それから数日後のこと。
「透羽さん」
「うん?」
「俺の依頼を聞いてくれますか」
「えっ」
用事を全て片付けたらしい凛陽くんがいつものおれの生活スペースではない、仕事用…つまりは来客用の部屋へとおれを誘う。
いつもは依頼人が座るソファーに腰掛けたと思ったら、彼が突然切り出した言葉におれは一瞬目を見開いた。
「ここは探偵事務所ですよね?俺の依頼、聞いてください」
いつになく真剣な眼差し。
真っ直ぐな視線がおれをすっと見据えながらも、その手はほんの僅かに震えている。
抱き締めたい。そんな衝動を抑えながらおれも、探偵モードに入ることにした。
「分かった。お話を聞きましょう。それで、本日はどのようなご用件で?」
「…ある人に、会いたいんです」
もうその言葉だけで、おれはほとんど分かってしまった。というか彼が客として振る舞いだした時点で、あぁ何かする気なんだなというのは見えていたし、何なら数日前、おれの話をした時からどこかそわそわしてるなぁとは思っていたんだけれど。
「…ある人、ですか」
「はい。どうしてもその人に会いたくて」
「会って、どうするおつもりでしょうか」
「ふふっ、可笑しいな。ここの探偵さんはいつもこんな風に、お客さんの事情を詮索してましたっけ?」
「それは…まぁ、ケースバイケースというか…。一応何の為か訊いておいた方が、ご依頼に役立つこともありますので」
やっぱり彼の前じゃあ完全に仕事モードにはなりきれない。どうしてもリラックスしてしまうというか、安心してしまって切り換えがいつものように上手くいかない。
なのにそんなおれを優しく見つめて、凛陽くんはふっと微笑んでみせた。泣き出しそうな、嬉しそうな、慈しむような…色んな感情が混ざった笑みに一瞬、記憶の中で波がさざめく。
「お礼が、言いたいんです」
「………は?」
「ただ一目、会ってお礼が言いたい。向こうは俺のことなんてちっとも知らないだろうけど、俺にとってはとても大事なひとだから」
「………」
「もっと詳しく言うと、俺のとても大事なひとの、すごく大事なひとなんです」
だからどうか、俺にも会わせてもらえませんか。そう笑う彼はおれなんかよりもずっとずうっと大人びて見えて、何故だかちゃんと見ていたいはずの視界が滲んだ。
頬に何かが伝う感触がするがおれは口元に笑みを携えたまま、尋ねた。
「それで、その会いたいひと、というのは?」
「一緒に来てください。そうすれば分かるでしょう?」
悪戯に成功したみたいに無邪気に笑う彼は今度はさっきより随分と幼く見える。不思議だ。不思議な子だ。
大人になったり子供になったり、頼ってきてくれたり、頼らせてくれたり。
おれも、一緒に。
彼と、一緒に…。
そこへ向かおうとすると、今まで重りがついたように重かった足が急に、軽くなった気がする。
独りじゃない、たったそれだけで。
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