そういえば彼の本職は何なのかって、訊いてみたらライターって言われた。よく分からないが、記事を書いて雑誌とかブログとかに投稿しているらしい。
偏見だけど、モデルじゃなかったのか。
「結構有名だよ」
「へぇ」
「興味薄いなぁ」
そりゃあ。それ以外にも気になることがたくさんあるお年頃だからかな。
あれから彼は俺の家に入り浸るようになった。それもきちんと俺の予定を確認してから、何かしらのお土産を持ってやって来るのである。
俺の好みをちゃんとリサーチして、リサーチした上で自分の好きなものを持ってきやがる。一体何のためのリサーチ力なのか。別にいいけど。いいけどさ。
そのせいか、数回しかやり取りのなかったメッセージアプリの通知は今やほとんどが彼になった。ブロックしようにも三回に一回は俺の好みの果物や入手困難なコーヒー豆なんかを持ってくるから未だブロックできずにいる。カフェ店員としては本当ありがたい限りで。そう、一応カフェ店員なんですよ俺。
まぁそんなこんなで、もう害もないし別にいいかなと思い始めてる。というより、貰ってばっかでは、俺。
そこで不本意ながら、彼の好きなものを考えてみた。
桃。寝ること。青色。チョコレート、甘くないビターなやつ。俺のベッド。人間観察…。あと何だっけ。
あぁ、ピアスも結構してるかも。両耳に一つずつで、それも揺れるやつ。でもああいうのは個人の好みがあるし、アクセサリーを送るのはちょっと壁が高い気がする。
ここはコンビニに売っているチョコくらいがベストじゃないかな。貰ったものの総金額には到底釣り合わないが、迷惑料や悪口軽口でマイナス、あと手間賃とか。
彼が持ってきたものが果物だったりした場合、大体、というかほぼ俺が調理する。貰った分それくらいするのは全然いいのだが、たまにそれが目当てでうちに来ているんじゃないかだなんて思ったこともあるんだ。
だって最近は俺が果物を切ったり盛り付けたりしていると大抵キッチンにやってきて、何を手伝うでもなく、高い背を屈めてただじいっと俺の指先を眺めているのだから。
子供みたいな眼差しは日に日に夏の眩しさを取り込んでいるのか、最近はやたらと眩しい。頬をつねってやりたくなるくらいには。
今だって。目の前には長い髪を後ろで束ねて一丁前にエプロンだけ着けて、何もしないでぼうっと俺を見つめる青があった。それ俺のエプロン。しかも誰かさんのおかげで最近買ったやつだよ。
暇ならテレビでも観てればいいのに、もう。
今日持ってきてくれたのはマスカット。それもまた高級そうなものなので特にすることはないのだけども。ちょっと洗えばいいくらいかな。
それだけの作業すら興味深そうにする彼は本当に子供染みている。おもしろいからまぁ、いいけどね。
皮ごと食べられるみたいなので本当に何もすることがなかったな…と思いつつ俺は皿をローテーブルに置くようにエプロンを着けた彼に頼んだ。
何も言わずにことりと置いてきた彼は、他に何も手伝えそうなことがないと分かるとそっとエプロンを脱いで洗濯機のところへ置いてきた。もう俺ん家の間取りやどこに何があるのかも熟知していやがる…。いいけどさ。
それに、物を雑に扱わないところもまぁ、彼の長所かなとも思う。このガラスのローテーブルだって、物を雑に置けば大きな音が出るもので。
俺は大きい物音にすぐびっくりしてしまうので、そういう彼の静かな所作は一緒に居ても居心地は好いなと思う。あと、髪も触らせてくれるし。
二人で居るとほとんどテレビはつけない。特に会話で盛り上がるってこともないのに。
この静寂を楽しむみたいに、彼は俺の盛り付けた持参の高級フルーツを頬張るだけ。あと、たまにポツリポツリとどうでもいいことを言ったり長い脚が俺を蹴ってきたりする。
蹴り返そうにも届かないことがほとんどなのが腹立たしいが、じとりと睨みつけても彼は笑うだけだった。
いつからかな。
本当にいつからだろう。
その笑顔に嘘がなくなってきたのは。
その青に、瞳に、ただ周囲の光を反射するだけじゃない本物の光が覗きだしたのは。
マスカットを頬張る手を止めて、じっと顔を見つめた。座っていると立っている時よりずっと目線が合う。
俺が視線を寄越すと、彼は居住まいを正して見つめ返してきた。さすがというか、彼は勘が良いらしい。
「あのさぁ、別にいいかとも思ってたけど、やっぱ訊きたい事がある」
「なに」
「どうして、一目惚れしたとか嘘吐いたの」
まぁ、考えるまでもなくアレは嘘だよなぁとあれから何度も何度も考えていた。だけどどうしてそんな嘘を吐く必要があったのか、そしてそれがどうして俺だったのかはやっぱり訊かなきゃ分からない。
俺が凡庸な見た目をしているから彼の言葉を信じられないとか、そういうことではない。
ただ。
ただ、俺に対するあの瞳が、ガラスのように見えたから。
あれは好きな人に向ける眼差しでも、まして興味がありそうな眼差しでもなかったからだ。
「別にどうでもいいや」という感情が、感情と呼べるのかは分からないが、そんな彼の興味のなさがありありとそこに映っていた。いや、何も映っていなかった、という方が正しいだろう。
