「いつものください。袋はなしで!」
また、来たぁ…。
俺のバイト先のコンビニには最近、妙な客がやってくる。
深夜帯の人の少ない時間。気紛れに、週に何度来ているのかは知らないが、少なくとも俺の勤務日には必ずといっていい程そいつはやってくる。
「大変申し訳ございませんが現在取り扱っておりません」
「一応訊くけど…在庫もなしですか?」
「そうですね。現品限りです」
「まさかもう売約済みじゃないですよね…?」
「そもそも販売しておりませんので」
カウンター越しのお客さんの顔が一瞬強張るが、すぐにいつものへにゃりとした笑みに戻る。
「言い値出しますよ」
「そもそも、販売しておりませんし」
「ほら、ブラックカード」
「話聞いてます?いいですかお客さん…」
そもそも店員は商品じゃありません!
なんて、このお兄さんには何度説明したことだろう…。
「まぁそう固いコト言わずに!いつになったら僕に買われてくれるんですかぁ」
「いつになったら理解してくれるんですか」
「…けち。なら僕はどうすれば良いわけ」
「とりあえず、他のお客様のご迷惑になりますので、特に御用がないのであればお引取りを」
いつも通り淡々と告げるとまた不服そうな顔で彼はカウンターから身体を離した。
深夜とはいえお客さんはいる。ただこのひとがいると、一人二人と店に入ってきたお客さんが彼の容貌に見惚れてしまって入り口が塞がってしまうのだ。
そう、このおかしなことを毎回言いに来るお兄さん…顔だけはいい。顔と声と…スタイルだけはいいのだ。
ただ他は…例えば頭とか…は非常に残念らしいから、俺はもう初見のときのように彼に見惚れることはなかった。
やや長めの髪を後ろでちょんとまとめて、恐らく質の良いであろう白いシャツに黒のスラックスを纏った彼は今日も俺を「購入」することを諦めるとミルクティーだけ買ってひらりと手を振り帰っていった。
というかブラックカードじゃなくて小銭も持ってんだ…。ミルクティーは現金で買っていくんだもんなぁ。
何なんだあのひと。何者なんだ。というかマジで暇なんかな。俺みたいなバイトを揶揄う旅でもしてんのかな…。クソ迷惑じゃんか。
けれど彼が来ると一時的にではあるがお店にも来客が増えるので、バイトの俺にとっては忙しくただただ迷惑で、店長にとってはありがたい存在らしかった。
「店長、あのひといつもあんな感じなんですか?」
「あのひと?あぁ、あのモデルみたいなお客さんのこと?君がいるときにしか来ないから分からないなぁ」
………マジで。
それって俺のシフトばっちり把握されてるってことじゃねえの?それって大丈夫なの?だって俺毎日いるわけじゃないし、深夜ってのは決まってるけど曜日も別に固定じゃないし…。
考えて考えて、俺は深入りするのをやめた。何か、あのひとのせいで色々と消耗するのが悔しいというか。
多分冗談でああいうこと言ってるだけで、別に俺のことマジで欲しいとかいうわけじゃあないだろうし。
やっぱり暇なんだな、ということで片付けることにしよう。
「ちょっと、大丈夫?」
「あぁすいません、ちょっとクラッとしちゃって」
品出しの途中、立ち上がるとほんの一瞬足元がふわりとして倒れかけてしまった。見かねた先輩が駆け寄ってきて肩を支えてくれる。
心当たりは、あるけど…。大いに心配をかけてしまって申し訳ないな…。
「最近働き過ぎなんじゃない?裏で休んできたら?というか今日はもう店長に言って早退とか…ちょっと待ってて!水持ってくる!」
「大丈夫です、軽い貧血だと思うんで、ちょっと休憩すれ、ば…」
先輩が肩を離した途端、身体に力が入らなくなって顔から地面に倒れそうになった…と思ったら、がっしりと誰かの腕が俺を抱き留めてくれた。
危なかった…。また先輩に迷惑をかけてしまっただろうか、申し訳…な…い。あれ?先輩じゃ、ない…。
「おにいさーん、今日は問答無用でもらってくから」
「は…え…アンタ…」
見上げると、いつものへにゃりとした笑みではなく無表情で俺を見下ろす色素の薄い瞳と目が合った。
静かに…怒っている気がする。そのせいかな、ほんの少し寒気がして…誰かと誰かの会話を聞きながら俺は眠気に抗えず瞼を閉じたのだった。
表情の割に案外優しい腕の中を心地好いだなんて、思いながら。
「………うん。だから、このまま………で」
「………んぅ?」
いい匂い、がする。白い天井。ふわりと揺れる、カーテン?身体を包んでるのはふかふかでふわふわな、気持ちの良い…ふとん?
