「やっぱり…怖いですか」
「怖くなんかないよ…なんてさらっと言えたら、今ここに来てないよねぇ」
探偵になってから二度目…いや本当は、様子を見るために何度も訪れた地におれと凛陽くんは来ている。
波が、記憶よりもずっと遠くで揺れている。
それなのに海の匂いがやけに強く思えて、懐かしいような、初めて訪れた全く知らない土地にいるような不思議な感覚になった。
この土地におれは歓迎されているのだろうか。
それすらも分からずに故郷だなんて、言えるだろうか。
「透羽さん」
「凛陽くん」
「手」
「て?」
「繋いで。怖いんだ。緊張してる」
「………うん。いいよ」
怖いだなんて、思ってるのはお互い様だろうけれど。でも彼がこんな風に言ってくれる時は大抵おれを甘やかす為なんだと知っている。
熱くなる目頭に「まだだ」と、きゅっと力を込めると自然と重なった手にも力が伝わってきた。
ひとりじゃないよ。
ずっと。ずっとあなたはひとりじゃなかった。
今だって。
そう聴こえる声は、誰のものなんだろう。
けれど分からなくてもいいと思った。
そうしてもうすっかり覚えてしまった道を、彼とふたり、並んで歩き出した。
「…着いちゃった」
「着いちゃいましたか」
「うん…」
「ここに…居るんですか」
「多分。平日のこの時間はね。居るはずだよ」
「さすが探偵…?」
「何で疑問形なの」
「いや、そう言えば透羽さん探偵だったなって」
「ふはっ!今思い出すことかな」
笑ったことでほんのちょっと緊張が解れた気がする。
そうして見上げた視線の先には、あのひとが働くスーパーがある。今のこの時間帯なら、恐らく休憩時間だろう。
「行こう」
「はい」
いつもひとりで来る時は越えられなかった線を、それより先へ進む一歩を、手を繋いで踏み出した。
それから先のことは、正直はっきり覚えていない。だけど何度も止まりそうになるおれの足を、無理に引っ張るでもない優しい手が支えてくれたことは覚えている。
離れてから一番近くで見たあのひとの顔は記憶よりやっぱりずっと健康的になっていた。
それからお互いに目を見開いて、沈黙を分かち合って、その間もずっとおれの手はひとりじゃなくて。
どちらのものか分からない汗を指の隙き間に感じながら、おれを見つめる彼女の眦に涙が溜まっていくのを見ていた。
もう大丈夫だよって、彼がゆっくりおれの手を離して背中を押した。
自然と前に押し出された少し下に、すぐそこにあのひとがいる。
あの頃は見上げていた顔を今はおれが見下ろしている。時間が流れている中で、流されなかったものがあることを信じたかった。
潤んだその瞳の中に、確かに答えはあったんだ。
ねえ。
おれのこと、憶えていますか。
まだ、会いたいと思ってくれていましたか。
あの時貴女が言った言葉を、おれはずっと憶えてたよ。
ずうっと嘘だ嘘だと思っていたけれど、そんな嘘みたいなこともあるんだって、隣のこの子が教えてくれたんだ。
また、おれの名を呼んでくれますか。
潮騒が何か言ってる。記憶の中の海が、目の前の青と重なる。
それがなぜかすぐに滲んで、記憶よりずっと小さくなった身体がすっぽり腕の中に収まる感覚に眩暈がした。違うよ、おれが大きくなったんだ。
視界の端で、泣きながら微笑う姿を捉えながらおれはそうっと腕を回して抱き締め返す。
躊躇いがちに伸ばされた手は、やがてそこにある感覚が嘘でないと確かめるようにその力を強くして、おれの背に温度を分けた。
「あぁ、ほんとうに…。おかえり、おかえりなさい。透羽」
「………ただいま」
ここにも在ったおれの居場所はやっぱり潮の香りがして、波の音がうるさく、心地好かった。
「あのさ、」
おれの大切なひとを、紹介してもいいですか。
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