side.シキ
「あのさ、ショウゴさん…」
「ん?」
「一応訊くけど…。それ、なに?」
「えっへへー!クッション!いや枕かな」
はー?自慢げに見せながら笑うとかクッソかわ。
「自慢げに見せながら笑うとかクッソかわ」
「これ?かわいいか?この柄」
「柄の話じゃないんだけどかわいいからいっかぁ」
それにしても、恐らく全く意味も分からないで抱えてるそのクッション、いや枕かな。もうその柄だけで概ね見当はつくんだが…。
ある日の夕方。寮の部屋に、珍しく荷物が届けられた。
何が入っているかも分からないはずの怪しい段ボール箱をおれより早く受け取り、いそいそと開封した彼はソレを取り出すと一瞬首を傾げた。この時点でもうばかわいい。
そしてまぁいっかと考えることを放棄したのか、てててっとソファーに座るおれの隣に立って、掲げるように見せてきた。はい優勝。でも心配になる、この無垢さ。
「どう?」
「抱き締めたい」
「だよな!すごい抱き心地良いよコレ!」
ううん違う。違うけどもういっか。いや良くないな。これは彼の情操教育上よろしくない。誰が言ってんだって話だろうけども。
「それ、まさかとは思うけどさ…」
「シキの親父さんからもらった」
「はいギルティー」
「何が?」
「いや、うん。ちょっと待って整理するから…」
やっぱりアイツか…。こんな悪趣味なことをするのは。
今日も絶好調にばかわいいショウゴが両手で抱えているクッションもとい枕には、片方には丸、そしてもう片方にはバツ印がでかでかと描かれていた。
これでもうお気づきだろうが、これはまぁ、所謂そういうことの意思表示に使われたり使われなかったりするというアレである。実在したんだ。
あんのクソ親父…!無垢で馬鹿で純粋で騙されやすくてぽやぽやしてるおれのショウゴに何送りつけてやがんだマジで!今度理事長室にカチコミに行こうか…。
というかまだ連絡取り合ってたのか。…ジャックするか?や、でもなぁ。
「あの、シキさーん?顔めっちゃ怖くなってるんですが…」
「あぁゴメン、ちょっとどうお礼をしようか考えてて」
「お礼かぁ!確かに、貰いっぱなしって悪いかなぁ」
「その辺はおれが考えとくからショウゴは気にしないで?それよりさ」
「うん?」
「ソレ、親父はなんて言っておれらにくれたの?」
「うーんと確か、二人で仲良く使ってね!みたいなこと言われた」
「それだけ?」
「あと、シキはえと、強引なところがあるかもしれないから、コレが役に立つかも?だったかな。どういう意味だろう」
うん。やっぱ親父ギルティー。親父への「お礼」は後でじっくり考えよう。
「そうだな、とりあえずは…。意味分からないで物を受け取るのは今後控えようか」
「でもコレ、クッション…いや、枕?だし。危ないものじゃないだろ?」
はあーもう駄目だ。かわい…じゃなくてこれはだめだ。これはもう、あのお義兄さんも過保護になるはずだよ…。
首を傾げるな、もうかわいいな!じゃなくて。
「はあああああ」
「いや溜め息でっか。もしかして何か駄目だった?貰っちゃいけなかったとか…」
「いや、それはまぁ、別にいい。確かに役には立つかも…いや自信無ぇなぁ」
「よく分からんけど、シキなら大丈夫だよ」
よく分からんのに謎の励ましをするな、理性が頑張ってるんだこっちは。クッション抱えたまま顔を覗き込んでくるその姿すらその「大丈夫」を崩しにきてるんだぞ!
「はぁ…。ますます駄目な気がしてきたなぁ」
「ゴメン?」
「謝ることない、こっちがゴメン」
というかお前が謝れ、クッション。いや枕か。どっちでもいいけど。
「そんなに睨みつけるなんて、やっぱ理事長に返す?コレ」
「そうだなぁ、でも折角貰ったしな」
悪趣味だけどな。
「ちなみにさ、この柄ってどういう意味があんの?さっきからシキ様子がおかしいし」
クッションもとい枕を抱えたまま、ショウゴがおれの隣に腰掛けた。もうこういうところも無防備で心配だよ、心配と理性と劣情が会議してるよ。
けれどおれの様子を窺うようにおずおずと見上げてくるその顔を見て、何かもう色々と吹っ飛んだ。
「どんな風におかしい?」
「えと…いつもの、やつ」
「いつものやつ?」
「だから何というか、え、あの…これだよ、目がこわ…?あぁクッション枕さん!」
クッション枕さんって。ソファーの上でじりじりと詰め寄ると反射的にか彼がクッションでガードするようにしながら同じだけ遠ざかる。
けれどソファーの広さには限界があって、邪魔なクッション枕をおれがひょいと取り上げるとショウゴの真っ赤な顔が視界の真ん中に飛び込んできた。
…やっぱ奪うんじゃなかった、クッション枕さん。
「で?おれ今、どんな風?」
「ちょっと…あの、ソレ返して…」
「おれよりこいつがいいんだ?」
「いえあの、そうではなく…ちかっ」
「今更?」
「んっ」
鼻先が触れるくらい顔を近づけると、真っ赤な顔のまま彼が目を瞑った。反射だろうか。それとも慣れってやつだろうか。