え、何これ、どこ、ここ。
すぐ側で誰かの声がするのに、何を話しているのか上手く聞き取れない。多分、電話かな。首を動かしてちらりと横を見遣れば、やたらと綺麗な夜景と、揺れているカーテンと、そして…。
何度も見たことのある後ろ姿が見えた。
ハッと意識が覚醒する。そのまま起き上がろうとして、上体だけ起こすと突然の動きに身体が驚いてしまったのかまたぼふんと心地好いベッドに吸い込まれてしまった。
その音に気づいたのだろう、あのひとが電話を切って俺の元へ急いで来た。数歩で到着する距離だが、その表情には見たことのない焦りが見えた、気がする。
もう一度起き上がろうとする俺を片手で制しながらベッドに腰掛けた彼は、俺に見せつけるようにそれはもう盛大に「はぁああー!」なんて大きな溜め息を吐いて見せた。
何かすいません。
「きみさぁ、もうちょっと頭良いと思ってたわ。スケジュール管理って知ってる?」
「………さーせん」
「まぁ医者の言うことには睡眠不足と空腹と?軽い貧血らしいけど。舐めてんの?なぁ」
「お世話になってます………」
「そうじゃねぇんだわぁ」
めっちゃキレんじゃん。俺めっちゃくちゃ怒られてんじゃん…。なんで?迷惑かけたから?
でもそんなに怒るんなら放っとけば良くない?いやいや、お医者さんに診せてもらってベッドまで用意してもらって着替えまで貸してもらって…。
ここまでしてもらっておいてそんなこというのはかなり気が引けるんだけどさ…。そこまで怒るんなら、どうして…。
「なんで…」
「チッ」
あ、舌打ちで返された。ていうか誰だこのひと。本当にコンビニに来てたあのひとと同一人物か。
見た目は全く一緒みたいだけど、中身が…というか態度が違い過ぎる。変態的だけど一応紳士的だったあの柔和な彼はどこいった。
ヤンキーのひと?てくらいめっちゃ睨まれる…。
けれど次第に、俺を睨む瞳はどこか痛々しそうに歪んでいった。
「あの…」
「コンビニの深夜バイトに課題のレポートに?あまつさえ友達とも呼べんようなクズ野郎のレポートまで手伝って?そんで寝不足で飯もろくに食わずに出勤して?ここんとこシフト増やしてんなぁとは思ってたけど何?家電が壊れたんなら僕が買うわお前ごと買うわ。てか自分の体力どんだけ過信してんの?阿呆も大概にしろよボケ」
「えぁ、すいま…え?なんで知ってんの色々」
「うっせぇ口答えすんな寝ろ寝てろそして起きたら飯を食え。いいな?」
「いやでも、なんで大学のこととか」
「い、い、な?」
「………はい」
めちゃくちゃ気になることだらけなんだけど、訊きたいことだらけなんだけど、今訊いても強制的に眠らされそう。下手したら物理的に…。
それくらいヤンキーなオーラが漂ってるのに、やっぱりぽんぽんと俺の身体を布団の上から撫でる手つきは優しい。
…心配、してくれてる?まさか、でも。
そうだったらいいのになぁなんて思いながら俺はやっぱりこの手に触れられながら目を閉じた。
そうして再び目を覚ますと…何か枕が固くなってた。
というか、目の前にめちゃくちゃ端正な人形が置いて…いや、瞼動いた。睫毛なが。精巧だな…あ、ちょっと微笑った。なにこれ、あんどろいど…?
「おはよ」
「………はよーございます」
アンドロイドではなかったわ。そして薄々感じてたけど、枕これ、腕だわ。このひとの腕だったわ。
つまりはその、腕枕されてた…というかされている、と。なんで。
「寝顔も超普通だったね。逆に見飽きんわ」
「そこは超可愛かったねとかじゃないんすね」
「え、もしかして自分のこと超可愛いと思ってた感じ…?何かごめんね…?」
「思ってねぇわ腹立つな。助けてくれてありがとうございます」
「え、今?すげぇ律儀…でもタイミングおかしくね?」
「借り作るの嫌なんで、返します。いくらですか」
腕枕されたまま、もう片方の腕は俺の腰をしっかりがっしり掴んでいるので離れることもできず、しょうがないのでベッドの中で話を進める。
もう何か諦めた、色々と。考えても無駄だこれ。早く終わらせたい。
「僕ぅ、お金ならたくさん持ってるんだよねぇー。だから要らん」
「でも他に返せるものがないので。あとやっぱあなたにだけは借り作りたくないんで」
「厚意ですのでお気になさらず」
「借り作りたくないんで」
「それなら大丈夫、寝てる間にもらったから」
「………はっ!?」
慌てて布団の中の自分の身体を確かめるが、特に眠る前と変わった様子はない。服も着ているし、どこも違和感はないし…。
いや待て。待って。何を考えてんだ俺。
「あっははは!何にもしてねえよ。………ちょっと匂い嗅いだだけ」
「は?」
「あと太もも撫でた」
「はあ?」
「ちょっとお尻も揉んだ。意外と柔らけぇな」
「何が何もしてないだよこのヘンタイっ!!」
「うっさ…声量調整って知ってる?ひとが近くにいるときにはね、そんな大声出しちゃ駄目なんだよ」
