mitei 古本屋さんにて | ナノ


▼ 古本屋さんにて

いつも行く古本屋さんには無限の世界が置いてある。

高嶺の花とドラマチックな恋をする一昔前の学生になったり、歴史の教科書に載るような著名人の生涯を一緒に辿ってきたかのように体験したり、美しい少女に新たな名前を与えてファンタジー世界を救ったり。

ここで拾う物語はいつだって簡単に、僕を違う世界に連れて行ってしまう。
かと思ったら僕がいる世界の新しい面を教えてくれたりもする。

バイト帰りにいつも通うこの本屋さんは日常の一部だった。そして古本が積まれて一見レジと分からない定位置にはいつも真っ白でふわふわな猫と、白いひげを蓄えたお爺さんが座っていた。

お爺さんはいつも無口で、僕が差し出した本の今にも捲れそうなバーコードを見てはたまに目を細めた。まるでその本の中身を思い出そうとしているかのよう。一冊一冊の本とのお別れを惜しんでいるかのようでもあり、懐かしい友にでも会ったかのようでもあった。
僕の家には本棚に入りきらないほどの本があり、その中にはこの古本屋さん以外で買った本もいくつもあったので、たまにそれらをお爺さんと猫の元へ持っていった。
この本屋さんは一応、本の買い取りもやっているらしいからだ。

僕が持ってくる新しい物語をお爺さんと猫はやっぱり無言でカウンターの向こうで楽しんでいたし、僕も僕でお客さんがほぼ居ない静かな店内で新たな物語との出会いを楽しんでいた。この空間も時間も何よりの癒しだった。

なのに。

「あれ」

店に入ってカウンターの方へ視線を向けると、真っ白い猫はいた。しかしその隣に座っているのはあのお爺さんではなかった。

「………」

え、こわ…。無言で見つめてくる若い店員さん…そう、若い青年だった…彼は怪訝な顔で無遠慮に僕を見つめてきた。品定めされている気分になって店から出ようと思ったが、どうしても気になったので思いきって距離を詰め、座っている彼に訊いてみる。

「あ、の…!あの、いつもここにいた、お爺さんは…?」

「………休み」

「にゃあ」

「そうだよ」と相槌を打つように猫がふわりと欠伸した。そのリラックスした様子の猫を見て、青年がなぜか目を丸くする。驚いているようだ。一体何に?

さっきとは打って変わって今度はきちんと僕に向き合った青年は、ちょっと長い髪を肩で一つに結わえていた。眼鏡の位置を直してよくよく見ると、物語の主人公みたいな綺麗な面立ちをしている。睫毛が長い。多分地毛なんだろうはしばみ色の髪は猫とは色が違うがふわふわで、大きく見開かれた瞳も同じ色をしている。

綺麗だ。
人に対して思ったことはあまりないけれど、このひとは僕が出逢った中で多分きっと一番綺麗なひとだと思った。

見惚れてしまっていたのと彼の行動を観察していたのとでじいっと固まっていた僕を、カウンターから出てきた彼がこれまた至近距離で観察してきた。うわぁ、背も高い。モデルさんだろうか。モデルさんだったとして、そんなひとがこんな商店街の端の古本屋さんで、一体何を…あ、エプロン。あのお爺さんがいつもつけていたものと似ているが、お爺さんのものより幾分新しい。

「はあ」

「え、あの、なんですか」

「ねこが逃げ出さない。きみがあの、物好きな常連か」

「は…?」

一通りまじまじと観察し終えたらしい彼は早々にカウンターの向こうへ戻ってしまった。その横で白猫がまたふわぁと欠伸する。ねことは、この子のことか…?