それなのに自分が振られることは全く想定していなかったのだから滑稽だ、とも思ったが彼の見目の良さを考えるとそれもおかしいことではなかったのかもしれない。知らんけど。
コイツは俺に一目惚れなんてしていない。
それは俺にとってはあまりにも明白な事実なのだが、彼は俺に気づかれていたなんて思っていなかったらしい。アホなのかもしれん。
「…いつから知ってたの」
「ずっと、初めから気づいてたよ。アンタが本当は俺のこと何とも思ってなかったこと。レンアイカンジョウなんてもってのほか、だろ?」
「そっか、気づかれてたかぁ。駄目だな、他の誰にもそんなこと、気づかれたことなかったのに」
あれだけ分かり易くてそんなことあるかい、と心の中で突っ込んだが彼は本気でそう思っているらしい。やっぱマジでアホなんかコイツ。
「すげぇ蔑むような目で見てくんじゃんみーくん」
「みーくん言うなって。ていうか、マジで気づかれてないと思ってたわけ?」
「まぁきみはともかく、今までの子たちにはね。多分」
「そう思ってるだけで、実は知ってる子もいたかもよ」
「いねーよ」
「分かんないじゃん。アンタ、自分で思ってるより結構分かり易いし」
「マジで」
「マジで」
暫く沈黙が流れたので、俺は改めて目の前に座るこの変人を観察することにした。うん、やっぱ変なの。どこもかしこもちぐはぐで、子供なんだか大人なんだか。
立てば無駄に背が高いくせに、こうして座って縮こまると俺よりも小さく見える。本当に不思議な奴だなぁ。
でも、ひとつだけ。
出逢ったばかりの時はただ周りの光を反射するだけのガラス玉だった瞳は今は彼自身の光を帯びて、意思を宿しているように見える。
今この瞳で真っ直ぐに見つめられて、初対面の時みたいに「一目惚れした」だなんて告白をされたら真に受けてしまいそうだ。いつもそれくらい覇気があればいいのに。いや別に無くても全然いいけど。
「あ、というか理由、話してくれてないじゃん」
「え、何だっけ」
「俺に一目惚れしただとか言った理由だよ!」
「えぇっと…。言わなきゃだめ?」
「だめ」
ちょっと面倒そうにきょろきょろする瞳を真っ直ぐに見つめて、気持ちいつもより強めの語気でそう言うと、彼は観念したかのように話し始めた。
ぽつぽつと降り出した小雨みたいに頼りなさそうな声だ。けれどきちんと俺の目を見据えて、彼は説明してくれた。
「一言でまとめると、たまたまですね」
「はあ?」
「おれね、この見た目のせいかな。今まで色んな人に告られて、色んな人と付き合ったりしてきたんだけど」
「はあ」
だろうな。その辺は想定の範囲内なので何とも思わないけど…たまたまって何。
「そんでも一回も…恋っていうのかな。したことないんだ。好きだとか、せがまれて言ったことは何度もあるけど…義務って感じで」
彼がきゅっと掴んだのは自身の胸の辺りだった。白いシャツがきゅっと皺を作って、すぐに緩んだ。
海がさざめく。誰かの言葉に一喜一憂する。自分が自分でいられなくなったり、かと思えばそこに居場所を見出したり。心が浮き足立つような感覚も、それ以外の感情も、彼にとっては波だった。そしてそれを、求めていた。
「そっか」
「それで、ある日思ったんだ。コレ、何の意味があんのかなって」
さら、と銀糸が揺れた。瞳が隠れてガラスさえ見えないのが嫌だと思ったから、その束をそっと指で払いのけると彼の瞳がほんのちょっと見開かれた。
まるであの日、俺の名前を見て驚いた時みたいに。本当に綺麗だけれど、やることはバカなんだなぁ。
そういうところを可愛らしく思ってしまった俺は結構、コイツに絆されてきているのかも知れない。
「それで、今度は自分から告白してみようって?」
「そう。話が早いね」
「まぁね。俺頭良いから」
「そんでとりあえず適当に声掛けてみっかぁと思ってさ」
「無視すんなや」
頬杖をついた、彼がちらりと俺を見た。テレビは消している。窓にはカーテンがあって、もう日が暮れた今は閉じている。
この部屋で、彼と俺だけの空間で、他に何もないところだけれど…。それでも彼がちゃんと俺を見てくれていることに安堵した。今はちゃんと見てくれている。そんな些細で、大切なことに。
「とりあえず、あの店から出てくる人にしようと思って。一人目は、指輪してたからやめた」
「おう。倫理観あったんだな」
「あるっつの」
この先はもうほとんど俺の知っている展開な気がするが、一応黙って聞いておこうと思う。
「二人目は確か…割と…えぇっと、自己顕示欲高そうな子たちだったからやめた」
「かなり言い方考えたんだなぁ。えらいえらい」
「別に。ただおれと付き合ってた奴らに似てる感じというか…めんどくさそうだなって」
「ならナンパ自体やめればいいのに…」
そう思ったが一応彼の頑張りを否定するのも憚られたので言わないようにした。はずが、口から出ていたらしく彼の視線がちょっと不機嫌に細められた。
「ゴメンて。続きをどうぞ」
「はぁ…。そんで数人色々あって見送って、やっと無難そうなのが出てきたから声掛けた」
「ケンカ売ってんのかこら、あぁん?」
無難そうて。それ褒め言葉じゃないよな絶対。マジで引っ叩いてやろうかと思うが、彼はやれやれと首を横に振った。こっちがやれやれだよ、腹立つなぁもう!