「誰のせいだよ…」
それでも相変わらず抱擁が解ける気配も無い。が、やがてくううっと腹の虫が鳴ると彼はくくくっと押し殺したような笑いを漏らして漸く起き上がった。
「よし、空腹感があるなら大丈夫だな。ちゃんと固形物食べなよ、ゼリーとかで済まさずに」
「だから何で、色々知ってんの」
そうだよ、昨日から…いや、もっと前から俺はそれが疑問だったんだよ。しかし彼はちょっと長めの髪を結い直しながら、さらりと答えた。
「そりゃ、調べたから」
「だからなんで、俺なんかのことをさ…」
俺の腕を引き摺りながらダイニングらしきところへと連れて来られる。そこには既に、高級ホテルの朝食のようなメニューがテーブルに並べられていた。
まぁ高級ホテルとか泊まったことないんだけどさ。
そして椅子は二つあるのに何故か自分の膝の上に俺を乗せながら、彼は続けた。会話の合間に口元に運ばれるフルーツが美味しい。
正直腹は減っているので、そしてこの拘束も解けそうにないので、俺は大人しくあーんを受け入れながら彼の話を聞いた。
「んー、おもろかったから?」
「は?」
「コンビニって聞いたことはあったけど実際どんなとこかなって思っててさぁ。たまたま初めて入ってみたとこにきみが居たんだよね。マジでぶっちゃけ最初は顔なんて覚えてなかったんだけど」
失礼。そりゃまぁ、俺の容姿はどこに出しても紛れられるくらい平凡である自信はあるけども。そんな自信欲しくないけども。
なら尚更、なんで。
「袋要りますかー?て訊くじゃん?いやミルクティー一本だろ要らんわって思うじゃん。でも毎回訊いてくるから」
「そういう決まりだからな」
「いやぁ、そんで僕ってば頭良いから、あ、この子『袋要りますか』の子だーって覚えちゃって」
「他にも接客した店員居たでしょ」
「居た…ような気がするけど、きみのことだけ覚えちゃったんだよなぁ。そんで色々考えるうちに何かきみが欲しくなっちゃって」
「なんで?」
なんでそうなんの?このひとの思考回路意味分からんすぎん?俺は分からん。
「いやぁ、こう、思い出せば思い出すほどさ。あぁ今どうしてんのかな、またバイトしてんのかなって。そんで決定的だったのは、他の客に接客してるとこ見ちゃったことかな」
「おう…?」
もう何も分からんけど、とりあえず聞く。そして食べる。ヨーグルトもいつも食べてる市販のやつと全然違う。超まろやか。フルーツと合わせると尚美味しい。
そして空腹のお腹にも優しいメニューから押し付けてくる辺り、微妙な気遣いが感じられてむず痒い。
話は意味分からんのに。そうしてその意味分からん話はまだ続くらしい。
「何かね、他の奴になに笑顔向けてんだって、腹が立ったんだよな。僕って温厚だしほとんど怒らないのにさ」
「えっ、待ってどこが温厚?」
昨日のヤンキー見て誰が温厚だって思う?
「すげー温厚。穏やか。昨日のはきみが悪い。自分を大事にしないからそりゃこっちだってキレるわ」
「ふぁい…」
余計な口は挟むなとでも言いたいのか、今度は柔らかめのパンを口に突っ込まれて反論できなくなった。でもこれもうんまい。
ただちょっと喉が渇くかなって思ったタイミングで、ストローを差し出された。なんと俺の好きなアップルジュースである。でもこれもやっぱり高級な味がする。美味い。いや、だからなんで俺の好物を知ってんだ。それでも話は続くらしい。
「そんでまぁ、これは嫉妬だなって」
「ふぇ?」
「あのやり取りも面白かったし。僕に生意気言う奴なんて今までいなかったし」
「ふぉあ?」
「そんで気づけばきみのことばっか考えるようになってさ。もうこれ恋じゃん?初恋は実らないとかいうけど、そんなん知るかってな。実らせるわ」
「ふぁああ?」
これはいけない。俺よりもこのひとの方が大分お疲れのようだ。
「そういうわけだよ。分かった?」
「分かるか」
「もっかいイチから?めんどくっせえなぁ」
「誰が温厚だって?」
「なぁ、僕は恩人だよな」
「突然なんすか」
「借りは作りたくないんだよな?」
「あ、やな予感する…」
「欲しいものひとつだけあるんだ。聞いてくれる?」
「いやちょっと…」
ぐいっと、俺の腰を支える力が強くなった。自然と顔が近づいて、今までで一番近くで見た宝石がきらりと微笑う。
あ、これ多分、逃げらんないやつ…。
「きみが欲しい。袋はなしで!」
ほうらね!
「あの子、今日からここ住むからあのボロアパートは解約しといて。大学の奴は…今はまだ放っといていいわ。引き続き監視よろしく。あとは…あぁそうだ」
あの店長にもお礼言っとかないと。
出逢わせてくれてありがとう。
おたくの店員さん、僕が一生大事にするからね!…ってね。
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