「…うるさい」
あぁ、本当に。
自分でも意識しないうちにとても静かな、でも確かに怒気を含んだ声が出たと思う。
「シキに謝れ」
「「………!」」
何も知らないでシキのことを決めつける声をたくさん聞いてきた。俺でさえそうなんだ。なら本人は?もっともっと、比べられないくらい聞いてきていることだろう。知ってたよ。彼はこの騒音をなかったものとして、俺を早くこの場から引き離そうと動いてくれたこと。
でも駄目だ。俺ってこんなに我慢ができないんだってシキに会ってから初めて知った。こういうことに、慣れたら駄目だ。というか俺が、慣れそうにない。聞き逃せるものか、俺の大切なひとへの冒涜を。
「耳ついてなかったのか。謝れって、言ったんだけど」
「わ、たしはただ…」
「こいつが先に…」
顔を上げて目の前の顔を見つめる。睨みつけるでも、怒鳴っている訳でもないのに怯えた顔をしてる。なぜ。
俺はただ、謝れって言ってるだけだ。その理由が分からないんだろうか。そもそも分かっていたら、あんな頭の悪い会話を彼に聞かせたりしないんだろう。
自分でも驚くくらい落ち着いている。後ろで、シキの視線が俺に向いていることも知ってる。彼自身は謝罪なんて要らないと思っているだろうとしても、俺が納得できない。するつもりもない。
「謝って。彼は性格だって最高に格好良いんだ。人前で堂々と他人を貶めるアンタらとは比べるまでもなく」
「ショウゴ、もういい…!」
「謝れ」
「「………ごめんなさい」」
何秒かの静寂のあと、小さくぽつりと呟かれた二人分の言葉には何の効力も感じられなかった。何だろう、虚しいな。ザッという地面を擦る音にハッと我に返ると、目の前には俯いて気まずそうにしている知らない人たち。何だっけ、俺、何してたんだっけ。そうだ、俺は…。
「ショウゴ!!」
「シキ、わぷっ」
彼の声に振り向くと、思いきり正面から抱き締められたらしい。一瞬強過ぎるくらいの力で背中に腕を回されたけれどすぐに弱まって、シキの肩が僅かに震えていることに気づいた。もしかして俺、シキも怖がらせちゃったかな…。というか心配させちゃったんかな。両方かも…。
「ショウゴ、ショウゴ、ショウゴ…!」
「シキ、あの、ごめん…。早くこっから立ち去ろうとしてんのは分かってたんだけど…」
「お前が謝ることなんかひとっつもない!おれが」
「シキが謝ることもない。謝ったら一週間口利かない」
「あ………ごめ、いや、はい」
「ごめんな、俺許せなくて。確かにシキはたまに意地悪でヘンタイで意味分かんないとこもあるけど、それでも」
シキを悪く言う言葉を、聞き流すことができなくて。
でも俺が全部言うまでもなく、彼は分かっていると思う。だからこそ心配かけちゃうんだよなぁ。
「おれが謝っちゃだめなのにショウゴは謝るの?次言ったら一週間飯作らないよ」
「え………ごめ、いえ、はい」
「あ、あの…!」
ぎゅうぎゅうと周りのことも忘れたまま身体を寄せ合っていると、さっきの空っぽな謝罪とは全然違う声が、今度はちゃんと意味を持って耳に届いてきた。
「さっきは思いきり失礼なこと言っちゃってごめんなさい。顔だけとか、私だって言われたら嫌なのに…」
「いや俺も、怒っちゃってすいませんでした」
ていうか、顔だけって言われたことあるんだ…。あぁいや、確かに可愛らしい容姿をしてらっしゃるもんな、多分…。どうだろ、その辺は分かんないけど。けれど今度はちゃんと、言葉が重く感じられて虚しい気持ちはなくなった。彼氏さん?の方は、まだ複雑な顔をしてるけど。きっと売り言葉に買い言葉みたいな感じだったんだろう。
でも今は、ちゃんと言葉の意味を理解して謝ってくれたから、まあいいや。
その後ペコペコと謝る彼女さんとまだムスッとしている彼氏さんと、その他大勢の人たちは去っていった。仲直りできたらいいね。知らんけど。
それにしても俺って本当に怒るとあんな風になるのか。びっくりだ。自分でも知らなかったなぁ。多分兄ちゃんも知らないかもしれない。どうだろ。ふむ…と考え込んでいると、ようやく身体を離したシキが無表情で俺の顔をじっと覗き込んできた。
あぁ、これは。
俺が傷ついてないかどうか、心配してるんだな。馬鹿だな、自分のこと心配すればいいのにな。
「俺は大丈夫だよ?」
「それはおれが判断します」
「俺のことなのに…」
「お前のことだからだよ」
顔を両手でむにむにしながらシキが言う。その眉間にはまだ皺が残ってて、視線も俺ばっか見てて。ずっと俺のことばっかりだなと自意識過剰かもしれないことを考えてしまったけど…。多分自意識過剰とかじゃあないんだろうな。
あぁ、好きだな。
だからこそ、痛いことに慣れないでほしいな。何もかもから、この不器用で優しくて愛おしいひとを俺が守ってあげられたらいいのに。それくらいの強さと、優しさが俺にもあったらいいのに。
さっきの方法が正しいとは自分でも思っていない。逆に彼に心配をかけてしまったし、下手したら殴られていたかもしれないと今更になって思う。穏やか…かどうか微妙だけど見た目ほど怖い人たちじゃなくて良かった。
じゃなきゃ多分、俺の代わりにシキが暴れることになっていたかもしれなかったのだから。
俺の行動はきっと浅はかだったと思う。けれどしなきゃ良かったとは思っていない。
今後の課題ではあるけど、彼のことで怒るのは俺にとってはとても自然なことだから。だってシキが怒らないから。
俺のことを言われたならきっとシキがキレていたかもしれない。そうさらっと思えるくらいには彼の愛情を日々受け取っているから、今なら素直にそう思える。でも彼は自分のことには無関心なことが多い。だからって訳でもないけど、そういう時は俺が代わりに怒ろう。方法はちょっと後々考えるとして。
「ねぇシキ」
「なに、無鉄砲なショウゴくん」
「…慣れないでね」
「………」
「聞き流せるのは大人の対応ですごいと思うけど、まだそんなに、大人じゃなくてもいいと思うんだ」
もちろん殴りかかったりするのはいけないと思うけど。でも。
「誰が何と言おうと、シキは格好良いよ。意地悪な性格も全部。だから、」
「うん。おれは、お前がそう思っててくれるんなら他はどうでもいいんだ」
「本当に、気にならないんだ」とシキは俺の肩に顔を埋めて呟いた。黒いキャップが地面に落ちてしまいそうになったので、片手でキャップを脱がせて、もう片方の手で寄り掛かる背中をポンポンと叩いた。子どもを落ち着かせるみたいなリズムと力加減で、でもちゃんと離れないよって意思も込めて。
言葉以外でも伝わればいいのにな。
「…それにしても」
「うん?」
「ガチギレしたショウゴさん、めっちゃ怖かった…。おれ絶対怒らせない…ようにする」
「え、そんな?」
「うん」
やっぱりか…。自分でもそんなに怒らない性格なんだと思ってたんだけどな。
心配かけたことも反省点だけど、もうちょっと感情のコントロールできるように頑張ろう…。
でも、でもさ。
シキのおかげで、俺は新しい発見がいっぱいあるよ。世界がどんどん色づいて、広がっていくんだよ。とか。
今このタイミングで言ったら怒られるだろうかと考えて、彼の頭に頬を擦り寄せるだけにしておいた。
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