あ。目が合った。
今絶対こっち見た。
我が大学イチの美人と評判の…名前忘れた!誰だっけ。でも。
「なぁ今絶対俺の方見たよな?な?」
「誰が」
「えぇと…あのテーブルの子!名前なんだっけ…」
「知らん」
「でも、こっち見たっしょ?」
「お前とは限らんだろ」
「そうかなぁ…。そうかも?でも良い方に考えれば、目が合った!」
「………チッ」
「何で舌打ちしたん?」
「別にぃ」
隣に居た友人を見上げると、かなり渋い顔で舌打ちされた。なぜ。
もしかして嫉妬かな。あの子のこと好きだったんかな。だとしたら余計なこと言った俺。
「ゴメン?」
「理由分かんないなら謝んないで」
「ケンカ中の恋人かな」
「お前恋人いたことあんの」
「ないっす」
「はっ」
おっとぉ、今度は鼻で笑われた。なぜ。
いくら相手が俺とはいえ、あまりそういう態度はよろしくないと思うぜ!
「全く、たまにはにこやかに微笑むとかしたらどうなん」
「にこやかに」
「そう、爽やかに」
「へぇ。こんな感じ?」
背の高い彼がわざわざ俺によく見えるようにか、俺の顔を覗き込みながら笑ってみせた。うわぁ、嘘臭ぇー。
何だか高い何かを売りつけられそうな感じ。有無を言わさず玄関に足をガッと引っ掛けて、嫌がる俺に無理やり晩飯を作ってくる時の笑顔に似ている。
お前が作らなくても、野菜くらいちゃんと食うよ…気が向いたら。じゃなくて。
奴が笑顔を作った瞬間、学食中できゃあああっと悲鳴のような声があちこちから上がった。タイミングがぴったりすぎてびっくりしたけど、芸能人でも来たのだろうか。
俺は間一髪、笑顔から瞬時に真顔に戻った友人に耳を塞いでもらっていたのでそれほど耳にダメージはなかったけど…こいつは大丈夫なのか?自分の耳塞げばいいのに。
「あー、うっせぇ…。だからやなんだわ」
「あ、もう収まった感じ?大丈夫?てか何であんな歓声上がったん?」
「周り見てみ」
「ほう?」
言われた通りぐるりと学食内を見渡すと、皆こちらを見ていた。さっき俺と目が合った、大学イチの美人さんも。
「皆見てる」
「誰を」
「えぇ…俺?」
「はあぁぁ」
「溜め息なっが。キレてる?」
「呆れてるし、いっそもう感心すらしてる」
「誰に?」
「誰にだろうね」
ポンポンと頭を撫でられる。いつもされるその仕草は嫌いじゃないけど、身長差をバカにされているような気がしてちょっと複雑でもある。くっそ!
「子ども扱いすんな!」
「そうだ、帰ったらプリン作るけど、食う?」
「えっ、いる!!!」
「ブフッ!!」
「あ、てっめぇ…!」
「よーちよち、早く帰ろうねー」
「もおお!笑うなよ!プリンに罪はないだろ!」
「プリンにはな。はい行こー」
この意地悪な奴は、ちょっと身長が高いからって俺の頭を顎置きにしたり人と喋ってるといきなり目隠ししてきたり、こうして物で釣って揶揄ったり…。
いやプリンに罪はないけど。めちゃくちゃ好きだけど。
促されるまま食堂を出ると、背後でまだ小さな歓声のようなものや溜め息、ヒソヒソ声が聞こえた気がした。
俺と、こいつの名前も聞こえた気がする。
振り向く間もなくぐいっと服を引っ張られ、隣に並んで外に出た。
当たり前みたいにほとんど距離のない距離で歩いていると何度も肩がぶつかる。なので適度に離れようとしてもやっぱりまた肩がぶつかって、いつの間にか反対の肩にこいつの手が置かれてる。
俺は無意識に傾きながら歩いてんのかな、なんて不安になるも、右も左もどちら側で歩いても同じことだった。いつもそうなので、こいつが支えてくれてんのかも。申し訳ないな。
口は悪いし目つきも悪いし寝相も悪いし、事あるごとに揶揄ってきては毎日野菜食わそうとしてくるけど。
でも耳、自分のより先に俺の方を塞いでくれたっけ。
何だかんだ優しいんだよなぁ。腹立つことも多いけど。
同じマンションに帰ると隣の部屋に荷物を置いて、すぐ俺の部屋に上がり込んできた。冷蔵庫はもうこいつの買ったものでいっぱいである。
冷蔵庫を買った時は、まさか野菜室を使う日が来ようとは思わなかったよ。冷凍庫だって、アイス以外にもカレーやら色んなおかずやら、レトルトじゃない作り置きのものがいっぱいだし。
エプロンだって俺のものじゃないのに、当たり前のようにキッチンに掛けてある。
「プリン早よ」
「急かすなクソガキ」
「同い年だよ」
「え、成人してんの」
「追い出すぞ」
「プリンは?」
「食う!」
「そんなに食いたいならコンビニで買って来いよ」
「やだ。お前が作ったのがいい」
「………はぁ。これだから質が悪い」
「なんて?」
「別に。ちょろいのはどっちだろなって」
「ちょろ…?」
「なぁんでもなーい」
