さて、気を取り直して…今日から俺の新しい学園生活の始まりだ!
…ヤンキー同士の抗争じゃないよ。
寮から校舎までは徒歩数分。シキは、マスクをしていなかった。
部屋の外へ出かける時は必ずと言っていい程マスクと眼鏡を着けていた彼だったが、授業では別なんだろうか。
一緒に部屋を出て教室へ行くまでの間俺たちはいつも通りの距離で、いつも通り談笑したり学校のアレコレについて教えてもらったりしながら二人で歩く。
その僅かな間にも実感していたのだが、教室に着くと皆が一斉に俺とシキの方へ視線を向けた。
…なるほど。目立っている。
それはただ単に俺が転校生で珍しいからなのか、それとも今朝シキが言っていたように彼が関係しているのかは分からないがとにかく、とても目立っていた。
何なら二人して部屋から出た瞬間から視線の雨は降り始めていた気がする。
入り口で黙ったまま突っ立っている俺の背中をシキがポンと押して、席を教えてくれ、一列分だけ離れたその場所に荷物を下ろす。
暫くすると先生が入ってきて俺の紹介が始まったが、何人か俺を見ながらひそひそ話をしている生徒もいて不思議に思った。
俺について話しているのか、それとも…?
そうして授業の合間の休み時間、たった数人の生徒が俺の席へ近寄ってきて俺に話し掛ける。
その様子を、シキはただ自分の席からじっと見ていたようだ。
訊かれたのは普通に何の変哲もないような質問ばっかりで。
「どこから来たの」とか、「部活は入るのか」とか、あとは趣味とか好きなものとか…。
ただ和やかに話していたつもりだったけれど、終始みんなの顔が強張っていたのはどうしてだろう。
シキは全然会話に混ざろうとしていなかったし、ただ頬杖をついてその様子を眺めているだけだったし…。
何だか登校の時以外、全然思っていたような…というかシキが言っていたような注目?はされないな、なんて思っていた矢先。
お昼休みに入ったのとほぼ同時に、シキのスマホが震えたのだ。
シキは俺に目配せをして、学食の時みたいに「ちょっと電話、すぐ戻る」と言って教室を出た。
学食の時と違っていたのは彼が少し焦って見えたことと、「すぐ戻る」と語気を強めに言ったこと。
それが何だか引っ掛かっていると俺の近くに来ていた数人の生徒が、顔色を変えてワッと更に近くに寄ってきた。
どこかテンションが高い。先程までの強張りが消え、あまりの変わりように俺はちょっとたじろいでしまった。
「お前さ!あの人と相部屋ってマジか!?」
「なぁなぁ実際どうなの?殴られたりしてない?」
「というか名前で呼び合ってなかった?どういうこと?」
「えぇっとぉ…」
目の色が変わるってこういうことなのかな…?
一斉に俺に詰め寄ってきた生徒たちは俺のことじゃなくて、どうやらシキについて訊きたかったらしい。
なるほど、有名人…。でも「殴る」って、どういうことだ?
今日はよく聞くなぁそのワード…。
「あのー、ちょっと話についていけてないんだけど…。シキって有名なの?」
恐る恐る尋ねると、またワッと一斉に返事をされてちょっと困る。
「また名前呼びした!!本当に許されてんのか転校生!マジか!」
「てか本当に何も知らないのな…」
「マジで…。てかあの人があんな柔らかい表情してんのも驚きなんだけど。元から知り合いだったとか?」
「シキと、俺が?ないない、こないだ会ったばっかりだよ」
そう答えると、みんな一様にきょとんとした顔をした。
俺も俺で、何が何だかなので似たような表情になったと思う。
「そっかぁ。そっかぁ…」
「一体どんな手を…」
「なぁ本当に大丈夫か転校生?マジで殴られたりしてない?」
「だから、その殴るって何?シキはそんなことしないよ」
今朝「何かあったらおれを殴れ」とは言われたけど…。
俺の知っている彼は、少なくともここ数日見てきた彼は理由も無く暴力を振るったりしない。
なのに何で、みんなシキを危険人物みたいに言うんだろう。
やだな…。ちょっと悲しくなってきちゃったな…。
「お前は何も知らないからそう能天気でいられるんだよ、転校生くん」
「そうそう。ヤツガミくんって、見た目はめちゃくちゃ美人で芸能人みたいだけど、悪い噂ばっかだし」
「手が早いんだってな。毒花とか呼ばれてるのも納得っつうかさ」
「シキはそんな奴じゃないっ!!」
