mitei 吸血鬼っぽい彼とわんこと俺 | ナノ


▼ 吸血鬼っぽい彼とわんこと俺

「ちょっと、僕のこと罵倒してみてくれませんか」

風が吹き抜けて、黒い髪が揺れて。足元でわふっと愛犬が鳴く。
まさかそんなセリフを言われる日が来ようとは、生まれてこの二十数年考えたこともなかった。

晴れ渡った空…とまではいかないが、散歩するにはうってつけの薄曇りの平日。まだまだ寒さが厳しい冬の、ちょっとだけその寒さが緩んだ日。
かわいいかわいい愛犬のいつもの散歩コースは休日はジョギングやら家族連れやらで人がいっぱいだが、平日は閑散としていた。
人が多いと「かわいいねぇ」と声を掛けてくれる人が多くて楽しいし、人が少ないとそれはそれで散歩はしやすい。俺はこの公園での散歩の時間がとても好きだ。

そして今日も我が愛犬がかわいい。歩いているお尻がすでにかわいい。そんなことを考えながらいつもの道をルンルンと歩いているその時だった。
視線の先のベンチで、俯いて座っている人がいる。普通に休憩しているのかと初めは思ったが、その体勢と放たれる「もうアカン」みたいなオーラからもしかして体調が優れないのかと思った。
そんな俺と以心伝心なのか何も考えていないのか、かわいいお尻を振って愛犬がそのベンチへと駆けていく。すると自動的に、リードを持っていた俺も引っ張られる形でそのベンチの人の方へと近づいていくことになったわけだが…。

目の前まで来て、どう声を掛けようか、そもそも声を掛けていいのか迷ってしまった。だってただ単にマジで休憩してるだけかもしれないじゃん。
いやでも心配ではあるしな…と迷っているうちに、足元から一声。

「わんっ」

「あっ」

「………?」

あぁ。お前ってホント心優しいのか何も考えてないのか分からん。でもそこが愛らしいと思う。
突然聞こえてきた犬の声に驚いたのかは分からないが、座り込んでいた人はのっそりと顔を上げた。それから、ゆっくりと一回、時を閉じ込めるような瞬きをする。

風が葉っぱを揺らす音も、誰かが後ろを歩き去っていく足音も、愛犬の息遣いも…すべてがスローモーションのように聞こえた。
目の前にはじいっと俺を見つめる綺麗ななにか。一瞬ものすごく精巧な人形か、アンドロイドかとも思った。紅い。
よく晴れた日の夕暮れみたいな瞳がきらきらしている。それが長い睫毛に隠されて、もう一度現れた時に俺の時間は元に戻った。

びっくりした…動いた。いやさっきも動いてたか。こんなに綺麗なひとがこの公園にいたなんて、今まで気づかなかった。今日初めて来たんだろうか。
ぐるぐる考えていると、精巧な機械でも人形でもないらしい薄いピンク色の唇がそっと開かれた。

「…きみ」

「あ、はい!邪魔しちゃってすいませ…」

「ちょっと、僕のこと罵倒してみてくれませんか」

「………は?」

「わふっ」

そうして冒頭のセリフへ。一瞬自分が話しているのと違う言語で話されたのかと思った。それにしてはやけにはっきり聞き取れるし…「きみ」とか「僕」って言ったから多分同じ言語だと思う。
でもバトウってなんだ?俺が知ってる単語?だとしたらあれ、人を罵るやつしか思い浮かばん。あと何かある?
一瞬だけ某有名な俳句の人が浮かんだが絶対関係ない。松尾の芭蕉さんは絶対関係ないだろう、失礼だろ。

こいつは何を言ってるんだと思われるかもしれないが、それこそこっちのセリフだ。意味が分からなさ過ぎると人は一旦現実逃避するらしい。
だが足元でもう一度愛犬が「わふっ」と鳴いたので、そこでハッと我に返った。

「あの…聞き間違えたっぽいのでもう一度言ってくれませんかね」

「ちょっと僕を罵ってみて。初対面で悪いんだけど」

「あ、無理です、では」

「…ほう」

いやいや、何でそっちがちょっとびっくりしたみたいな顔してんの?

