mitei 海辺の拾い物 | ナノ


▼ 5

それからしばらく経った頃。

いつの間にか彼は俺と同じ大学に入っていて、いつの間にか俺とほぼ同じ授業を取っていた。

俺が知らなかっただけで、実は元からいたんじゃないかってくらい馴染んでるんだよな…。でも同じ大学にあんな目立つ奴がいたらいくら俺だって多分気づくし、周りの反応を見ても元からいたっていう感じじゃない。
大学で途中編入って珍しくはないのかもだけど、こんな辺鄙なところに来るのは結構稀だと思う。余程ここで学びたいことでもあったのか、それとも「家に帰れない」という深い理由と何かしら関係があるのか…。彼が大学に入ること、俺は何も聞かされてなかったのに。

今なら訊けば教えてくれたりするんだろうかとぼんやり思いながら、木々の向こうに海が見える廊下を歩く。海に面しているこの大学は風の通りが良くて気持ちがいい。特にこんな風に穏やかに晴れている日には。

シオはたまたま教授に呼ばれていて、一人で長くも短くもない道を歩いていた。その向こうに、明らかにわざと道を塞いでいるのだろうやたら派手な集団があった。
ううん、めっちゃ邪魔。端っこ寄れ。

しかし絶対俺には関係ないだろうと思っていたその集団は、俺に気づくとどんどんと向こうから距離を縮めてきたのだ。予想外のことに思わず肩が強張る。めっちゃ邪魔とか思ってたのに、何でこっち来んの。しかも気のせいじゃなければ、めちゃめちゃ目が合うんだが。明らかに俺に向かって来てるんだが?

「見っけた」

「え、なになに」

「こいつか?地味過ぎて合ってるのかも分かんねぇな」

「逆に見つけんのむず」

マジでなんなん?
邪魔な上に失礼極まりないなこいつら…。

「絶対こいつ!彼のこと見てたらいっつも、嫌でも視界に入るんだもん。おかげで顔覚えちゃった」

「まぁ姫がそう言うんならそうか」

「姫が言うんならなぁ」

「………はい?」

彼のこと?見てた?そうしたら俺が視界に入ってくるから、覚えた?
いやいや、え、何の話?

困惑していると、姫と呼ばれた彼女は自信満々に俺の前に躍り出た。それを見た取り巻き…という表現が正しいのかは分からないが、彼らは一様に「姫に挨拶くらいしろよ」と言ってきた。そして彼女というと、まるで自分が超有名で知られているのが当たり前みたいに堂々としている。でも知らんし。そっちから勝手に来たんだし、俺は挨拶されてないし。

「あたしのこと知らないとか嘘言わないでよ」と彼女は言う。知らないんですけど。

でも言われてみれば確かに見たことあるようなやっぱりないような…思い出せん。多分知らないんだろうな。そもそも自分らも俺のこと初めて会ったみたいに言ってたじゃん。他人じゃん。もう数分も経っていないのに面倒くさくなった俺は、早々に本題に移ってもらうよう促した。そもそも挨拶もしない高圧的な相手にここまで親切にしてやる意味も分からんけど。

「えと、何の用ですか」

「アンタ、王子の連絡先知ってるんでしょ?教えなさいよ」

「おうじ」

「王子よ。アンタがいつも一緒にいる」

「えぇ…」

おうじって誰だ。そんな名前のやついたっけ。もしやプリンスの王子ってこと?プリンスかどうかは知らんけど、いつも一緒ってなると一人しかいない。
…え、まさかあいつのこと?王子なの?あいつ。

ううん、見た目だけなら分からんくもない。あの穏やかで謙虚な振りした気品溢れる図々しさ…。昨日も知らんうちに勝手に俺の布団に潜り込んで来てたし、その上悪びれもせず、寧ろ「何が悪いの?」って顔してたし言葉でも言ってきた、あの…。
あいつプリンスっていうか大きい子どもみたいだな。

思い出すとほんわかした気持ちになるが、状況は多分ほんわかしたものではない。あぁもう、めんどくさい。何も言わない俺に焦れたのか、彼女は少し口調を荒らげて急かしだした。
いつも聞いてる落ち着いた声とは似ても似つかない、甲高い声だ。

「王子、分かるでしょ?いつも引っ付いてるじゃない!あの人の名前も学部も分かんないから、しょうがなく直接、アンタに訊いてあげてるのよ」

「はぁ」

すごい、人にものを頼む新しい形だ。彼のことを俺に訊いてる時点で直接でもないし、最早頼んでもいない。命令に近い。こんな人初めて見た。絶対真似したくないな。
しょうがなく訊くなら他当たれって思うけどそれが出来ないから俺に訊いてるんだろうな。だってシオが俺か先生以外と話してるのを俺も見たことがない。

「おい、姫を無視すんな」

「ボコられてぇのか」

「ね?知ってるでしょ、教えて?」

答えない俺にせっかちな彼らは業を煮やしたのか、じりじりと詰め寄ってくる。彼女を先頭にして、その背後ではパキパキとこれ見よがしに拳を鳴らしている奴もいた。
やたらと鼻につく香水が臭く感じる。甘ったるく感じてしまうそれは多分つけすぎてると思うんだが、誰も指摘しないんだろうか。それとも嗅ぎ過ぎて慣れちゃったのかな。
そうしてじりじりと道の端っこに追いやられながらも俺は事実を伝えるしかなかった。

