mitei please, listen to me | ナノ


▼ 5.前日譚

呼んでくれる声が、その音が、「おれ」を形作るんだ。

もう誰にも呼ばれないと思っていた。呼んでほしい相手など、現れないだろうとも。
独りが好きな訳じゃない。けれど、ただ漠然と、おれは、ただおれだけは「あちら側」の人間にはなれないのだろうなぁなんて。

そう、思っていた。

いつの間にか無色透明なおれの世界に割り込んできていた色彩は初めは実に穏やかに見えたのに、時に荒々しく目に焼きついて、ころころと色を変えて。
別に頼んでもいないのに勝手に全てを鮮やかに塗り変えていくのだ。

鬱陶しくなんてなかった。寧ろ、初めて、呼んでほしいと思った。

その唇で、声で、感情を乗せて。おれの存在を認めてくれるたった二文字を、きみに呼んでほしくて、本当の名を教えた。
いつしかそれも当たり前のようになって、ただ優しいだけじゃない音色もその中にはたくさんあるけれど、おれにはその全てが尊く一つとして同じものには思えない。

「ありがとう」も「あいしている」も間違ってはいないけれど、ピタリと当て嵌まる言葉をまだ見つけられずにいる。

だから、おれの「本当」を少しずつ、いずれは全てをきみに渡そうと思う。

そう言ったらいつもの口調で、「重そうなんで要りません」とスッパリ断られた。だけど口元は緩く弧を描いていたので、本当に素直じゃないなぁと思う。
そう、素直じゃないんだ。まぁ例え本心から断られたのだとしてもおれの意思に変わりはないのだけれど。

「そういうワケで、聞いてくれる?」

「どういうワケなんですか」

「いや聞きたいかと思って」

「何も言ってませんけど」

「…知りたいでしょう。おれのこと。いや、そうじゃなくてもおれが、きみに知って欲しい」

「………別に、透羽さんが話したいっていうんなら、聞いてあげなくもないです」

珍しく彼が来る前から片付いていた部屋で、二人ソファーに座りながら隣同士で目を合わせた。
ほうらね、素直じゃない。言葉とは裏腹に、彼の瞳には色んな感情が覗いて見えた。
心配、好奇心、心配、期待、心配…。

凛陽くんは優しい。
必要以上に優しくて、育ってきた環境のせいか自分の感情を抑える癖がついていて、他人の心の機微には必要以上に聡い癖に自分の心には驚くほど疎い。
同じようなことをおれも指摘されたことがあるが、そっくりそのまま打ち返してやろうと思う。

だからまぁ、そんな彼はおれのことを詮索しないのだ。訊けば何でも答えてあげようと思っているのに彼ははぐらかされると思っているのか、おれのことを心配しているのか、過去のことを積極的に尋ねてくることはほとんどない。
はぐらかすことが全くないってワケじゃない。その辺は彼の読み通り、おれにも立派な悪癖がついてしまっているのでこればっかりはすぐには治らないだろう。
そんな言い訳は彼には通用しないし、ただ恥ずかしくなるだけなんだけど。
おれは凛陽くんの許可なく彼の情報を勝手に色々と調べ上げたのに、それに対して凛陽くんが持っているおれの情報は多分圧倒的に少ない。

なのに、何も訊かないし、言わない。
ただたまにぼうっとおれの顔を見つめては、何も口から零すまいと言葉を閉じ込めるように唇をきゅっと引き締めることを知っている。
これでも探偵だもん。人間観察には長けている自信がある。だからおれは、言葉にしない彼の色んな癖を見つけて、その時にどういうことを考えているのかを想像しては自分なりの結論を導き出すのだ。

まぁ探偵でなくとも、分かることだよなぁ…。

そういう表情も嫌いではないけれど、ずっと溜め込んでほしいワケもない。
どうしようかと。おれは暫く悩んでいた。

別に隠すようなことは何もないはずなのに、大した話でもないはずなのに、おれはおれのことを彼に話すのが…多分、怖かった。
優し過ぎる彼の、感受性が強過ぎる彼の素肌のように柔い心に、おれのせいで一筋でも傷がついてしまったらと考えると堪らなく怖い。
本当に大した話でもないのだけど。

おれのことを知ってほしい。
いやだ、心配してほしくない。いいや、心配して、おれだけにその柔らかい心を砕いてほしい。

だけどいずれは、すべて渡すのだから。

おれの逡巡を読み取ったらしい彼は、きょとんと大きな瞳を瞬かせてぽつりと言った。淡々と、事実だけを告げるような音で。

「ねぇ、俺ってそんなに頼りないですか。弱そうに見えますか」

「え…」

「俺は、迷うくらいなら別に話さなくてもいいと思ってます。だけど聞く準備はいつだって出来てます」

あとは、おれのタイミングだけ。
あまりにも格好良い言葉に思わずふっと微笑ってしまった。そうだ、彼は強いのだ。
優しくて柔らかくて、芯がしっかりとしていて、こんなおれ一人くらいならば簡単に包み込んでしまえるだけの強さを持ったひとだった。

おれの本当をとっくに見抜いていたその瞳には敵うはずもなかったな。

どうか。

どうか、きみが隣にいることが、おれにとっての普通になりますように。

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