「別に一目惚れとか言うつもりなかったのになぁ」
「俺に言うなや。アドリブ弱い自分が悪いんだろ」
「そっすね」
「バカじゃん」
マジで結局何がしたかったのやら。俺がもし本気にしてたらどうすんだよ。自分は微塵も好きじゃないまま、また相手に好かれて、それで?
自分からアクション起こしたんだから責任でも取ろうってのか。どのみち、コイツの気持ちは動かないままなのか。
結果は分からない。動いてみなくちゃ。
でもそういう、諦めなくて、誰のせいにもしないところは、認めてやらんでもないけど。
「全部顔に書いてておもろいね、みーくん」
「ならちゃあんと読んどけよ、なぁくん」
「呼んでくれた、ふふっ」
「ふふじゃない、お前本当何がしたかったの」
「だから言ったじゃん。探してたの」
風。
凪いだ海に吹いて心を動かしてくれる、風。
そんなこと言って許されるのその顔面あってこそだかんな、と思うが結局は、彼自身もひとを好きになってみたかったんじゃないだろうか。
結果俺に声を掛けてしまった訳で。それが良かったのかどうか、俺には分からない。でも多分、無駄じゃないんじゃないかな。
少なくとも今は彼の瞳には海がある。凪いだ静かな海も俺は好きなんだけど、音を立てて緩やかに波に揺らぐ海があるから。
「なみ」
「おれの名前、読めたんだ」
「凪海。俺は好きだよ」
「ありがとう瑞風。おれも好きだよ」
「名前がな」
「名前かぁ」
俺が、お前の風になれればなぁ。
とか思ったけれど、そんな詩的なことを考えるとはちょっと結構割と恥ずかしいなと思ったので思うだけに留めておいた。
いつかコイツの心を動かす存在が現れるように願うよ。あ、でもそうしたらもうこうやって、髪に触れたりできないかな。
「髪、触りたいの」
「うん」
「ほら、好きなだけどうぞ」
「おぉ」
また俺の心を読んだかのように凪海が俺の隣に座り直して、髪を差し出した。長く伸ばしたポニーテールは解いてもさらさらで、本当に気持ち良い。
毎日すごい入念に手入れとかしてんのかな。大変そうだなぁ。でも、マジで好きだな。コイツの髪。
髪を触るのに夢中な俺は斜め上から注がれる視線の色には気づかないまま。やがてぽつりと声が降ってきた。
「…あのさ」
「なに」
「一目惚れじゃあないんだけど」
「うん」
「きみのこと、好きになってみてもいいかな」
そんな、このお菓子食べてもいいかな、みたいなノリで言われてもなぁ。
まぁでも。
「好きにすれば。出来るもんならだけど」
「そっか。じゃあ好きにするよ。好きになる」
「なろうと思ってなるもんじゃないと思うんだけど…」
「まぁそれは…。もう実感してるよ。とっくに手遅れみたいだ」
「うん?」
「とりあえず、言質は取ったからね」
「ううん?」
どういうことか分からないが、俺にもまだこの髪を触っていられる権利はあるってことかな。もしそうだったらちょっと嬉しい、かも。
だけどそんな呑気にしている場合ではなかった。ちゃんと人の話は聞いておくべきだったな…と俺は後で反省することになった。
「とりあえずキスしてみていい?」なんていう意味不明な提案に適当な相槌で返したら、顎を掬われて視界が一面の青に染まったからだ。
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