「いや、連絡先も何も…。あいつスマホとか持ってないし」

「は?何言ってんの?」

「はっ、今時そんな奴がいるか?嘘吐いてんじゃねぇぞ!」

「マジで殴られたいみたいだな」

「そう言われても…」

スマホ持ってない人くらいいるだろうよ。自分たちの当たり前を押し付けるんじゃない。
というかマジで、一回もスマホ持ってるの見たことねーんだもん。実際に訊いてみたこともあるけど、その時は「まだ持ってない」って言ってたし。
あ。そういえば今度一緒に買いに行こうって約束してたな。めちゃめちゃ嬉しそうだった。あの顔を思い出してまたほんわかした気持ちになるけど、目の前の人たちの表情は全然ほんわかしてないや。

姫と呼ばれている彼女の眉間に皺ができてる。造形は美人なのに。いや、でも彼には到底敵うまい。足元にも及ばん。態度も言葉もニオイくらいきついし。
比べるのは失礼だって分かってても、そう思ってしまうんだよなぁ。

「こいつ答えない気らしいぜ、姫」

「なら答える気にしましょうか」

「しょうがないわね。…このこと王子に言ったりしたら承知しないから」

え、何その流れ。俺殴られる?何もしてないのに?何も言わなかったからか。
でもそういうのは直接本人に尋ねるべきだと思うし、それで暴力に訴えるのは絶対間違ってると思う。大体この大学はそんなに治安の悪いところではなかったはずだし。
…脅し、だよな?

じりじりと後退るとその分だけ集団が追い詰めてくる。後ろには頼れそうな人は誰もいなくて、普段は使われてない水道があるくらいだった。運動部の給水所みたいにひとつだけぽつんと佇むその蛇口は当然何も言わずに俺は現実逃避から目の前の集団に視線を戻した。
いくら冗談にしても質が悪いって、思ってもどうしろってんだ。

隙間をついて走ろうかな。運動得意じゃないんだけど、ちょっと行けば誰かいるかもしれないし。
けれど俺が僅かな希望と結構な勇気を持って足に力を入れた瞬間、思いもしなかったことが起こった。

「きゃああっ!!ちょっ、なになになに!?」

「つっめた!?あぁ!スマホがぁ!!」

「どうしたんだ急に!水道管壊れたのか!?」

おわぁ、すご。噴水みたい…。いやそれ以上かも…?
何て思ってる場合じゃないかもだけど。

「詩月!大丈夫か!?」

「シオ…」

「怪我してない?痛いところは!?」

「えぁ、うん、俺は全然、大丈夫なんだけど…」

びしょ濡れなんだよなぁ、俺以外…。怪我とかは無いと思うけど、大丈夫なのかなぁ。俺は俺でびっくりしてその場にへたり込んじゃったのがちょっと恥ずかしいけど、周りはそれどころじゃないらしい。

突然、何の前触れもなく。俺が足を踏み出そうとした瞬間に、彼らの後ろにあった水道から勢いよく水が溢れ出てきて、どんなに力一杯捻ってもそんなに出ないだろってくらいの水が出てきて辺りはびっしょびしょになった。もちろん水道のすぐそばにいた彼らも。服も靴も鞄も、髪も床も、近くにあったもの大体。でも、何でかな。俺だけちっとも濡れてない。

奇跡的に水の軌道から外れたところにいたんだろうか…。ちまっと水滴は飛んできたくらいで、あとはほとんど濡れてない。すごいミラクル。

水道が暴れ出してすぐ、たまたま近くにいたのか、騒ぎを聞きつけたらしいシオが駆け寄ってきてくれた。本当に近くにいたのかな。いつになく真剣な眼差しを向けてくる瑠璃色を見上げながら、シオがあの集団に絡まれなくて本当に良かったと思った。近くにいたのなら尚更、俺が先にあいつらに見つかっていて良かったのかもしれない。

シオを見て、それから彼の背後で繰り広げられるまだ収まらない光景に視線を移す。さっきまでは俺とあいつらしかいなかったのに、今では何だ何だとちらほら人が集まってきている。誰もが濡れないように遠巻きに、けれど水道のすぐそばにいた三人だけはもうどうしようもないくらい全身びしょ濡れだ。水圧も容赦ないな…。というか真上じゃなくて、あいつらに向かって水が噴き出しているように見えるのは気のせいなんだろうか。

「詩月」

「ひゃい」

「立てる?」

「うん、さんきゅ」

普段おっとりした彼には珍しく大きな声で名前を呼ばれて変な声が出た。恥ずい。それでも彼は気にせず、座り込んでいたままの俺に手を差し伸べてくれた。
俺は濡れてないのにハンカチまで貸してくれて。優しいな。

「こんなこと今までなかったのにな…」

誰かが呟いた。確かに、と思う。ここは比較的新しい校舎で、こんな風にいきなり水道から水が溢れ出すなんて。欠陥でもあったんだろうか。というか、今まで俺に絡んでいた全員が残らずずぶ濡れになっているのも気になる。一人は化粧が落ちたらしく大変なことになっているのだが、敢えて誰かは触れないでおこう…。
皆さん風邪、引きませんように。

「しづき」

「はい」

「…ごめんね」

「何が?」

「…怖かったでしょ」

「ううん、全然。びっくりはしたけど。てか何でシオが謝んの」

「ううん、なんとなく」

なんとなくでそんな申し訳なさそうにするの。俺に起こったこと、お前はどこまで知ってて、そんな風に言うの。
思ったけど、そこまでは言わなかった。
ただ引かれた手が離されそうになったから、握り直すと彼はほんの少し驚いたような顔で俺を見て、また前を向いた。

いつもの横顔。よりもちょっと頼りない。
怖かったかって訊いた彼の方が、何かに怯えてるみたいに見えた。だから手は、しばらく繋いでおくことにした。

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