「あの、ちなみにこの白猫のお名前は?」

「ねこ」

「は?」

「ねこだって。みんなそう呼んでる」

「はあ…」

あまりにもそのまますぎる…と思ったけれどねこさんも気にしていないらしい。というか、彼のことが好きなのかたまぁに身体をすり寄せたりしている。片手に雑誌を広げながらそれを雑に撫でる彼は、もう僕に興味はないようだった。見てないのにねこさんを撫でる手つきは優しくて、あのお爺さんを思い出す。

「何も買わないの、お客さん」

「あ、えと、今日は…はい」

「あっそ」

「…あの、お爺さんは」

大丈夫なんだろうか。というか貴方は一体誰なんだ、という問いが言わずとも伝わったらしい。伝わったらしいのに、彼はふっと目だけを細めて全然違うことを口にした。

「何も買わないなら、これ貸したげるよ」

「これは?」

「本」

「いや、それはそうでしょうけど」

カウンター越しから雑に手渡されたのはタイトルも作者名も書いていないちょっと古びた本。装丁すらもシンプルというか、無地である。中身がまるで想像もつかない。

「それ、オススメ。明日返して」

「期限短い…」

「嫌なら返して」

「あ、借ります。…ん?買うんじゃなくて?」

「アンタにはタダでいいって。じゃ、二十四時間後ね」

「期限が短い」

結局青年に手渡された本を手に店を出て、お爺さんが店を休んでいた理由を聞き損ねたことに気づいたのは自分の家の前だった。彼に言い渡された期限はあと二十三時間とちょっとしかなかったので急いで部屋の鍵を開け、荷物も適当に置いて本を開く。

中身は冒険ファンタジー小説だった。それも僕がとても好きな作家さんの、今までいくら探しても見つからなかった伝説ともいえる隠れた名作…。あまり分厚くはないその本を読み切るには二十三時間は長くて、だけど食事や睡眠時間を入れたら返すにはあっという間だった。
正直買い取りたいと思ったが彼はタダで貸すと言った。売るわけにはいかない本なのかもしれない。だとしたらどうしてそんな本を僕に無料で貸してくれたのかは謎なのだが。

翌日同じ時間に古本屋に行くと同じように青年と猫がいて、お爺さんのことを訊こうとするとまた同じように中身の分からない本を渡されて。返却期限は二十四時間で、延長は不可。そういうことが二、三日続いて僕は毎日彼に渡された本を読み耽っていた。

たまたまなのか分からないが彼に貸してもらった本はどれも僕の好きなものばかりで、読み終えるのにそう時間はかからない。けれどお爺さんのことを訊けずにいたのはただ本で誤魔化されていたからではなくて、それが青年には触れてほしくないことなのかもしれないと思い始めていたからだった。だからこんな風に僕を本で釣って遠ざけようとしているのかと。

だとしたら返却期限を一日じゃなくてもっと長くすればいいのに。ふとそう思うが、やっぱり彼の真意は読めない。そういった日々が続いて一週間。

彼に本を返しに行くとカウンターには、いつものお爺さんが座っていた。ほっとする。と同時に、僕の目は自然に彼の姿も探してしまう。ねこさんは相変わらずのんびりとしていて、カウンターの上の座布団に丸くなっていた。

「あの、すみません!」

「………」

僕の姿を認めたお爺さんが気怠げに顔を上げる。そうして口角も上げた。ほんの少し。
初めてみるその表情にびっくりすると同時に、彼の面影が重なった気がした。

「この、本を、返しに…」

「…ああ」

お爺さんが声を発した。それに驚く間もなく、また次の本がお爺さんから僕に手渡される。

「これは?」

「返却期限は、二十四時間。それ以上は待たない」

「あの、どうして一週間もお店にいなかったんですか?」

「………明日」

「へ?」

「明日、訊いてみるといい」

明日、誰に?何を?きょとんとする僕をよそにお爺さんは新聞に顔を埋めた。もうやり取りは終わりだという合図だ。だけどまだ知りたいことがある。彼のことだ。だが僕の考えを読み取ったかのようにお爺さんはまた、口を開いた。

「…明日、また来なさい」

「にゃ」

それだけ言うとお爺さんはもう何も言わなかった。呆気に取られつつもまた渡された本…と言っても今度はやけに薄くて装丁も新しいが…それを手に家に帰った。
適当に荷物を置いて本を開く。本というより、日記帳みたいな見た目だな。そう思って中の文字を追うと、本当に日記だった。