間延びした声でそう言うと、幼馴染みは混ぜたプリン液をオーブンに入れた。エプロンを外し、いつの間にか淹れていたらしい紅茶を二人分持ってローテーブルに置く。
そう、今更ながらこいつは幼馴染み。もう物心ついた時から一緒に居るし、世話焼き体質なこいつにお世話になったことも数知れず。今もまさに、だけど。
俺が紅茶のいい匂いに顔を綻ばせると、何故かまた大きな溜め息を吐かれた。
「疲れてる?大丈夫?」
「なに、心配してくれんの?」
「あったりまえだろ!友達なんだから!」
「ワァ、アリガトー」
ホワイ、カタコト。いっつもそう。俺と友達なのがそんなに嫌なんかな。気難しい。年頃の子ってよく分かんない。同い年だけどね。
でも心配なのは本当。こいつはいつも何事も頑張り過ぎるから。
「…やっぱ疲れてる?」
「いいや、覚悟はしてた。がんばる」
「ううん?無理はするなよ…?俺にできることがあったら何でも、」
「じゃあアレ」
「アレ」
「いつもの」
「いつもの…」
「何でもって言ったろ。アレ、させて」
「う…」
「いや?」
「そんなことは…ない。おし!分かった、来い!!」
「声でっか」
いつもの。そんな喫茶店の常連客みたいなノリで彼が頼むこと。それは。
「太った?」
「誰かさんのおかげで。主にプリン」
ハグである。座っていたままの姿勢でくいと腕を引かれ、前に倒れ込むと紅茶とはまた違う匂いがした。
立ったままだと身長差のおかげか俺はほとんど埋もれてしまって顔なんか見えないのだが、座るとまた違う。こいつの肩に、俺が顎を乗せられる。
暫く静かにしていると思ったら不意に引き離されて、「いつもの」の続きがきた。今度は。
頬に柔らかい感触がして、耳元で振動を拾った。俺の名前分くらいの、ほんの少しの振動。
それが終わると彼はすぐに俺から離れて、笑った。あの胡散臭い笑顔じゃない。まるで心から嬉しいみたいな、ふっと吹く春の風みたいな、そんなむず痒くなるような笑みで。
俺は別にこの「いつもの」が嫌いな訳ではないんだけど、終わった後こんな顔をされるのがいやだ。
どうしてか恥ずかしいみたいな気持ちになる。幼馴染みが一瞬別の人みたいに見えるのに、それが新鮮でもっと見たい気がしてくる。
離れる瞬間の寒さがいやだ。だからまずくっつかないで欲しい。でも、くっつく瞬間にプリンとも紅茶ともまた違う匂いがするのは好きだ。
…困る。
まるで特別な瞬間のように思えてしまうから、困る。
食堂で目が合った子の顔なんてとうに忘れてしまった。今はもう、キッチンに立つ幼馴染みの顔しか浮かんでこない。
なんで。目の前に居るのに。いつも見てるから?いつも見てるのに。
ほうらな、こういう感じになるから、あんまりしたくないんだよ。どうせ言っても聞かないんだろ。家だって、こんなんじゃ一人暮らしの意味がないじゃん。
布団まで持ってくんなよ、お前の部屋は隣だろ。寝る時くらい自分の部屋帰れよ。というか布団持ってくるんなら、せめて自分の布団で寝ろよな。
ことりと器が目の前に置かれた。ふるふると揺れる薄い黄色が眩しい。指が、ちょっと荒れてる。
そんな胡散臭い笑顔でプリン持ってくんな、と思うけど正直にお腹は鳴った。そうしたら、今度は少年みたいなあどけない笑顔で「晩飯はもうちょっとあとでな」と頭を撫でられた。
俺は子供か。もう成人したっつの。そういくら怒ってもこいつは聞かない。撫でてくるのも、世話を焼かれるのもすっかり慣れてしまった。慣れてきたはずなのになぁ。
「なぁ、今日食堂で目が合ったって子。可愛かった?」
「ふぁ?」
一口、プリンを口に入れたところで不意に尋ねられて一瞬固まってしまった。ごくんと飲み込んで顔を上げると、俺の正面で頬杖をつく彼の瞳が猫みたいに光った気がした。
「なぁ、可愛かった?」
「お、」
「お?」
「覚えて…ない」
「………」
笑われるかと、思った。そしてその予感は的中。俺がもごもごそう言うと、案の定彼はふっと吹き出した。
「ふふっ、そっか、そっかぁ」
「バカにしてんな?」
「いや、まぁ。忘れちゃったかぁ。あんな喜んでたのになぁ」
「う、るさいな…」
「プリン美味い?」
「美味い」
「ばかわいいなぁ」
「なに」
「別にー」
プリンに罪はない。こんなにも美味いのだから。例えこれを作った奴が意地悪でも、何を考えてるのか分かんなくても。
あ、目が合った。これはもうバッチリと。言い逃れできないくらいに。
いつも自分の分は作らないくせに、甘いものが苦手だとか言ってたくせに、至近距離で口の端にカラメルソースをつけた彼が「甘い」と笑った。
数秒して、事態を把握した俺は思わず頭突きした。
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