とうとう俺は、声を荒らげてバンッと机を叩いてしまった。ガタッと椅子から立ち上がると振り返りもせずに教室を走り出る。
嫌な感情が、胸の中を暴れ回ってる。あの学食の時よりずっと、ざわついた感覚が這い回る。
…なんで。
なんでみんなそんなにあいつを悪く言うんだ。
なんでそう知りもしない彼の事をさもよく知っているみたいに言うんだ。
お前らこそ、シキの何が分かるって言うんだ。
そりゃあ俺だって彼と知り合ってまだそんなに日は経ってないけど、でも、でもあいつはそんなに悪い奴じゃない。
ちょっと口が悪くなる時もあるけどそれくらいで、初めっから彼はずっと俺に優しかったし温かかった。
優しいのに…。本当に、優しくて繊細なのに。
今朝だって、きっとこういうことを心配してくれてたんだ…。
気づけばボロボロと涙が零れて落ちて、綺麗に掃除された廊下に弾かれていった。
止まらない。情けない。ろくに反論できなかった。「それは違う」って、感情のままに叫ぶんじゃなくてもっと冷静に丁寧に説明できればよかった。
みんな、きっと悪い人じゃない。だからきっと、シキをちゃんと見てくれれば分かってくれる。
なのに、俺は…。俺は…。
「ショウゴ!!」
「え、うぁ」
振り返ると、一瞬だけ見えた黒髪。だけどすぐに見えなくなって、肩の向こうに廊下の端が見えた。
俺の肩じゃなくて…これは、シキの肩か。数秒して俺は抱き締められていたのかと気づく。
気づいたら何か一瞬驚きで止まっていた涙がまた出てきて止まらなくなって、折角綺麗な彼の制服の肩口を濡らしてしまった。
ぎゅっと肩を掴んで押し、抱擁を解くように訴える。声はまだ嗚咽しか出ないから、トントンと離してくれるように軽く叩いて促した。
「ショウゴ、ショウゴ、ごめん」
「うっ、だいじょ、ぶ…だから…」
「でも泣いてる。何された?誰にされた?」
「なんも、されてない」
「うそ。じゃあなんで泣いてるの?」
「ちょっと、ちょっと待って、鼻かませて」
そう言うと彼はポケットからさっとティッシュ…ではなくて綺麗な紺色のハンカチを取り出した。
アイロンもかけられている。こんなので鼻拭ける訳ないじゃん。汚せないよ。
俺の戸惑いに気づいたのか、彼は躊躇無くそのハンカチで俺の顔を丁寧に拭いた。
多分、鼻水もついてる。めっちゃ申し訳ない…。今日の洗濯はより丁寧にやろう。
されるがまま密かにそう誓っていると、段々と涙もおさまってきた。
それを見計らっていたかのように、彼がまた俺に尋ねる。
「…で?答えて。何があったの」
「何もないよ…」
「だれに、なにを、された?」
「だ、から…」
「いいよ。言わないなら、今から教室に行って、一人一人に訊いて回るよ」
「えっ」
「何があったか、一人くらいは知ってるだろ」
目が…マジだぁ。今朝よりももっと鋭くなったそれを見て、これはやりかねないと確信した。
でも言いたくない。いや、だからって誤魔化せそうにもないし…どうすれば…。
「ショウゴ」
「ん?」
「………ごめんな」
「あ…」
シキは、悪くないのに。何にも悪いことしてないのに。
さっきだってそれが分かってもらえなくて悲しくて泣いてしまったのに。
俺がこんなカオをさせてどうするんだ。
「ショウゴ、ごめ」
「謝るな」
「え」
「あやまらないで。お願い。悪いことをしてないのに謝るのは、やだよ」
「だって、おれのせいで…」
「ちがうよ。シキのせいじゃない」
「じゃあ、」
「本当は…言いたくなかったんだ。でも、そんなカオさせるなんて」
「ショウゴ…」
「シキが教室を出てってから、質問攻めにされたんだ。シキについて」
「やっぱりおれのせい」
「最後まで聞いて?俺が泣いてたのは、自分が情けなかったから。シキの…うっ、悪口に、上手く反論できながったがら、で…」
「ショウゴ、こっちおいで…落ち着いて」
また泣き出してしまうと、シキにそっと抱き寄せられた。
子供をあやすみたいにポンポンと背中を撫でられると安心してしまって、また涙がポロポロ零れる。
「シキは…優しいのに…。こんなに優しいのにみんな、殴られてないかとか、意味分かんないことばっか言う…」
「そっか…」
「それで俺、そんなことないってしか言え、言えなくて…く、ぐやじいぃぃい!!」
思わずまた声を荒らげると、シキが可笑しそうに笑った。笑うところあったか?
