初めてちゃんとお前と喋ったんだぞ」
「お前呼び…。すき」
「お前が変態なことは何となく分かったし、それでもまだかろうじて嫌いとかではないけど、だからと言って別に恋愛感情とかは無いから」
「わぁばっさり振られた…。すき」
「というか一番聞きたかったことはそれじゃないんだ…。こんな状況下でもやっぱり光ってるそれは何なんだ」
「遠慮が無くなってどんどん態度が男らしくなってる…。すき」
「聞 け よ」
「きみのこと舐めてたよ…。いや出来ることなら全身舐め回したいんだけど」
「はっ倒すぞ変態」
「びっくりするくらい俺に対する態度変わったよね大好き。…正直流されてくれると一瞬でも思った自分を殴りたいよ。きみはそんな人じゃないって分かってたはずなのに」
「そんなの、ちゃんと話したことも無いのに分かるわけないだろ」
「そうだね。じゃあ、これからもっともっと話し合おう」
いや、もういいです。
そう言ってやりたいが爛々と目を輝かせる彼は全く諦めるつもりがないらしい。
今度は気のせいではなく、彼を取り巻くきらきらも増えたな…。分かりやすい。
「というか、結局そのきらきらに関しては教えてくんないの」
「もっともーっと仲良くなったら教えてあげるよ」
「じゃあもういいよ。迷宮入りってことで…」
「待った待った!諦めないで!とりあえず、友達になってよ。浜坂くんにちゃんと俺の中身ごと好きになってもらえるようにがんばるからさ。よろしくね」
「大分マイナスからのスタートだけどな」
結局聞きたかったことの答えは分からないままで、もっと厄介な問題が増えただけの気がするが…まぁ今はいいだろう。実際話してみると相当に面倒臭いやつではあったが悪い奴ではなさそうだし、正直、もっと知りたいと思ってしまった。
最初の印象とは違って意外にも真っ直ぐに感情を表現してきた彼だが、あれが全てではないような…本当の底の底では、何を考えているのか掴めない。そんな気がした。
あのきらきらのことも、もっと彼のことを知っていけば、分かる日が来るのかな。
俺が更に彼に興味を持ってしまったなんて、そんなことを知られたら恐らく白石を喜ばせてもっと鬱陶しいことになりかねないので、今はまだ黙っておこう。
「あ、そう言えば白石に言い忘れてたことがあったんだった」
「なぁに?」
「あのさ、数学の時答え教えてくれて、ありがと。正直すごく助かった」
「律儀で素直…どういたしまして。結婚しよう。幸せにしかしない」
「お前にされなくても自分で幸せになるから丁重にお断りします。帰るか」
翌日から、人が変わったように俺にアタックしてくる白石とそれに対する俺の辛辣な返しのやりとりが学校中に混乱を招いたことは言うまでもない。
prev / next