やっぱ気のせいだったっぽい。
「あ、ねえ見てあれ。めっちゃ綺麗な色の魚いる」
「…おれの方がきれいだし」
「ん?あ、あっちはめちゃ泳ぐの速いなぁ」
「…おれの方が速いし」
「んん?」
「魚ばっか見てんなよばか」
「いやここ水族館だし」
というかさっきのちょっと物寂し気な雰囲気どこいったんだ。ホントに俺の気のせいだったんかな。
しばらく館内を歩き回ってようやく水族館というものに慣れてきたのか、シオは俺がどの水槽を見ても文句を言うようになっていた。すれ違う人は誰しも彼に見惚れているというのに、俺にまで見られたいのかな。正直めっちゃめんどくさい。
「シオくん、何かさっきからやたら魚たちと張り合おうとしてないか。なんで?」
「はりあう?」
「こう、対抗心を燃やすというか…。俺の方がすごいんだぞーってメラメラしてる感じ」
「は?だっておれの方がすごいもん」
「そっかぁー」
めんどくせぇー。でもちょっと頬を膨らます仕草はかわいいとか思っちゃったじゃん。
全く。小さな子どもでもきっとそんなこと言わないだろうってことを、彼は無駄にキリっとした顔で言い切った。だからどうしろってんだ全く。見て見て期か。
ふうっと小さく溜め息を吐くと、彼が気遣わしげに俺を見下ろしてきた。人混みってほどではないが、まぁまぁ館内は賑わっている。そんなところを歩いていて疲れたと思われたのかもしれない。主にお前のせいだよとは言わなかった。代わりに、お腹がぐうううっと元気に鳴いた。今更こんな音を彼に聞かれるのは慣れきっているが、周りにたくさん人がいると思うと途端に恥ずかしくなる。
顔が赤くなっている気がしてちょっと俯くと、頭上でぷっと吹き出す声がした。
「ご飯いこう」
「…うん」
…その顔で絆されると思ったら大間違いなんだからな。マジで、かわいいとか思ってないし。
上機嫌な彼に手を引かれて暗い道を歩く。床には、水槽の水の揺らぎが反射してまるでここも海の中みたいだった。俺、ダイビングしたことないけど。
それでも、いつも上辺だけを見ている青の中はきっとこんなんなんだろうかと想像しながら一歩先を歩く背中を見る。あぁやっぱり。
髪色や瞳のせいかもだけど、彼の背景には濃い青がよく似合うと思った。そのまま遠くへ行ってそうな気がして、ほんのちょっと握る指に力が入る。それに気づいたらしい彼の長い指にも、力がこもった。ほらな。
…そんなわけないのに。
それからより明るく開けた場所へ行くと、彼への視線は一段と多くなった。暗い館内から明るいフードコートに出るともうさっきまでの視線はまだ静かな方だったんだなって思い知った。皆まだ水槽とか見てたもんな。あれでも魚たちが視線を彼から逸らしてくれていたんだろう。ざわざわしているフードコートが、彼の登場によって一層ざわざわしだした。
「ね、青い髪の人カッコよくない?」
「わかるヤバいね、芸能人かな?声掛けてみる?」
「一緒にいるのマネージャーかなぁ。でも幼くない?」
「兄弟かも」
「だとしたら似てな過ぎるわ。弟くん?超平凡」
「わかるぅ。声掛けたらついてくるのかな」
うっせぇー。行かんわ阿呆。
通り過ぎる時に聞こえた二人組の会話にイラっとするも、俺の注意はすぐ別のところに移ることになる。
「きゃっ!つめたっ!?」
「やだ大丈夫!?」
どうしたんだろうと振り向くと女の子の服がびしょ濡れになっていて、もう一人が慌ててハンカチで拭いてあげている光景があった。
手の中にあったコップを落とし…てないな、ちゃんと持ってるもんな。でもコップの中の水が服にかかったっぽい。どうしたんだろう。めっちゃ揺らさなきゃあんなに溢れないだろうに。
幸い中に入っていたのはただの水だったようで、服は濡れはしたものの汚れはつかなかったみたいだ。風邪引かないでね、知らん人だけど。
ふと正面に視線を戻すと、おわぁ。めっちゃ真顔のシオがいた。こわ。真顔怖い。俺がテレビの芸能人カッコいいなって褒めた時より怖い顔してる…。
「あの、シオくん?」
「………確かにしづきは見た目幼いけど」
「あ?」
「…しづきは、その、ほら、あれだし」
「フォローないんかい」
もっとこう、カッコいいとか可愛いとか、料理上手とか色々あるだろ。いや自分がカッコいいとは思ってないけど、ちょっとはそういうフォロー入れてくれんのかと思っちゃったじゃん。期待しちゃったじゃん。全くもう。
でも手を繋いだまま、彼は不貞腐れたようにふいと横を向いた。だから子どもかよ。
「違う。しづきは今、おれとデート中だから」
「デートって」
「邪魔される筋合いないし」
「邪魔って」
「ごめん、もうしない」
「………なにを?」
拗ねるのを?
俺は別に怒ってないのに、まるで怒られた子どもみたいにしゅんとして彼は適当に空いている席へ歩いていく。詳しく言うと、彼が近づいたせいで座っていた人がビビッて早めに立ち去ってしまった席、である。すいません何か、うちの子が…。
それからホットドッグを頬張る彼をガン見しながら、俺も同じのを頬張っていた。俺の方が多分食べるの上手い。こんなに頬にケチャップつけてないもん、絶対。
「シオ」
「…ん」
「ついてる」
「ん」
ん、じゃない。自分で拭きなさい。こうなることを見越して持ってきていたティッシュを差し出すと、それを受け取った彼は渋々といった感じで自分で頬を拭いた。ついてるの、逆だけどな。
それにしてもいつもは俺にやらせるくせに、やけに素直だこと。だから怒ってないってば。
「怒ってないってば」
「知ってる」
「なにへこんでんの」
「超元気」
「嘘めちゃ下手か」
「…ん。ホントにもう、しないから」
「だから何を…?」
「………ないで」
「ん?」
「…きらわないで、詩月」
頬にケチャップをつけたままそんなことを言う。今にも捨てられそうな顔をして、真剣な眼差しで。
一緒に暮らしていても彼の全部は分からないままで、今だって訊きたいこといっぱいあるしツッコミ所も満載でちょっとうずうずしてるけど。
ティッシュを手に取って彼の方へ手を伸ばした。拭くと簡単に赤い染みがティッシュに移って、彼の頬は綺麗になった。うん。綺麗だ。
色々と言いたいことはあるけど。
「嫌わないよ」
それだけは確固たる事実だ。真っ直ぐ見つめ返して言うと、シオがほっとしたように息を吐いた。
「嫌わない?」
「言ったろ、嫌わないって」
「…よかった。でも」
「でも?」
「もしおれがいけないことしたら、詩月が叱ってね」
「俺は保護者か」
「ふふっ」
あぁ、やっと笑った。心底ほっとしたような、おかしくなったような笑顔は普段家でも見せてくれるもので安心した。
本当に子どもみたいなところがたくさんある。でもそれでいい。今日水槽を見つめていた時みたいな変に大人びた顔より、俺はこっちの方が何倍もいいよ。
でもケチャップは自分で拭こうな、おもろいけど。
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