全くもって訳が分からん…。これは長居は無用だと悟ったので会話を強制終了し、さっさとその場を去ろうとする。全力で早く離れようとする。のに、何故か動かない。
俺ではない。我が愛しきアホな愛犬だ。かわいいかわいいお尻を地面につけ、何故だかベンチの前から動こうとしないのだ。
いつもはまぁまぁ言う事聞いてくれるくせに!!

「きみのご主人さまは、早くここから離れたいらしいね」

「わふ」

「きみはいいの?」

「くぅ」

「そっか。バカで優しいねぇ」

「うちの子悪く言わないでくれますっ!?」

「あ、怒った。ごめんなさい」

俺の踏ん張り虚しく、結局その変な美人さんの隣に座ることになった。なぜ。今日は散歩してあとは家でまったりもふもふ過ごす予定だったのに。

「いやあ、初対面で怖がらせてごめんね」

「いや本当に」

「ばっさり言うねぇ。やっぱちょっと僕のこと罵倒してみて欲しい」

「あ?」

「ははっ!一文字でも分かりやすいもんだな」

俺は徐に、足元にちょこんと大人しく座っていた愛犬を抱き上げ、変な美人さんから引き離そうとした。なるべくベンチの端に座るも、距離はあんまり遠くならない。
俺の腕の中で彼の方へ近づこうとする愛犬は、実は普段からこんなに人懐っこいわけではない。寧ろ知らない人は割と怖がるんだが…本当にどうしたんだ。

「で、もう満足ですか」

「まだ一文字しかもらってないけど…。まぁいいや。ありがとう」

「…はぁ」

「わふ」

まさか睨みつけてお礼を言われる日が来ようとも思わなかった。マジで変な奴だ…。
じっと観察するみたいにそのひとを見ていたからだろうか、彼はふっと口元だけで微笑った。
ちょっと、寂しそうだとか思ってしまった。

「たまにさ、」

「…はい」

「人に罵倒されたいなぁって時、ない?」

「俺はないですね」

「そっかぁ、だよなぁ」

さっきの寂しそうな顔はどこへやら、そのひとは今度はからりと笑った。その顔が意外と幼く見えたのは、ちらりと見えた八重歯のせいかもしれない。
紅い瞳やこの歯といい…もしかして、と思っていたらまるで心を読んだみたいに彼は続けた。

「珍しい見た目っしょ?僕」

「え、あー、ううん…」

「いいよ、正直に」

「まぁ、あんまり周りにいない感じですかね」

「きみはオブラートに包めるひとなんだね」

「まぁ一応」

また悪戯っぽく笑った彼の膝の上に、俺の腕の中にいたはずの愛犬がぴょんと飛び移った。まるで机の上からおやつを掻っ攫っていく時みたいな俊敏さで止める間もなくて、気づけば奴は黒いスラックスの上で色白な手に撫で撫でされていた。
今更すぎるが、犬が苦手とかじゃないだろうか。アレルギーは?というかそんなに密着してたら、綺麗な服に毛が…。

あわあわする飼い主をよそに、愛犬も彼も嬉しそうでちょっと嫉妬する。浮気か?

「ごめん、勝手に撫でちゃった。かわいいねぇ」

「そうでしょうそうでしょう。こちらこそすいません」

「いいや全然。めちゃめちゃ癒されるから寧ろありがとうって感じ。飼い主さんに似てるね?かわいい」

え、どこが?なんて言う前にまたあの紅い瞳が俺を見た。真っ黒いさらさらの髪の間から覗いた瞳は鮮やかすぎるくらいなのに、見ていて不安にならない。
でもちょっと気まずいし、言うことはともかくお顔は綺麗すぎるくらい綺麗だし、段々と恥ずかしくなってくる。
そしてそんな俺の反応を楽しんでいるかのような彼の悪戯っぽい笑みが腹立たしくもあって、何より視界の端に見える膝の上の愛犬がすっかりおねむモードになっているのも複雑極まりなかった。浮気だ!
いつもは安心した環境でしかそんな寝方しないくせに!俺の膝よりこの変な美人さんの膝の上の方がいいっていうのか!…ちょっと複雑。