「ショウゴ、ショウゴ。だいじょうぶだよ。おれはそんなの言われ慣れてるし、あながち間違ってないし」
「間違ってるっ!!!」
「ふっふふふ、そうなの?おれはもう、きみが解ってくれてれば十分なんだけどなぁ」
「俺はやだよ…シキは誤解されてる」
「いいんだよ。ショウゴ、本当にごめんな。守るって、言ったのに」
「守られてるし、俺の問題だからいいんだ。もっと強くなる…」
なるんだ。守られるばっかじゃなくて、俺もシキが嫌な思いをしないように守れる奴になるんだ!
また新しい目標ができた!
「それで、誰がそれ言ってきたか分かる?」
「ふぇ」
「名前は覚えてなくていいから、特徴とか、ね?」
「や…覚えてない、です…」
俺が泣き止んで落ち着いた頃、シキがそう尋ねてきた。そのカオがあまりに不穏なオーラを漂わせていたので俺は本能的にか、何も覚えていない、分からない振りを貫いた。
その翌日。
夕方頃に宅配が来て、たまたま玄関近くに居た俺がそれを受け取った。
宛て先はシキへ。小さな手の平サイズのダンボール箱だ。
中身は何だろうなと軽く気にしつつ、彼の部屋の扉をノックする。と、彼はすぐにひょこっと顔を出した。
「コレ、お前宛てに来た」
「受け取ってくれたんだ、ありがと」
「あの、今更過ぎるけど、シキの苗字ってヤツガミ?っていうんだな」
「そうだよ」
どっかで聞いたことあると思った。確か、初めは学食?それから教室でも…。
あの噂の「ヤツガミくん」とシキは同一人物だったんだと分かって色々理解した。
でもシキが悪く言われることについて、納得はしていない。
「ショウゴ?」
「あーゴメン。えぇと、コレは…」
手の中の小箱を彼に渡すと、ふっと微笑まれた。そんなに嬉しいものが届いたのかな。
「そうだなぁ…。首輪、的な」
首輪、的な。的な?
「首輪…的な?」
「うん。GPS機能付きでさ、声も聴けるしすんごい便利なんだよ」
「へぇー?最近の首輪はすごいんだなぁ。というかシキって犬でも飼ってんの?」
「まぁそう、うん。実家に?」
「その犬、よく逃げたりすんの?」
「ううん?でもまぁ、万が一な」
「可愛い?」
「世界一。いや、比較対象がいないわ」
「へー!また写真とか見せて!」
「ふふっ、いーよー。あ、そうだ」
「んー?」
「やっぱおれのこと殴ってくんねえの?」
「やだっつってんじゃん!」
俺が泣いたあの日から、ちょくちょくそう聞いてくる!だからそういう平和的じゃないのはやだって言ってんのに。
それで拒否する度にクスクス笑ってくる。何なのもう、揶揄われてる。絶対!
そして余談ではあるが、もちろんその日のシキの飯も最高だった。
それにしても何で、実家の犬用の首輪が寮に届くんだろうな。
そうしてさらにその翌朝。
俺が部屋で身支度をしているとコンコンとノックされて、シキが入ってきた。
やっと何となく自分でも結べるようになったネクタイを、今日は彼が着けてくれるのだという。
突然どうしたんだろうと思いながら身を任せているとあっという間に綺麗にネクタイを結ばれ、仕上げと言わんばかりに襟元をしっかりと整えられる。
「これでよしっと」
「ありがとう?」
「全然?こちらこそ」
「えと、なにが?」
「色々。さぁ、朝ご飯できてますよーっと」
「おーう」
何だか今日の彼はいつも以上にご機嫌だなぁ。
まぁシキが嬉しそうなら俺も嬉しいし、いっか。
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