もうかわいいとか思う暇もない。困っただなんて言葉が過る前に、ふにっと当たるだけのキスをした。
離れると僅かに目を潤ませた彼が、油断したおれの手からクッション枕さんを奪い返して顔を隠した。
おれの方に見えているのは、丸の印。マジでもう分かってないのかな。分かってないんだろうな。
どうしようもないな。おれも、この無自覚煽りぽやぽやくんも。
「で、この柄の意味だっけ」
「へっ、おう…?」
「そんなに知りたいなら…それの使い方、教えてやろうか」
「使い方…?」
「それはさ、」
内緒話をするように小さな声でその意味を教えた。今おれに向けられている印の意味も。
すると彼は何も言わなくなって、代わりにきゅっとクッションを握る手に力が籠った。クッションてめぇそこ代われと思わなくもない。
でも…。
クッションに隔てられた向こうではどんな顔をしているんだろう。容易に想像はつくけれど、クッションがあって良かったかもしれないとも思う。
だってコレがなかったら、多分既にこれ以上無く真っ赤に染まっている彼を抱き締めるだけじゃすまない。
「あの、さ…」
暫くして、落ち着いたのかクッションの向こうからか細い声が聞こえた。クッションが傾いて僅かに覗いた耳は想像していたくらい真っ赤で…齧りたくなってしまった。
実際歯は立てずに齧りついたら「ひゃあっ!」と言われて彼はまたクッション枕さんを盾にしてしまったのだが。おれは悪くない、多分。
「ゴメンて。もうしないから、顔見せてよ」
「シキ…ヘンタイ」
「耳噛んだだけじゃん」
「ちがう、それもだけど…!俺めっちゃ恥ずかしい奴じゃん…」
「めちゃくちゃかわいかったよ。現在進行形だけど」
「そうじゃなくて、いやその、だって」
「落ち着け。顔見せてよ」
また暫くして、やっとのそのそと顔を出した彼は半分泣いていた。かわい…じゃなくて、それほど恥ずかしかったんだろうか。
気にしなくていいのに。
「俺すんごい間抜けだ…」
「よーしよし、こっちおいで。そう、もう変なことしないから。少なくとも十分間は」
「約束する時間短くない?」
「自信ねーもん。そんで?恥ずかしくて泣いちゃった?」
「泣いてない!」
「そうだねぇ泣いてないねぇ。ほら、別に知らなくたってそんな恥ずかしがることじゃないんだから。かわいいし」
「シキそればっかり。俺は可愛くない」
「事実だもんな。もうこれは愛しいと同義なんだよ」
「ひぇ…。耳元で言わないで…」
「なんで?また泣いちゃう?」
「シキも親父さんも意地悪だよ…」
「そこは否定しきれないなぁ」
クッション枕さん、ご苦労さんです。もう君の出番は終わり。今度はクッション枕ではなくおれにぎゅうっとしがみついてきたショウゴの頭を撫でてやりながら、額に頬にキスを落とす。
耳はちょっと嫌がられたけど、変な声が出るからってまた無自覚煽りぽやぽやな理由だった。あと七分。
「で?アレ、親父に返す?」
「ううん…どうしよ」
「これから使うかもだしな?」
「えっ!使…うのかなぁ」
はい、もう感情の言語機能がおやすみしました。かわいい以外ある?他は寝ちゃったわ。
赤らめた顔を見ないように胸元に顔を押し付けると、彼が背中に回した腕の力を強めてぽそりと呟いた。
「いい…」
「んー?」
「俺、やっぱこっちがいい…」
「………」
暫く思考が停止して、それから急に何を言われたのか分かってしまって、今度はおれの方が熟れたリンゴみたいになったと思う。耳が熱い。
やばい。さっきまで真っ赤なきみを面白がって揶揄ったりしてゴメン、これはヤバイ。顔があっつい…。
「シキ?」
「ちょっ、今はだめ!」
顔を上げようとするショウゴをぎゅっと抱き締めなおすと「ぶっ」という息が抜けるような声が聞こえた。ちょっと強くしすぎた、ゴメン。
すぐに腕の力を緩めるも、やっぱりこんな顔を見られたくなくてもう一度肩に顔が乗るように抱き締め返す。
さっきまで撫でていた髪を梳きながら、その匂いを嗅ぎながら呼吸を整えようとしたけどこれは逆効果だと気づくまで少しかかった。
おれってこんなに情けない奴だったんだな、なんて彼と出逢ってからもう何回も痛感している。でもこれは、なんというか。
「シキ…」
「おれも、これがいいな…」
そもそも比較対象がないんだけどな。
「そうだろ。へへ」
「はああ」
「そこで溜め息なん?」
「ちがう深呼吸」
床に転がったクッション枕さんは、暫く送られてきた段ボール箱の中に仕舞った後やっぱり親父に送り返した。
もし要るようになったら自分らで買うわ、というメッセージ付きで。
それにしても…。
プレゼントしてくれた親父への「お礼」にショウゴのぽやぽやに対する心配、おれの情けなさに対する恥ずかしい気持ちとか。
そういう諸々は、彼の腕の中ではこうも簡単に溶けてしまうんだなぁと、おれも肩の力を抜くことにした。
十分なんてもうとっくに過ぎていたことは、知っていたけれど知らない振りをして。
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