とても綺麗な、流れるような文字で日付と、その日の出来事が綴ってある。名前も書かれていないその日記帳が誰のものか、聞くまでもなく分かってしまった。

「ええと…。今日、あの常連が来た。客なんて来ないと思ってたから、初めは鬱陶しかった…?そんなこと思ってたのかあのひと」

だけど次の行からは想像もしていなかったことが綴られていた。

『あのクソじじいの心配をする客がいるとは思わなかった。酔狂な奴だ。本なんて今時サブスクでも電子でも何でもあんのにさ、なぁ?』

『返却期限は二十四時間って言ったらマジで二十四時間以内に返しに来た。ウケる。じじいの言ってた通りクソ真面目くんだなぁ。貸した本はおもしろかったか?きみの好み、じじいに聞かされてたとはいえちゃんと合ってたかな』

『また期限きっちり。しかも今度は「面白かったです」っていう感想付き。もっと二十四時間とか理不尽だーとか怒ったりするかと思ったなぁ。それか「この本買い取らせてくれ」って頼んでくるとかさ。するかと思ってたのに。損な性格だね』

『まぁた律儀に返しに来てくれた。雨降ってたのに本は全然濡れてなくて、なのにきみだけちょっと濡れてたのなんで?吹き出しそうになったけど心配だよ。本より自分を大事にしろよ、馬鹿』

『あと何回このやり取りできるかなぁ。あのじじい意外と頑丈なんだよ。まぁたぎっくり腰やってくんねぇかなぁって言ったら本気のゲンコツが来た。それはごめんて。でもまだ、きみとこの変な本の貸し出しごっこやってたいな』

『バイト帰りにいつも来てるっていうから疲れてるのかなって思ってた。けどたまに、というかよく知らないババアを道案内してたりガキに遊ばれてたり、お人好しすぎて心配。もっとちゃんと飯食えよ、俺が手料理作ってやりてぇ。細すぎ。あの総菜屋安いけど、ボリュームはちょっと少なめだし俺が作った方が絶対美味い。絶対美味いし栄養ばっちりだし』

「………え、いやいや、どういうこと?」

一体どこまで見られてたんだ…。困惑しつつもページを捲る。これは本当にあの青年の日記だろうか。日記と言っても僕と会ってからのことしか書かれてない。これでは日記というより、まるで。

『話に聞いてただけのきみは、実際に会ってみるともっときれいだった。また会いたい』

『返却期限は二十四時間。待ってるから』

これじゃあまるで、手紙みたいだ。深夜、店はもうきっと閉まってる。僕は朝からバイトがある。嗚呼、全部気にせず今すぐに、この手紙を返しに行きたい。返したくはないけれど、あの青年にもう会いたくなっている自分が不思議だ。というかお爺さん、ぎっくり腰だったのか…。

翌日またあの古本屋を訪れると、そこにはねこさんと…青年がいた。微笑っている。
僕に気づくとひらひらと手を振って埃が立つのも気にしないでカウンターから駆け寄ってきた。

「読んだ?」

「読みました」

「それで?おもしろかった?」

きらきらとはしばみ色が不安と期待に揺れている。埃すらも彼の前では装飾なのだ。僕はちょっと深く息を吸った。

「おもしろいかは、分からないけど…。おもしろそうだとは、思いました」

「あはっ、何だそれ」

初対面の時からは想像できないようなあどけない笑顔で青年が笑う。奥でごほんと、聞き覚えのある咳払いが聞こえた。ねこさんは満足そうな顔をして伸びをして、座布団で丸まっている。

訊きたいことも言いたいこともたくさんだ。でも、とりあえずは。

「貴方のことを、教えてください」

自分のことばっかり知られているのは理不尽だもんな、そう思って言うと彼はまた目を見開いて、「当然」と笑った。

ほらね。この古本屋さんには、あらゆる物語が置いてあるみたいだ。

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