それでも続くにらめっこタイムにもうだめだ!なんて思って先に目を瞑ってしまった。ぎゅっと思い切り目を閉じると、その先で今までで一番大きな笑い声がする。
そうっと開いた視界には目に涙を浮かべた青年と、笑い声でびっくりして起きてしまったらしい愛犬のかわいい顔。
何がそんなに可笑しかったのか聞く前にまた、彼がくっくっと声を零しながらもスマホを取り出した。

「さっきの顔、撮っていい?」

「………なんで?」

「おもろかわいかったから」

「おもろか…?」

「見る度元気出そうだなって」

「いや撮影はちょっと…」

「だめ?」

「だ………めです」

「そっかぁ。残念」

髪を揺らし、かわいらしく首をこてんと傾げながら聞かれたけれど、なんとか流されずに耐えた俺。こんな顔はずるい。まるでご飯を食べた後におやつをねだってくる我が愛犬のようだった…見事…。
格好良くてかわいくて綺麗ってすごい。言動も行動もちょいちょい変なんだけど。

膝の上で愛犬がまた「わう」と鳴いた。どうやら腹が減ったらしい。じゃ、この辺で帰るか。
俺がベンチから立つとぴょんと愛犬も彼の膝から下りて、食欲に忠実に歩き出していく。
振り返ると、彼はもう「もうアカン」オーラは出していなくてほっとした。

本当はもっと引き留められるかと思ったのだが、意外にも青年はひらひらと手を振って俺たちを見送ってくれた。

それからというもの。

毎日来てんのかな。あれ以来、何故かほぼ百パーセントの確率であのベンチに彼はいた。俺の散歩する時間帯と同じ時間にたまたまいつも来てるんだろうか。今までいなかったのに?
一週間くらいして、気になったので聞いてみると彼はやっぱり「たまたま」だと答えた。その前に「運命かもね」とかふざけて言った彼に「それはない」と反射的に否定してしまったせいかもしらんけども。

「マジでたまたま?ですか」

「大体歳同じだから敬語はいいよ」

「何で歳知ってんの?」

「免許証拾ったよ」

「え、嘘!?」

「うそー」

「はあー」

流された…。というか、実は吸血鬼で数百歳、みたいなことではないのかと一人考えてしまった。見た目が見た目なので、初めて会った時から実はそうだったりすんのかなと勝手に想像してしまっていたんだ。
でもそんな考えを先読みしたみたいに彼はすぐさま否定して、自分のことを話してくれた。どうやら彼は最近この辺りに越してきたらしい。どうりで今まで見なかったわけだ。

「で、こんな見た目でしょ?子供の頃から吸血鬼っぽいってよく揶揄われたなぁ」

「なんかすいません」

「きみは何も言ってないでしょ。口では」

「あぁ、目はうるさかったと」

「正直でおもしろ…いいと思うよ」

「おもしろいって言った」

「そんでね、」

「あ、続ける感じですか」

「あ、もうやめときます?」

「いえ、聞きたいです」

「わう」

俺が促すと、彼は続きを話してくれた。子どもの頃から見た目のことでよく揶揄われたこと、両親が転勤族で引っ越しも多く、友達が中々できなかったこと。
独り立ちして漸くひとつの街に腰を据えることができそうなこと。それから。

「大人になってから、褒められることしかなくなって」

「………どこを?」

「きみのそういうところ、僕は好きだよ」

「あ、さーせん」

「ふはっ」

笑われた。というか水を差してしまった。しかし何となく話は分かった。行動や言動はともかく美しい容姿の彼は、大人になるにつれ周囲からちやほやされることが格段に多くなったらしい。
子どもの時もそれはモテただろうが、大人になると取り巻く環境も周りの考えも変わる。引っ越しなんてしなくても変わるものは変わるわけで。周囲の反応は何となく想像がついた。

「まぁそんなこんなで、どこに行っても僕はものすごくモテました」

「自分で言うんだなぁ」

だからあの時変なこと言ってきたのかな。初対面なのにいきなり「罵倒して欲しい」だとか。褒められ過ぎると、たまには誰かに罵られたくなるんだろうか。
その気持ち、俺には全然全く欠片も分からん。

