それにしてもホント流暢に俺の名前を呼ぶようになったよなぁ。初めのころはこんなんじゃなかったのにさ。
「し、ず…?」
「しづき。これが俺の名前だよ」
「しづき…」
「そう。詩と月で、しづき」
「しづき。やっぱり名前もきれい…」
「ん?名前もって」
「しづき。しづき。しづき」
「分かった分かった、聞こえてるから」
かわいいなぁ!口をもごもごさせて俺の名前を反芻する彼は、子どもじゃないと言っていたくせにやっぱり小さな子どもみたいだった。そんなに言いにくいかな、俺の名前。
彼をとりあえずうちに置くことになった日、俺たちはやっと自己紹介みたいなことをした。出逢った日はバタバタしすぎていて、そういや名前すら名乗っていなかったことに気づいたのだ。
「し、つき、しづき。しづき…」
「お前は、なんていうの」
「おれは…シオ」
俺の名前をもごもご繰り返し咀嚼している彼に名を訊けば、彼はふいと顔を上げてあっさり答えてくれた。正直なところ素性が謎だらけの彼だから、名前も教えてくれるのか不安だったんだ。だから正直教えてくれたのは嬉しかったし、彼の音はまるで俺がずっと知りたかったことのようにすとんと胸に落ちた。不思議な感覚だった。初対面なのに。
「シオ」
「うん」
「漢字はあんの?」
「たしか、ちょんちょんちょんって書いて、その横にタ」
「もしかして、汐?」
近くにあったチラシの裏に「汐」という漢字を書くと彼がこくりと頷いた。その動きに合わせて髪がさらりと重力に従った。
まるで海を体現したみたいな髪色だな、というのが出逢ってからの第一印象だった。
根元は深い青、というよりほぼ黒に近い。なのに毛先にいくにつれ、浅い鮮やかな青になっていく。
そういう髪の染め方があるのかと思った。けれど彼は地毛だと言った。一体何を食って育ったらそんなお洒落すぎる髪色になるのかと問い質したくなったが、まぁいいかと思う。
綺麗だし、似合ってるし、綺麗だし。見ていて飽きないのは髪色のせいだけでは多分ないけれど、その色だって彼の魅力のひとつになっているのだから。
「綺麗だな」
名前のことか髪色のことか、あるいは全部か。俺自身も分からずぽつりとそう呟くと彼はまたポカンとして間抜け顔になったが、それすらも美しいのだからもう笑える域だ。
そんな彼の背景には窓があった。髪色のせいだろうか。彼の背景には暮れゆくオレンジの空より…何でだろう、海の中みたいな深い青の方がきっと似合うだろうと一瞬思ってしまったんだ。
prev / next