黒い髪を揺らしながら彼はまだ俺の愛犬を撫でている。もうすっかり彼に心を許しているらしいアホで賢い愛犬は、撫でられる度にうっとりと眠たそうにしている。
それをぼうっと眺めていると、彼がまたぽつりと零した。

「いや、現在進行形でモテてるんだよなぁ。…きみ以外には」

「わふ」

そう意味ありげに言って膝の上のもふもふした毛並みを撫でると、彼はちらりと俺を見た。珍しい動物でも観察してるみたいな何とも言えない眼差しである。やんのかコラ。

「きみ、恋人いる?」

「いませんが」

「そっかぁ」

「…恋人もいないのに自分に惚れないなんて、とか思ってます?」

「え…超能力者なの?」

「顔に書いてましたが」

しばらくして分かったことだが、彼は結構分かりやすい。思っていることが顔にもオーラにも出るので、口に出される前に何となく分かってしまう。
それがおもしろくて話すと結構気安くて、相も変わらず…いや、多分前よりもっと、俺はこの散歩の時間が好きになっている。なんてことはちょっと恥ずかしいので言わないけど。

「驚かないでね」

「はぁ」

「実はさ、」

「…はい」

「実はこの瞳で、きみに魅了の魔法掛けてみてるんだよね」

「へぇ。吸血鬼みたいっすね」

そういう冗談も言うんだなぁだなんてぼんやり思いながら俺も愛犬に手を伸ばした。もふってする。二つの手に撫でられながら愛犬はすぴすぴ寝息を立て始めた。天使だ。

「ちなみにこの子には何もしてないんだけどな。誓って」

「その魅了ってわんこにも効くの?」

「まぁ、あまり試したことはないけど、多分ね」

「へー」

「信じてないなぁ」

「…?だって、吸血鬼じゃないんでしょ?」

マジで冗談なのか本気なのか分からなくなって顔をもふもふからさらさらの方に映すと、真顔で俺を見据えるお顔が待っていた。とく、と身体が何か言った気がする。でもそれだけ。
瞳が、紅く光った気がしたのは初めて会ったあの時だけだ。あれ以来もずっと彼の瞳は紅いけれど、妖しく見えることはない。でもなんかびっくりしちゃった。顔が近かったからかもしれない。

「ちなみに今は、普通に見ただけ」

「はぁ。えと、まだ魅了?の話…ですか?」

「うん。同じ人間に一回しか掛けられないんだ、これ」

「へぇ」

もしかしてあの時…とすべてがスローモーションになったあの瞬間を思い出した。まさかあの時に、俺は魅了というやつを掛けられていたんだろうか。
彼の言うことを全部信じたつもりはないけれど、まさかという考えが過った。だから、あんなにもすべてが美しく見えたのでは、なんて。思ったのも数秒。

「そんできみには、あの時に掛けた」

「どの時?」

「罵倒してって言った時」

「………?」

「見事に玉砕だったよねぇ」

え、えぇー。

「なぁんでそのタイミング選ぶかなぁー!」

初めて顔を見たあの瞬間じゃなかったんかい!

「え、ダメだった?」

「逆にあのセリフ聞いてもときめくのかその魅了ってやつはっ!?」

「いけると思った」

「本当に今までモテてたのか?いや、逆にモテ過ぎて…?」

もう何も分からんけど一個だけ確実なのは、こいつがやっぱ変だってことだ。頭を抱えていると、隣で彼が呟いた。

「きみって本当に純粋だな」

「は?」

「魅了のこと、信じてくれるなんてなぁ」

「いや、別に信じてるわけじゃ…え?」

「ん?」

髪が揺れる。瞳が覗く。紅色だ。綺麗だと思う。けれど。

「吸血鬼じゃ…ないんですよね?」

「さぁ?どうだろう」

にやりと微笑った口元から、白い歯が覗いた。二本だけ鋭い犬歯は、ちょっと愛犬のそれに似ている。

「仲良くしてね、  くん」

肌に触れても意外に痛くないことにぱちくりしていると、ほんのちょっと上から声が降ってきた。

「口にされると思ったでしょう」

「うっさい」

悪戯成功みたいな顔をする彼を睨みつけながらおでこを拭いていると、「ぼくも混ぜろ」と言いたげに愛犬がまた「わふっ」と鳴いた。

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